ライバルとの対面(1)


 小坂が言うところの、「丸っこくて声大きくて結構ケバくて胸がこうバーンとデカい」女性は、第1部のすぐ下のフロアにある、第8部西欧課地域分析班に所属していた。

 「日垣1佐が好み」と公言したらしいこの大胆なライバルと、美紗がじっくり顔を合わせることになったのは、直轄チームで「奥様代理」の話題が出た翌日の昼休みだった。



 自席で昼食を済ませた美紗が、身づくろいを整えようと女子更衣室に入ると、二人の女性職員が弁当持参で部屋のテーブルを占領していた。

 一人は総務課の吉谷綾子、そして、もう一人は、三十を少し出たくらいの、全体的にふくよかなラインの女だった。同性でさえ思わず目を向けてしまうほどインパクトのある胸元には、「大須賀 恵」と表記された名札が付いていた。


 美紗は、二人に軽く会釈すると、急いで奥の方にある自分のロッカーへと向かった。

 初めて間近に見た「ライバル」は、人目を惹く体形に加え、吉谷綾子とはまた違う派手なファッションを身にまとい、小坂の表現するとおり、濃い目のメイクでバッチリと決めていた。その彼女が、吉谷相手に早口で喋りまくっている。

 とても、自分から声をかけて相手の出方を探るような真似は、できなかった。


 一方の大須賀は、テーブルの横を通り過ぎた美紗をちらりと見た後、すぐに吉谷との雑談に戻った。


「もう語学系のポストには戻らないんですかあ?」

「どうしようかな。文書班長の仕事は結構気に入ってるんだけど……」


 間延びした口調で話す大須賀に、吉谷は、弁当の中身をつつきながら、リラックスした表情で答えた。二人は、十歳ほど年が離れているように見えるが、かなり親しい関係らしい。


「……そろそろ、育休明けの後輩にポストを譲ったほうがいいかな、とも思うトコなのよね」


「だったら、また第8部うちに戻ってきてくださいよお。吉谷さんいたら、何かと心強いですもん。オジサン達、恐れおののいて誰も逆らわないから」

「何よそれ。どういう意味?」


 すねた顔を作る吉谷に、大須賀は、ローズピンクの口紅を塗った口を大きく開けて賑やかに笑った。


「あ、そうだ。今週末、主体で女子会やるんですけど、よかったら吉谷さんもどうですか? たまには旦那さんにお子さん預けて」

「今度の金曜日? そこは予定入っちゃってるんだ。大使館でレセプションがあって、それに行くことになってるのよ」


 

 昨日の、フランス大使館のこと……?



 どくり、と心臓が嫌な音を立てる。「職員を『奥様代理』としてレセプションに同伴させては」という部下の提案にあまり乗り気でなかった日垣貴仁の顔が思い浮かぶ――。



 固いものがいくつか床に落ちる耳障りな音がして、美紗ははっと我に返った。

 手にしていた化粧ポーチの中身が足元に散らばっていた。床にしゃがみこんで急いで落としたものを拾い集めたが、すでに、テーブルに陣取る二人の視線は美紗に注がれていた。


「すみません。うるさくして……」


 美紗は、床に這いつくばった格好のまま、子ウサギのように身を固くした。吉谷の隣にいる、「ライバル」の大須賀と目が合うのが、怖い。

 しかし、根の明るい先輩二人は、美紗の心の内を全く察してはくれなかった。


「ここどうぞ。私たち、もう食べ終わったし」

「あ、日垣1佐のおひざ元にいる、えっと、鈴置さん、だよね。時間あったら少し喋ってこうよ」


 はたして日垣の名を口にした大須賀は、美紗の返事も聞かず、更衣室の壁に立てかけてあったパイプ椅子をテーブルの前に広げた。

 完全に逃げるチャンスを逸した美紗は、強引なほどに社交的な「ライバル」に圧倒されながら、観念して椅子に座った。


「今まで、話す機会なかったよね。フロアも違うし。アタシのこと知ってた?」


 大須賀は、自分の顔を指さして、すまし顔を作った。顔の造りも化粧の色使いも、やはり派手だ。一目見ればまず忘れられそうにないその容貌には記憶があったが、大須賀の所属する第8部に縁のない美紗は、彼女の名前をおぼろげにしか把握していなかった。

 統合情報局に異動して一年が過ぎ、すでに指導役の松永からも独立して、若手なりに一人前の仕事をもらってはいたが、自分の業務と接点のない人間関係を広げる余裕まではなかった。もともと内気な性格の上、メンター役になってくれた吉谷に、これまで甘えすぎていた感もなくはない。


