寒月の照らす窓辺(1)


 眼下に広がる街明かりは、真冬の寒さに震えるように、ちらちらと瞬いていた。それをぼんやりと眺めながら、美紗は独り、幅の広いベッドの端に座り、ほの暗い部屋の中でただ彼を待っていた。



 なぜ、話してくれなかったの

 迷惑はかけないと言ったのに


 あの人が東京を離れる時が来たら

 笑顔でさよならを言おうと決めていたのに


 私がずっと願っていたのは

 さよならを言う日が少しでも遠くなることだけだったのに




 日垣貴仁が異動するらしい、という噂話を唐突に聞かされた後、美紗は早々に吉谷と別れ、統合情報局第1部のフロアに戻った。

 自席からほど近い所にある第1部長室を見やりながら、事の真偽を当人に尋ねるべきか逡巡した。


 彼が自ら話そうとしないことを問い詰めるような真似は、したくなかった。しかし、昼休みに吉谷と会っていなければ人事発令で初めて彼の異動を知ることになったのかもしれないと思うと、耐えがたいほどに悲しかった。



 結局、忙しい第1部長とは言葉を交わす機会もなく、美紗は八時過ぎに職場を出た。建物の外に出ると、身を刺すような冷たい風に吹かれた。


 薄暗い敷地の中を正門に向かって歩き、ふと立ち止まって統合情報局が入る棟のほうを振り返った。まだすべての階に明かりがついていた。日垣貴仁の個室がある十三階の窓も煌々と光っていた。


 職場に残る彼は、その部屋で、鈴置美紗のことなど忘れて仕事をしているのだろうか。それとも、人事の話でもしに、どこかへ出向いているのか……。

 そんなことを思い、美紗は、薬の副作用とは違う不快感に胸を押さえた。


 正門を抜けると、家路を急ぐ人の姿も、大通りを行き交う車も、すべてが滲んで見えた。麻痺した意識を抱えながら、地下鉄に揺られ、駅の階段を上がった。食事もせずに、いつもの場所へ向かった。


 そして、彼の私用携帯のアドレスに、短いメールを送ってしまった――。





 さよならもない別れだけは、嫌だ

 

 ベッドの上で、美紗は膝を抱えた。


 ここに来て

 ちゃんと話して

 迷惑はかけないから――



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