送別の宴(1)


 統合情報局第8部の大須賀恵が「直轄ジマ」に乗り込んできたのは、三月初めの、名残の雪がうっすらと都会の空を舞った次の日のことだった。



 ドアを乱暴に開けて第1部の部屋に入ってきた大須賀は、鼻息も荒く美紗の席へと歩み寄った。「直轄ジマ」とその周辺の席に座る者たちが、豊満ボディの女性職員を揃って凝視する。しかし、当人はまるで意に介さず、「美紗ちゃん!」とフロア中に響くような大声を出した。


「日垣1佐、異動なんだってえ? 知ってたあ?」

「先月の終わりくらいから、噂だけは、ちらほら……」


 美紗は目の前に迫る大きな胸を見つめながら、しどろもどろに言葉を返した。


「そうだったんだあ! 何で教えてくれなかったのよお!」

「その時は、噂程度の、お話だったので……」

「日垣1佐がいなくなっちゃうなんて、来月から私、どーやって生きてったらいいの? こんな不毛な場所で、彼だけが私のオアシスだったのにぃ」


 大須賀は、あっけにとられる「直轄ジマ」一同の前で歌劇のヒロインよろしく天井をふり仰ぎ、一人で好きなだけ喚き散らした。


「ああ、一度でいいから日垣1佐としっとり飲みたい人生だった。ねえ、送別会とかしないのお?」

「総務課の主催で一席設けるそうですけど、各部の部長とうちの部の課長以上が対象らしいので……」

「そっかあ。それじゃ、ちょっとね。もう少し手ごろな会があったらいいのに。直轄チームではなんかやんないの?」

「片桐1尉の送別会の時に日垣1佐にも入ってもらえたら、って話してはいるんですけど、日垣1佐はお忙しいので……」


 美紗の言葉が終わらぬうちに、大須賀はバッチリとメイクの入った目をカッと見開いた。


「それ、私も入れて!」

「でも、日垣1佐が来られるかどうかは」

「なんとかしてよお!」


 大須賀は美紗に掴みかからんばかりに迫った。そして、後ずさりする美紗から窓際に座る直轄班長のほうに顔を向けた。


「松永2佐、お願いします! 何でもしますから何とかしてください!」

「えっ何? 俺?」


 急に話を振られたイガグリ頭は、襟なしジャケットの下でゆさりと揺れた巨大な膨らみにうっかり視線を止めてしまった。


「な、何とかって、ななな、何を何する話?」

「送別会に入れてください!」

「あー、アナタを?」

「1部長もです!」

「そ、そういうことは、……幹事に任せてっから!」


 完全に気圧された2等陸佐は、助けを求めてずんぐり体形の海上自衛官を見やった。

 大須賀は、松永の視線を追い、露骨に不快そうな表情を浮かべた。しかし小坂は、怯むことなく不敵な笑みを浮かべると、大仰な咳払いをして立ち上がった。


「そう、オレが幹事サマだ。で、今の話、条件次第ではどうにかできなくもないかなあ」

「条件? 何ですかそれ」


 鮮やかなピンク色の唇が、警戒感たっぷりに尖る。それをからかうかのように、小坂は丸い顎に手を当て、したり顔で大須賀をじっと見つめた。


「オレの『幹事補佐』をやってくれたら、日垣1佐のスケジュールをなんとか押さえてやってもいい」

「幹事の仕事しろってことですか? いーですよ。私、幹事役は不得意じゃないですし」

「だーかーら、幹事じゃなくて幹事の補佐。幹事のオレを助けるの。いろいろ打ち合わせしたいから、取りあえず近々に昼飯でも一緒に食って……」

「はあ?」


 大須賀が己より年齢も立場もやや上になる3等海佐を無遠慮に睨み付けると、他の制服たちは一斉にゲラゲラと笑い出した。


「ちょっと無理があるんじゃないですか?」

「無理な上にセコい」

「幹事の職権乱用もいいとこだな」


 まるで援護する気のない同僚たちを無視して、小坂はじっと大須賀を見据えた。豊満ボディとずんぐり体形が、美紗を挟んで対峙する。


 先に口を開いたのは大須賀のほうだった。


「いいですよ、小坂3佐」

「へっ?」

「打ち合わせでもランチでも、行きましょーよ」

「ホントっ? やったー!」


 小坂は途端にいつものガキ大将のような顔に戻ると、「直轄ジマ」の一同がどよめく中、派手なガッツポーズをした。


「日垣1佐の出席を取り付けたら、ですけどね」

「任せといてえ!」


 幹部らしからぬはしゃぎぶりに、近くの総務課と少し離れた会計課から忍び笑いが聞こえてくる。

 大須賀は、美紗だけに聞こえる声で「マジ小僧じゃん……」と呟くと、忌々しそうに胸を揺らしながら去って行った。



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