第五章 イオティカ丘陵の戦い 4
自由革命軍の騎兵部隊を率いていたのは、かつてデスピナに仕えていた異国出身の男、ジェルメであった。
カタラス城が陥落したとき、ジェルメは自由革命軍の捕虜となった。その指導者であるルクスとシルバーの前に、彼は引き出された。おもむろにシルバーは白銀の兜を取り外した。見覚えのある顔を見出したとき、ジェルメは納得したようにヘーゼル色の瞳を輝かせた。
「やはり、あなたでしたか」
デスピナの母エウドキアの正体が魔女であると看破したジェルメだ。シルバーがエッツェルであることに気付いていても、おかしくはない。
「ジェルメ。俺はお前の見識と能力を高く評価している。俺たちの仲間になれ」
精悍な異国の男は、険しい顔つきでエッツェルを見上げた。
「デスピナ様の仇である、あなたに仕えよと?」
「そうではない」
エッツェルは、首を振った。エッツェルが「憎い主君の仇」である限り、ジェルメは決して彼に従うことはないだろう。
「わたくしは、賊軍に下るつもりはない。まして主君の仇に仕えるつもりはない」
「ならば問おう。なぜ今日の事態があるのか、お前に分かるか?」
ジェルメは、沈黙する。エッツェルが何を言わんとしているのか、分かりかねている様子だ。
「お前は、あるじを選ぶことに失敗した」
あえて挑発的に、エッツェルは断定した。
「最初にお前が仕えたのは、自分が生まれた国の王だった。
祖国の王は、忠義の人として知られていたジェルメの父を殺した。デスピナはよそ者であるジェルメの能力を認め、重用したが、魔女の力に呑まれて敗北した。ジェルメほどの男の主君としてふさわしかったとは、思えなかった。
「誰に仕えるかを決めるためには、何のためにそのあるじに仕えるのかを、考えるべきだろう」
「わたくしの望みは、民がよき暮らしのできる国をつくること。そのためにデスピナ様を導き、よき皇帝に仕立て上げるつもりだったのだが……」
「よき王、よき皇帝だけが、よき国をつくることができるのか?」エッツェルはせせら笑った。「お前が仕えていたのは、王でも皇族でもない。結局のところ、お前はその血統に仕えていたにすぎない。お前が仕えるべきは、そんなものではない。お前は、民に仕えるべきだ」
「民に……?」
「そうだ。よき国を作りたいのだろう? 公平で公正な、人々が穏やかに、笑って暮らせる国を作りたいのだろう? であれば、お前が仕えるべきは、王でも皇族でもない。民だ」
「……」
「俺が自分の正体を明かし、我こそは皇子エッツェルである、暴君アレクサンデルを打倒せんと志す者は我の下へ集え、と宣言すれば、多少は従う者も出てくるかもしれない。だが、俺はそんなことをするつもりはない。この反乱は、民が主役だからだ。名もなき民たちが自ら武器を取り、暴君に対して立ち上がった。それこそがこの反乱の歴史的意義だからだ。俺は、そのささやかな手伝いをしているにすぎない」
「では、あなたはこの反乱が成功しても、自らが皇帝になるつもりはないと?」
「……少なくとも、民が望まない限りはな」慎重に、エッツェルは言葉を選んだ。「俺に仕えろとは言わない。民に、仕えろ。今、この国の民は暴君の支配から逃れて新しい国を打ち立てようとしている。お前はデスピナの母を偽者だと見破った。真実を見抜く目を持った稀有な存在だ。その目で、何をなすべきかを見極めてみろ」
魔女は、他人を欺き自らの存在を受け入れさせる能力を持っている。ゆえに、誰もデスピナの母エウドキアの正体に気付かなかった。ただ一人、ジェルメだけがその力に打ち勝ったのだ。
「一つだけ、お尋ねしてもよろしいですか」
「何だ」
「もしわたくしが、エウドキア様が偽者であると気付かなかったら、あるいは気付いていても行動に移せなかったら、どうするおつもりだったのですか」
「たった一つの可能性のみに賭けるほど、俺は愚か者ではないさ。策はいくつか用意していた。その中の一つが、上手くいったというだけのことだ」
「……ということは、わたくしがここで『
ふっ、とエッツェルは笑った。ジェルメの察しの良さが、心地よかった。
「分かりました。一度は捨てたつもりのこの
「待たせたな、姉貴!」