 自分とは対照的な相手に、美紗は緊張しながら挨拶をした。外見も中身も賑々しい「ライバル」は、満面の笑みで歓迎の意を示した。


「今更だけど、大須賀めぐみです。よろしくね。鈴置さん、めっちゃ若いよね。今度飲みに誘ったりしたら……、まだ駄目なのかな?」


 メイクに気合を入れるのが趣味らしい大須賀から見ると、童顔で化粧っ気もない美紗は十代に見えるらしい。

 美紗はわずかに顔を曇らせた。初対面に近い人間には、必ず同じようなことを言われる。仕事は覚えれば徐々にスムーズに回るようになるが、童顔で頼りなさそうな見かけはどうにもならない。


「美紗ちゃん、こう見えてもお酒強いんだって。ちなみに、四大出の新卒入省、今年で四年目だよ」


 会話が途切れそうになるところを、吉谷が絶妙にフォローした。大須賀は「そうなんだ、ごめーん」と軽く流すと、指で数えて、

「ん? ……ってことは、今、二五か六? じゃあ、四捨五入するとアラサーの仲間入りだあね?」

 と、妙に嬉しそうな声を出した。


「いいなあ、若く見えて。それに、一日中、日垣1佐を見てられるんでしょお?」


 スーツの中に窮屈そうに収まる大きな胸の前で手を組んだ大須賀は、太いアイラインの入った目をしばたたかせ、羨ましげに美紗を見た。

 「ライバル」は、予想していたよりずっと友好的なタイプのようだ。少し安心したものの、再び日垣の名前を口にされると、やはり落ち着かない。

 何と答えようかと戸惑う美紗の代わりに、また吉谷が話に入った。


「そうでもないって。第1部うちの部長は不在のこと多いし、いても部長室に籠ってるから」

「でもお、同じフロアってだけで、羨ましい。あの人、カッコイイよねえ。そう思わない?」


 大須賀のあまりにストレートな物言いに、美紗はひきつった笑顔だけを返した。いわゆる「社内恋愛」は、もう少し密やかに展開するものだと思っていた。このアグレッシブなライバルは、ただふざけているのか、それとも、敢えて主張して周囲をけん制するつもりなのか。

 どちらにしても、自分にはとても勝ち目はなさそうに思えた。あの人を好きになったかもしれないと気付いてから半年以上、ただその気持ちを抱えたままの自分には……。



 微かに沈んだ表情を浮かべる美紗の横で、大須賀は嬉々として第1部長の話を吉谷に延々と聞かせた。途中で何度か女子更衣室の扉が開き、数人が出入りしたが、全く気に留める様子もない。

 ついには、美紗に向かって、

「鈴置さんとお近づきになれたのは、きっと神様の思し召しだわあ。今度、直轄チームに遊びに行っていい?」

 と言って、艶っぽく口角を上げた。どうやら、美紗をダシにして、直轄チームに入りびたり、第1部長を眺めようと企んでいるらしい。


「人間ウォッチングは一人でやりなさいよ。ホント、今度のレセプションには、メグさんこそ連れて行きたいわ」


 呆れながらも、大須賀を親しげに愛称で呼んだ吉谷は、弁当箱を手早く片付けると、ゆったりと缶コーヒーを飲み始めた。


「あ、さっき言ってたレセプション? それ、何なんですか?」

「昔、東欧に駐在してた時に知り合ったフランス人の友達が、今、在京大使館に勤めててさ。金曜に革命記念日のレセプションやるから、って招待してくれたの。他の知り合いも結構来るみたいで」

「わお、なんかセレブな感じ。ご飯もワインも期待できそうじゃないですか」


 大須賀は、直轄チームにいる1等空尉と同じようなことを口にした。


「お子さんは旦那さんに?」

「うん。その日は、たまたま会社の行事か何かで、半日で帰れるっていうから。でもさ、私、いつも定時上がりで子供迎えにいってる身だから、飲み会みたいな場所に顔出すのはなんだかね。他の人に悪いなあと思ってたんだけど……」


 吉谷が長を務める総務課文書班は、内部部局の文書課などと違い、取り扱う対象が統合情報局内のものに限られるため、さほど業務量は多くなかった。課業時間外に突発的な対応を迫られることも、ほとんどない。

 それでも、子育てをしながら働く者としては、班員や調整先の人間と良好な関係を維持するために、細かいところで気を遣わずにはいられないようだった。


「別にぃ、関係ないじゃないですかあ」


 大須賀は先輩の気がかりをあっけらかんと吹き飛ばした。


「なんぼ残業するかより、効率でしょ? うちで吉谷さんより効率的な人、いませんって」


 ローズピンクの大きな口が陽気に笑う。吉谷が十歳年下の大須賀と旧友のように仲が良いのは、彼女のひどく鷹揚な性格が気に入っているからなのだろう、と美紗は思った。

 そんな「ライバル」が、少し羨ましい。


 吉谷は大須賀につられてクスリと笑うと、

「でも結局ね、仕事として出ることになったの」

 と、肩をすくめた。


「お仕事?」

「うん。最初の一時間くらい、第1部長殿の奥さん役をしろって言われて」


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