略奪者との対決(3)

 目を見開いた美紗に、八嶋は我を忘れたように喋り続けた。


「そういうの、おかしいと思わない? たまたま一緒にいたからって、それだけでばくに栄転なんて! だいたい、吉谷さんは子供がいるから残業できないのに、そういう人がどうして幕勤務になるわけ? 話を受ける方も受ける方だよね。はっきり言って、厚かましいもいいところじゃない! 地道にやってる人は他にもたくさんいるのに!」

「でも、吉谷さんは……」

「だからこの間、日垣1佐に言ったの。語学では吉谷さんに負けない自信あるし、私のほうが使い易いはずだから、空幕のポストに推薦して欲しいって。渉外班にはもう三年近くいるし、そろそろステップアップしたいのに、うちの班長にそういうこと話しても、全然埒が明かないから」

「じゃあ、あの時、話してたのは……」


 エレベーターホールで八嶋が第1部長に訴えていたのは、己の人事に関する話だったのか。日垣の前で泣いているかのように見えた時、当の八嶋の心の中は、日垣貴仁ではなく、希望の配置先のことで一杯だったのか。


 彼の胸に頭を寄せていた八嶋の姿が、再び鮮明に思い浮かぶ。


 彼の制服に触れる黒い髪。

 全身を痺れさせるような不快感――。



「そんな、そんなことで……!」

「そんなこととは何よ!」


 声を震わせる美紗に、八嶋は激しく言い返した。


「運がいいだけで直轄チームに入ったよそ者に、そういう言い方される筋合いはないと思うんだけど? 私は、学部卒で現地経験もないっていう理由で、地域担当部には配置されなかった。三カ月の短期留学じゃ『留学』とはみなしてもらえないし、外資での勤務経験も考慮されなくて。院卒の人とかに大きな顔されて、今のところでずっとやってきたんだから。いつかは専門官に繋がるポストに就けるって言われたまま、ずっと……」

「でも、渉外のお仕事も、とても専門的じゃないですか」

「技能的にはね。でも、いくら会議通訳なんか出来たって、主役は中身を語れる人のほうでしょ? 専門官の地位とは雲泥の差なんだよね。担当者レベルの会議なら、通訳はまず要らないし。海外機関との仕事にしたって、調整事務をやってる私自身が海外研修に出られるわけじゃないし。そういうプログラムに参加するのは、専門官かその卵たちばっかり。渉外班にいても全然いいことないんだから」

「でも、だからって、あんなことを……!」


 八嶋香織のすべてに、激しい拒否感を覚えた。利己的な不満を気安く日垣貴仁にぶつけるという行為が、どうしても許せなかった。冷静に話せば済む内容を彼に感情的に訴えたことが、何とも我慢ならなかった。

 無神経な言動のせいで、あの人の体面に関わるような噂まで流れたのに……。


 美紗は、わけもなく涙がこぼれ出そうになるのを堪え、八嶋香織をじっと睨んだ。一方、好きなだけ言い散らかして満足したらしい相手は、不可解そうな顔を向けてきた。


「あんなこと、って、何の話?」


 美紗は、続きの言葉に詰まり、口を閉じた。八嶋と日垣のやり取りを物陰で聞いてしまったなどと言うわけにはいかない。思考の激流が、行き場を失って体中を支離滅裂に駆け巡る。


「私が何したっての」


 八嶋は、震える唇を噛む美紗に半歩詰め寄り、そしてふと、横のほうに視線を移した。

 複数の人間がざわざわと話しているのが聞こえる。

 美紗も声のするほうに目をやると、第1部長室から制服と背広の男たちがぞろぞろと出てくるのが見えた。課長会議が終わったようだった。


 一団が散っていくのを見やりながら、八嶋は肩をすくめて軽くため息をついた。


「意外と時間取っちゃったかな。ごめんね。それじゃ」


 たわいない立ち話でもしていたかのように、八嶋は右手を軽く上げると、足早に立ち去っていった。

 その場に残された美紗は、呆然と亜麻色のワンピース姿を見送った。息苦しいほどの動悸は、なかなか収まらなかった。


 美紗が座る直轄チームの末席は、第1部長室が一番よく見える場所だ。目の前に座る片桐の肩越しに、部屋を出入りする日垣貴仁を一日に何度も目にする。個室にいる時の彼は誰に対しても厳しい目を向けているが、騒々しい「直轄ジマ」の雑談に交じる時の彼は、いつも穏やかな笑みをくれる。

 美紗は、そのどちらの姿を見るのも好きだった。今の配置を八嶋香織に取って代わられたくないと思うのは、他人を己のキャリアアップに利用しようとする彼女と同じ程度に、身勝手なことなのだろうか……。



 ふいにクリーム色の制服が視界を遮った。


「なんだ鈴置、こんなところで何してる」


 イガグリ頭が、備品類の山の傍で立ち尽くす美紗を、怪訝そうに見下ろしていた。


「あ、その……、すみません」

「何か探してるのか。備品を好き勝手いじると、後で総括班の奴らがうるさいぞ。置き場所が分からなかったら、奴らに聞いたほうがいい」


 そう言いながら、松永はちらりと背後を振り返り、再び美紗のほうに向きなおった。


「まあ、『シマ』よりこっちのほうが話し易いからちょうどいいか。突然なんだが鈴置、渉外の仕事は興味あるか?」



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