馬上から声を張り上げたのは、カルラの弟、エッカルト・アードラーである。彼はジェルメとともに、騎兵部隊を指揮して戦場に駆けつけたのだ。
エッカルトが勇ましく味方を鼓舞して先陣を切り、後方でジェルメが冷静に部隊全体の指揮をとる。性格も出自もまるで異なる二人の組み合わせが、意外な効果を発揮した。革命軍の騎兵部隊は、鎌首をもたげてジシュカ軍へと襲いかかった。
「まずいな……これでは挟み撃ちだ」
ジシュカは、渋い顔をした。敵は第二の策を用意していたのだ。奇襲によってジシュカの首を取れなかったときは、とにかくジシュカ軍を丘から引きずり下ろし、そこを騎兵部隊で蹂躙するという手筈だったのだ。
「だが、私にも備えがないわけではないぞ」
ユスティーナに指示し、さらに全軍の陣形を変えさせる。無傷で控えさせていた部隊を、敵の騎兵部隊に当たらせる。
それを率いていたのは、若きヴェルフェン伯ルーヴェであった。先日は見事な騎兵の指揮でネフスキー軍を蹂躙した彼であるが、シルバー隊の奇襲で馬をすべて失っているため、部隊の全員が徒歩であった。
「ジシュカ殿下には、手を触れさせない!」
ルーヴェは迫り来る敵を一喝した。少年らしい、若々しい凛とした声は威厳に満ちたものとはいえなかったが、彼の強い心意気を示すものではあった。
手にした槍を振り回すと、不可視の刃が放たれて、先頭に立つエッカルトの馬を襲った。刃は正確に馬の脚を切断し、エッカルトは馬から崩れ落ちる。
『竜騎神槍メリザンド』は、徒歩で騎兵と対峙する状況に特化した魔導戦器である。その絶技『閃刃』は連続して放つことができ、疾駆する馬を正確に狙い撃つ。
立て続けに、ルーヴェは『閃刃』を放った。エッカルトに続いて、革命軍の騎兵が次々とやられていく。
むろん、いくら魔導戦器を装備していても、たった一人の戦士が騎兵の大軍を相手にすることは不可能である。だが、今回のような比較的小規模の会戦においては、絶大な効果を誇るのだ。
たった一人の少年のために、騎兵部隊は蹴散らされていった。
「……そろそろ、限界か」
その言葉がエッツェルの口から放たれたとき、シャルロットは彼が自軍の敗北を悟ったのかと考えた。だが、そうではなかった。エッツェルの顔には、余裕があった。すでに彼の頭の中では、勝利の方程式が完成しているかのようだった。
ほどなくして、その理由がシャルロットにも分かった。ジシュカ軍が騎兵部隊に気をとられている間に、戦況はまた別の局面へと移行しつつあった。
カルラ・アードラーと彼女に率いられている少数の部隊が、ついにジシュカ軍の本隊へと斬り込んだのである。
「どきなッ!」
カルラが雷霆のような叫び声を上げると、次の瞬間、敵の首が弾け飛んだ。カルラの手に握られた斧は、並みの魔導戦器よりも恐ろしい殺人兵器だった。
カルラは敵将ジシュカの下へと肉薄した。ルーヴェが後方で騎兵部隊を食い止めていることもあり、本隊はこのとき比較的手薄であった。護衛の兵士が二人、カルラの前に立ち塞がって必死に主君の下へ寄せ付けまいとする。だが、時間稼ぎにもならなかった。カルラの斧によって、一人は身体を上下に、もう一人は左右に真っ二つに切断されて、血まみれの肉塊と化した。
「化け物か……この女」
さすがのジシュカも焦った。『竜騎戦盾テストゥード』を構える。だが、凄まじいカルラの気迫は、魔導戦器すら叩き割ってしまいそうである。
「殿下、お下がりください!」
そのとき、凛とした声が響き渡り、ジシュカとカルラの間に、革の鎧をまとった華奢な人影が割って入った。
「ユスティーナ!」
ジシュカが驚きの声を上げると、彼の秘書役を務める女騎士が、長剣を握り締め、毅然とした態度で声を上げた。
「ここは、わたくしが!」
「お前では無理だ。下がれユスティーナ!」
忠実な女騎士は、初めて主君の命令を無視した。不敵に笑って斧を振りかざす敵の女丈夫に、丸盾をかざして立ち向かう。
カルラの一撃を、ユスティーナが丸盾で防ぐことができたのは、奇跡のような偶然だったのだろう。それぐらい両者の実力差は明らかだった。再び放たれたカルラの斬撃を、ユスティーナはまたも丸盾で防いだ――つもりだったのだろうが、ユスティーナの細腕はその攻撃に耐え切れなかった。悲鳴とともに彼女は丸盾を取り落とした。
