極秘会議(1)
「引き続き、第六セッションに入らせていただきます。当セッションの参加者及び内容に関する事項は、部外には一切……」
日垣の声が聞こえた。
誰もいなかったはずの部屋に、いつの間にか、複数の人間がいる気配がした。小さな話し声や椅子に座り直すような物音が聞こえる。
美紗は、自分が部屋を出そびれたことを悟った。話が一区切りついたところで、外に出してもらえばいいだろうか。このままこのセッションの議事録取りをやってもいいが、それでも上官の了承を得ておく必要はある。
美紗が顔を出すタイミングを図っていると、日本側の出席者を紹介していた日垣が、奇妙なことを口にした。
「先のセッションにも参加しておりました、こちらの
人が椅子から立ち上がる音がした。
美紗は、テーブルの下に座りこんだまま、簡単に挨拶をする男の声に耳を澄ました。
確かに、先のセッションで聞いた覚えのある声だった。日本側の出席者が座っていたテーブルにその2等陸佐の名前を記した名札が置いてあったのも、記憶にある。四文字の氏名の上には、日垣が言ったとおり「内局調査課」という所属のみが付記されていた。
便宜上異なる肩書を表記していたとは、どういうことなのだろう。
そもそも美紗は、自分自身が勤務している統合情報局第1部に属するという「対テロ連絡準備室」という名前を、全く耳にしたことがなかった。
日垣は、準備室長に続き、彼の配下にあるらしい三名の人間を紹介すると、その場にいない四人目について言及した。
「高峰3等陸佐は、現在は、対テロ連絡準備室と外部一般との連絡要員ですが、テロ問題担当の専門官として、情報ネットワーク立ち上げ後は、国外情報機関と非公式に連携する際の調整窓口の責務を担うことになります」
美紗は、せっかく見つけたUSBメモリを取り落としそうになった。同じ「直轄ジマ」でいつも口ひげをいじっている高峰が、聞いたこともない部署に籍を置いていた。その事実が何を意味するのか、理解できなかった。
「いずれ、貴国にもお世話になるはずですので、この場で顔合わせさせる予定だったのですが、やんごとなき事情で本日は当人が不在でして。セッションの進行役だった彼の代理も、私が務めている次第です」
「それで
米側のジョークに、和やかな笑いが起こった。続いて、明瞭なネイティブの英語が喋り始めた。
「こちらからも、一番奥の一名のみ、改めて…」
友好的な雰囲気で話す「お客」は、一人の名前を上げると、
「彼の本来の所属はCIAです」
と、さらりと付け加えた。
スパイ映画によく登場するCIA(米中央情報局)は、政治的影響力を行使する米国の諜報機関で、軍事分野の情報活動に特化した軍の情報組織とは一線を画している。
美紗が働く統合情報局は後者に属し、そのカウンターパートはあくまで、米国防省の管轄下にある国防情報局だった。政治色の強いCIAとの付き合いはあり得ない。少なくとも表向きはそういうことになっていた。
美紗は、ようやく「次のセッションには出なくていい」というようなことを言っていた比留川の真意に気付いた。「出なくていい」のではなく、出てはならなかったのだ。
それならそうと、なぜはっきり言ってくれなかったのだろうか。そういう位置付けの会議であるということすら、秘匿する必要があったのか。
どうしよう……
中身の話が始まる前に外に出たほうがよさそうなことだけは分かった。しかし、参加者の中にCIAの人間がいることを、すでに聞いてしまっている。誰の目にも留まらずに部屋の外に出る方法を考えたほうがいいかもしれない。
美紗は、書類ケースをしっかり抱きかかえ、右手にUSBメモリを握りしめた。テーブルの下から静かに這い出て、背をかがめたまま、暗い部屋の中を出口のほうへと移動する。
その合間にも、日垣は、セッションの概要説明を始めた。先ほどと同じく、国際テロ組織に関する事柄がテーマだったが、話の焦点は、自国内に浸透しつつあるテロ勢力への対処という点に置かれているようだった。
国内治安に関する問題は、海外の犯罪組織が関与するものであっても、原則的には警察の管轄である。そのような話を、なぜ防衛省の一機関である統合情報局が、海外の情報機関と討議しなければならないのか……。
不思議に思いつつも、美紗は、ドアに一番近いテーブルの傍までたどり着くと、キャスター付きの大きな椅子を僅かに動かして、そのテーブルの下に身を隠した。
美紗の潜む場所のひとつ隣のテーブルからモニター側にかけて、日本側の出席者が四人ほど座っている。人目に付かずに外に出るのは難しそうだった。なにより、部屋の一同に気付かれずにドアを開閉するのは、まず不可能だ。
会議が終わるのを待つしかない。美紗は観念して身を丸くした。
急に、日垣の声が明瞭に聞こえた。
「……以上が、件の組織の、我が国における活動の現状です。詳細は、この後、準備室長の藤原2佐が説明しますので、ご質問があればその時にお願いします。これをひとつのケーススタディとして、公安機関との協力の在り方について、貴国からご助言をいただければ幸いです。なお、この案件に関する情報は、いかなるものも、部外に流出しますと情報提供者の立場を著しく害する可能性がありますので、その点はくれぐれもご留意願いたく……」
美紗は凍り付くような緊張感に襲われた。これから話題にあがろうとしている内容がどのような秘区分に該当するのかは分からないが、セキュリティ・クリアランスの取得手続きが終わっていない自分がアクセスしていい類のものでないことだけは、間違いない。
少しの間をおいて、「対テロ連絡準備室長」と肩書を訂正された2等陸佐が、日垣よりややぎこちない英語で、相手国向けの詳細説明を始めた。
美紗は、書類ケースを絨毯敷きの床の上に置くと、その場にうずくまって両耳をふさいだ。
人の生き死にに関わるような、そんな恐ろしい話は聞きたくない。
毎日、何食わぬ顔で美紗と顔を合わせながら、そのような生々しい案件に関与していた上官と高峰の「本当の姿」は知りたくない――。
心臓の鼓動が体中に響いて、人の話し声はほとんど聞こえなくなった。胸が締め付けられるように痛み、息が苦しい。このセッションが終わるまで、物音ひとつ立てずに、テーブルの下でじっとしていられるだろうか。
そう思ったとたん、別の恐怖感が美紗の頭の中に広がった。
見つかったらどうなるのだろう。
空調が効いているはずなのに、首筋を汗がつたうのが分かる。胸から胃のあたりにかけて、圧迫されるような違和感が生じ、それが徐々に、鈍い痛みに変わっていく。
小さく呻きそうになって、美紗は慌てて両手で口元を押さえた。自分の息遣いが、部屋中に聞こえているのではないかと思うほど、やけに大きく感じる。呼吸を静めようとすればするほど、息苦しさは増していった。
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