第三章 自由革命軍 4

 選抜隊には、虹色の槍を手にしたセミロングの金髪の娘も加わっていた。劇場へと向かう石畳の道を軽快に駆けながら、シャルロットは険しい顔つきでエッツェルを睨みつけた。

「あたしはまだあなたを味方として受け入れたわけじゃないからね」

 だろうな、とエッツェルは思う。この娘には、警戒心を抱かれて当然だ。

「ルクスはまだしも、あたしの名前まで知っていたのは、不自然だわ」

 ゲマナ城で対峙した時の話である。『心眼の加護』で彼女の心を読んだエッツェルは、シャルロットの名を口にしたのである。

「俺にも、独自の情報網くらいはある」

「それに、戦ってたときの、あの不思議な光。あれがなければ、あたしはあんたにとどめを刺せてた。あれは何? あの後、あなたの様子は、ずいぶんとおかしかったわ」

『加護』の力を得たときには、彼自身、混乱し、戸惑っていたのである。やむを得ないこととはいえ、シャルロットに警戒心を抱かせてしまったのは失敗だった。

「ならば問おう。お前が村の仲間の仇を討てたのは、誰のおかげだ?」

「た、確かにフェルセンを討てたのは、あなたのおかげだわ」

 そこを突かれると、シャルロットは弱いらしい。

「だから、監視させてもらうわ」

「監視だと?」

「そう。あなたが何を企んでいるのか。大事な局面であたしたちを裏切らないか。あなたに張り付いて、しっかりと見させてもらうわ」

「さては、この男に惚れたのだね?」メディアが横から口をはさんだ。

「はあっ!? ふ、ふざけないで」

 シャルロットは金髪を揺らして否定する。くくくっと笑って、メディアはシルバーの肩に手を置いた。

「もてる男はつらいなあ。シルバーよ」

 エッツェルは頭を振った。この女、絶対に状況を面白がっている。



 サーカス劇場は、まったくの無防備だった。革命軍がゲマナ区を制圧して以来、隣接するカタラス区には厳戒態勢が敷かれている。事実上の長期休業状態にある娯楽施設には、わずかな劇団員しかいなかった。

「降伏します、降伏!」

 舞台上で稽古をしていた小柄な男が、見た目に反した太い大声で呼ばわった。この男が団長らしい。なぜ、という顔をしている。劇場が襲われる心当たりがないからではなく、心当たりの方がなぜバレたのか分からないからであろう。

「おい」

 エッツェルが、胸倉をつかむ。彼は白銀の鎧に身を包み、兜を深く被って素顔を隠している。その異形に恐れをなしていることが、『心眼の加護』で伝わってきた。

「俺たちが何を求めてここに来たか、分かっているな?」

「な、何のことですかねえ。私どもには、さっぱり」

 団長は時間を稼ごうとしたが、『心眼の加護』を持つエッツェル相手には無駄だった。彼の心の中を読み取って、エッツェルは仲間たちに速やかに指示を出す。

「舞台袖の木箱をずらせ。そっちじゃない。右の、道化師の衣装が入っている方だ」

 言われるままに、力自慢のヴァルデマールという男が木箱をずらした。現れたのは、舞台下へと続く階段だった。

「すげえ、ビンゴだ。冴えてるぜシルバー」

「誰か外へ回って、エゲリア女神像の付近の窓を見張れ。サーカス団員が一人、そこから逃げて敵に俺たちのことを知らせるつもりだ。それから、サーカス団の猛獣係が奥の部屋に向かっている。獅子の檻を開けられる前に、拘束しろ」

 あまりに『心眼の加護』で得た情報を披露しすぎると、仲間たちが彼に不審を抱く危険がある。だが、ここでもたもたして作戦が失敗しては元も子もない。どうせ仲間たちの疑念は後でいくらでもコントロールできる。そう考えて、エッツェルは団長の頭の中にある情報をすべて吐き出した。

 団員たちを速やかに拘束すると、エッツェルたちは階段を下りた。真っ暗な部屋をカンテラで照らすと、保管棚に立てかけられている大量の剣や槍が浮かび上がった。これが横流しの武具だろう。

「へえ。ずいぶんとまあ、ため込んでやがるぜ」

「早く運び出したまえ、ヴァルデマール」とメディア。「君は力だけが取り柄なのだから、皆に貢献できるのはこんな時くらいしかない」

「分かってるって。お前、偉そうだな」

 怪力の大男ヴァルデマールは、うんざりした顔でメディアに返答し、槍を束ねて両肩に担ぎ出した。メディアは他の男たちにも、運搬の指示を下し始める。

 一方、エッツェルはシャルロットと数人の男たちを連れ、舞台下の全容を確認するべく、探索を開始した。舞台下には、いくつかの小部屋があるようだ。闇への恐怖を紛らわせるためか、男たちが雑談を始める。