三発目の攻撃を、ユスティーナは今度は長剣で受け止めた。それが致命的な失敗だった。長剣はいとも簡単に真っ二つに折れ、そのままカルラの斧が、ユスティーナの胸当てを容赦なく叩き潰した。
「ユスティーナ!」
象が小鼠を踏み潰すかのようだった。鮮血が赤い薔薇のように乱舞し、ユスティーナの身体は宙を舞った。
「邪魔なんだよ、小娘」
悪魔のような表情で、カルラが笑った。血に塗れた斧を、今度はジシュカに向ける。ジシュカが死を覚悟したその瞬間、慌ただしくがちゃがちゃと鎧の音が鳴った。ヴェルフェン伯ルーヴェが部下たちを率いて戻ってきたのだ。
ルーヴェは迷わなかった。狙いすました『閃刃』の絶技が、斧を持つカルラの手首を襲った。速くて正確な一撃だった。激しい出血とともに、カルラは斧を取り落とした。
「ジシュカ殿下に近づくな、下郎が!」
「小娘の次は、声変わりもしていないような小僧か。政府軍も、人材豊富だこと」
悪態をつきながら、カルラは手首を押さえて後退し、ジシュカの殺害を断念した。ルーヴェと部下たちが人の壁を作り、革命軍の猛攻を食い止める。
ジシュカは蒼白になって、倒れ込んだユスティーナに駆け寄った。
「ユスティーナ! 死ぬな、ユスティーナ! 返事をしてくれ……頼む、私のユスティーナ!」
胸からおびただしい量の血を流しながら、かろうじて、ユスティーナは声を絞り出した。
「ああ……殿下、ご無事でようございました」
「私のことなどどうでもいい!」ジシュカは自暴自棄になって叫んだ。「誰か、ユスティーナの手当てを!」
「無駄です……この、血の量では……」ユスティーナの視線は、焦点が合っていない。「あなたは……わたくしのことを『私のユスティーナ』と呼んでくださいました。そのとおり、わたくしの身は、あなた様のものです。ですが、あなたはわたくし一人のものではありません。どうか、ご自愛ください」
「何をばかなことを! 死ぬな、ユスティーナ!」
「あなたをお守りできて、私は幸せでございます……。ジョフィエも、こんな気持ちで逝ったのね……」
それが最期の言葉だった。ユスティーナの身体は、ぴくりとも動かなくなった。妹のジョフィエに続いて、姉のユスティーナもまた、ジシュカを守るために若い生命を散らしたのである。
「そんな……嘘だ……」
ユスティーナは、騎士階級の娘にすぎない。ジシュカが至尊の座に登り詰めても、皇妃に冊立される可能性はなかっただろう。だが、それでも愛していた。かけがえのない女性だったのだ。
「貴様ァ……殺してやる!」
味方に守られながら後退するカルラの姿を睨みつけて、ジシュカは叫んだ。初めて見る主君の取り乱した姿にぎょっとして、ルーヴェが困惑の表情を浮かべた。
「あの女の首を取れ!」ジシュカはわめき散らした。「全軍が玉砕してでも、あの女の首を取るのだ!」
ルーヴェは、蒼ざめる。普段のジシュカならば絶対に出すことのない、およそまともとはいいがたい命令だった。
「いい加減にしろよ!」
激昂とともに、ジシュカの頬を誰かが殴りつけた。
ジシュカが驚いて目を見開くと、彼が部下に加えたばかりの書記官ベータルの姿がそこにあった。かつてネフスキーの参謀を務めていたこの男は、烈火のような怒りを込めて、ジシュカにくってかかった。
「あんた、オレにこう言ったよな。『私にお前の主君たる器量がないと分かったら、いつでも見限ってくれてかまわない』って。ふざけんなよ馬鹿野郎。あんたの器量とやらは、その程度のものだったのか? あんたはここで終わるようなゴミカス野郎なのか? あんだけ大口を叩いたんだから、オレの主君たるにふさわしい器量とやらを、見せてみろよ!」
ルーヴェをはじめ、ジシュカの側近たちが肝を潰したような顔をしている。主君にも物怖じしないベータルの不遜さは、ジシュカに新鮮な驚きを与えた。この男を見出したネフスキーという男も、そうとうな度量の持ち主だったのであろう。
「よく言ってくれた。怒りで判断を鈍らせるところだった」ジシュカは冷静さを取り戻した。「兵を引くぞ。生きて帰ることこそが、彼女の忠節に報いる道だ」
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