「メディアって、態度はアレだけど、いい女だよな。何でフードを深く被って、なるべく素顔を見せないようにしてるのかは知らないけどさ」

「そりゃ、あれだ。お前みたいな下心満載の軽率男を近づけたくないからだろ」

「亡くなったルーアン公女クレアと似てるって話だけど」

「全然似てねえよ。オレ、クレア公女を遠巻きに見たことあるけど、もっとこう、笑顔の温かい、感じのいい人だったぞ」

「確かにメディアは、愛想のかけらもねえな」

「馬鹿、そこがいいんじゃねえか。あのクールなところがさ」

 突然出てきたクレアの名前に、エッツェルはどきりとした。男たちは、新参者のシルバーの正体が、クレアの婚約者だったエッツェルだとは知らない。彼女の名を出したのは、偶然だろう。

「もう、あんたたちは何かあると女の話ばっかりね!」

「シャルロットよう。お前も、もう少しおしとやかにしていれば、美人で通るんだけどなあ」

「無理無理。シャルロットを大人しくさせるのは、ここのサーカス団の奇術でも無理だな」

「そんなことはな――ありませんことよ? あた――わたくしは、その気になれば貴族令嬢のように優雅に振る舞うことができましてよ?」

「アホ、今どきそんなわざとらしい丁寧語でしゃべる貴族がおるかいっ」

 笑い声が起きる。シャルロットに皆が強い信頼感を抱いているからこその、冗談だった。エッツェル――シルバーは、まだそれほどの信頼関係を、革命軍の仲間たちと築いてはいなかった。いつか築けるのだろうか。そんな資格が、自分にはあるのだろうか。

 別の部屋には、金貨や銀貨などの財貨が貯め込んであった。物資の横流しで得たものであろう。であれば、遠慮する必要はない。ありがたくいただくことにして、運び始める。

 部屋の奥をカンテラで照らしたシャルロットが、目を輝かせた。

「あっちにも、何かありそうだわ」

「一人で行くな。敵が潜んでいるかもしれない」

 エッツェルは早足でシャルロットの後を追った。どうもこの娘は突っ走りすぎる傾向にある。

 部屋の奥には、大小さまざまの櫃があった。何か大事なものが入っているのだろう。二人並んで、一つひとつ調べ始める。

「あら、かわいいブローチね」

 光り輝くルビーのブローチを見つけたシャルロットが、明るい声を上げた。役人とサーカス団の連中が横流ししていたのは、武器だけではないらしい。

「これ、アンジェリカにぴったりかも。そう思わない?」

「ああ……そうだな」

 大貴族の娘であるアンジェリカに盗品を身に着けさせるなど、エッツェルにとっては考えられないことなのだが、シャルロットにはその感覚はないらしい。

「ねえシルバー。アンジェリカって、本当にいい子よね。あたし、貴族の子弟ってみんな誰かさんみたいに、偉そうに威張りくさっていると思ってた」

「……偉そうで悪かったな」

 自由革命軍でのエッツェルの振舞いは、半ば演技である。正体を明かせない彼が自分の地位をいち早く確立するために、強い指導者になり切る必要があったのである。別に威張っているわけではないのだが、そう取られても仕方がないとは思う。

「シルバー。あなたは、絶対に何かあたしたちに隠し事をしている。だからあたしは、あなたのことを傍で監視させてもらう。でも、あなたが政府軍を憎んでいるのは、多分本当のこと。アンジェリカのような子が幸せに暮らせる世の中を作りたいと思っているのも、本当。だからあたしたち自由革命軍に協力している。そこは、信じてもいいのよね?」

「ああ」

 シャルロットの言葉には、自分に言い聞かせるような響きがあった。おそらくルクスとも話し合って出した結論なのだろう。

「信じてくれ。虫のいい頼みだということは、承知しているが」

「じゃあ、ちょっとだけ、あなたのことを信じる」

 エッツェルの前ではいつも表情の固いシャルロットが、いたずらっぽい笑みを浮かべた。一瞬、エッツェルはどきっとした。クレアが彼をからかうときにする表情に、よく似ていた。

「よし、じゃあ、さっさと貰うものを貰って、帰るとしましょうか」

 シャルロットが手を叩いた、そのときだった。耳をつんざくような爆発音とともに、激しい横殴りの衝撃波が二人を弾き飛ばした。木組みの壁に肩をぶつけたエッツェルを、稲妻のような激痛が襲う。シャルロットはとっさに受け身を取って、無事なようだ。大きなテラコッタ製の壺が粉々に砕けて散らばっており、衝撃の凄まじさを物語っている。

「爆発……!? もしや、魔導粉まどうこに引火したのか!?」

 うかつだった。エッツェルは、ほぞを噛んだ。魔導石を細かく砕いて加工した魔導粉は、熱を帯びると爆発する性質を持ち、魔導銃や魔導砲の原料に用いられる。これだけ多様な種類の武器が納められているのなら、魔導粉もどこかに蓄えられていてもおかしくはない。最初に気付くべきだった。

 めらめらと火の手が上がっている。舞台下は木材を組み合わせて作られている。簡単に燃えてしまうだろう。

「しまった……!」

 思いのほか火が回るのが早い。退路を塞がれた。

「まずいな。シャルロット、ここは一気に……シャルロット?」

 エッツェルは、目を疑う。自由革命軍きっての女戦士は、がたがたと震えていた。目は虚ろで、顔からは血の気が引き、足元はおぼつかなかった。普段の彼女とはまるで違っていた。

「どうしたんだ、シャルロット」

「ああ……ああ……」

 様子がおかしい。エッツェルが戸惑っていると、シャルロットは母親とはぐれた幼子のような顔で、泣きながらエッツェルにしがみついた。

「母さん! 兄さん! 火が……火が……みんなを……怖い、怖いよう」

「落ち着け、俺はお前の兄さんじゃな――」

 それは突然の出来事だった。シャルロットの頭の中にあるイメージが、『心眼の加護』を通して、エッツェルの中へ荒波のように押し寄せてきた。

 炎に包まれる村。煙と血の匂い。地上に顕現した、地下の地獄。そこかしこで繰り広げられた、想像を絶する暴力。目玉をくり貫かれた老人の死体。腹を裂かれた妊婦の死体。凌辱の限りを尽くされた娘たちの死体。まだ生きている青年の胸を槍で突いて笑い合う男たち。指輪を指ごと奪うため、老女の指をのこぎりで切り落とす血まみれの騎士。

 ひときわ高い、もがき苦しむ声が上がったのは、兵士たちが笑いながら宿屋の亭主を炎の渦の中へと投げ込んだためだ。みんな顔見知りだった。みんな村の仲間だった。

 それらすべてを、シャルロットは目撃した。石造りの共同水屋の中に身をひそめて、何もできずに、ただそのおぞましい光景をまぶたに焼き付けていた。

 殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くした政府軍の一隊は、夜になって村を立ち去った。ただ一人生き残った少女は、その日から復讐の鬼となった。革命軍に志願したシャルロットは、幸福な幼い記憶を血と涙で洗い流し、歌と踊りの代わりに、人を殺す技術を学び始めた。

「この娘は……」

 こんな……こんな苦しみを、絶望を、憎悪を、抱えながら生きてきたのか!

 叩きつけられるような眩暈がエッツェルを襲った。シャルロットという一人の人間が自らの人生において抱えてきた強烈な悪夢。村のみんなや、母や、兄への思い。復讐に燃える彼女が強くなるために行ってきた、血の滲むような努力の数々。それらすべてを、彼は一瞬のうちに感じ取ったのである。

「『加護』の力に、呑み込まれないようにしたまえ」

 メディアが言っていたその言葉の意味を、初めてエッツェルは理解した。それは、凄まじい体験だった。シャルロットの巨大で圧倒的な感情の波に、押し潰されてしまいそうだった。

「これが、『加護』の力……」

 気が付くとエッツェルは泣いていた。彼の心は、もはやシャルロットそのものだった。彼女と一緒に恐怖し、絶望し、怒り、憎み、悲しんでいた。心が壊れてしまいそうだった。

 すべてを打ちのめす灰色の闇から、だが、エッツェルは這い出した。彼を絶望の沼から引き揚げたのは、脳裏に浮かんだクレアと、そしてアンジェリカの笑顔だった。自分がここで死んだら、クレアを殺した相手に復讐することもできない。彼女に託されたアンジェリカを、幸せにしてやることもできない。

「大丈夫。大丈夫だシャルロット。俺たちは、必ず生きてここから脱出する」

 金髪の少女を強く抱きしめて、エッツェルは励ました。いつも明るく振る舞う少女が、たった一人で抱えている闇を、少しでも光で照らしてあげたかった。

 もう二度と、シャルロットのような境遇の人間を生み出してはならない。こんな世の中が、アンジェリカの生きる未来であってはならない。そのためにも、エッツェルは自由革命軍を勝利へと導き、皇帝やフェルセンのような腐れ切った権力者たちが跋扈する世の中を、正さなくてはならない。クレアの死によって和平への道が永遠に閉ざされた以上、それが世の中を変える唯一の道だった。

「こんなところで、死んでたまるか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る