第三章 自由革命軍 3


 十月二十四日、自由革命軍の帝都における主力であるルクス軍団は、初めてバリケードを超えて、デスピナの支配するカタラス区へと進出した。

 フィリップが身内の不祥事に追われて動けない今のうちに、デスピナ軍と一戦交えて叩きのめしておこう。表向きは、そういう作戦ということになっている。だが本当の狙いは、サーカス劇場の地下にある武具の奪取である。

「デスピナは、コーディエ監獄の守りを固めているようだな」

「しめた。俺たちの本命がサーカス劇場だってことは、気付かれてないみたいだぞ」

「そりゃそうだ。俺たちは悪逆非道の反逆者集団だぜ? まさかピエロの玉乗りを見に行くなんて、誰も思わねえ」

 陽気な軽口をたたきながら、ルクス軍団の兵士たちはカタラス区の各所に展開した。

 ルクス軍団には強力な魔導戦器を装備している者もおれば、鍬や熊手を構えた農民もいて、一見、全体としては統一感がなかった。だが、これはルクスが意図してそうしたのである。

「敵はクソ田舎の農民どもだぞ。馬糞の匂いが臭くてたまらぬわ。全軍、突撃!」

 舐めてかかってきたデスピナ軍の騎兵隊を、革命軍は巧妙に、死地へと誘い込む。罠と気付いたころには、四方から熊手が伸びている。次々と、騎士たちは馬から引きずり降ろされた。

「そうれ、お望み通り、馬糞の匂いをかがせてやらあ!」

「誰のおかげでパンが食えると思っている。俺たち農民様のお陰だぞ、ただ飯食らいの貴族の分際で偉そうな口を叩くな!」

 虐げられた者たちの怒りが爆発した。デスピナ軍の高貴な騎士たちは、たちまち袋叩きにされてしまう。

「剣には剣、弓には弓、熊手には熊手の戦い方があるのでね」

 そう言って、ルクスは不敵に笑った。騎士たちは平原での戦いには慣れていても、必ずしも市街戦の心得はなかった。狭い路地に入り込むと、騎兵は身動きが取れなくなる。そこをルクス軍団に突かれたのだった。

「マーチャーシュ隊は、我がルクス隊とともにけやき通りを進軍せよ! カルロス隊はコベリン魔導工房前を占拠し、そこを死守せよ。アードラー姉弟きょうだいは『メジロのさえずり亭』で待機、タイミングを見て例の作戦を実行に移せ」

 ルクスの指揮の下、革命軍はじりじりと戦線を押し上げていく。カタラス区の中央を走るけやき通りの大きな宿屋前まで主力が前進すると、そこでデスピナ軍と睨み合う形となった。

「偉大なる皇女デスピナ殿下ご本人は、今日もお出ましにならないか」

「俺たち下賤の者どもの顔なんて、見たくもないってか」

 兵士たちの表情には余裕がある。リーダーであるルクスへの信頼感があるからだ。

 得難い人物だな、とルクスの隣で剣を振るいながら、エッツェルは思う。次兄ジシュカは別格として、これほど戦況の把握に優れた指揮官を、彼は他に知らない。

「それにしても、思ったよりも革命軍には魔導戦器が行き届いているな」

 エッツェルが驚いたことに、『絶槍フラゴレイヤ』という強力な戦器を持つシャルロットでさえ、フェルセンを倒して名を上げるまでは一介の兵士にすぎなかったのである。ただの一兵士が魔導戦器を所持するなど、政府軍では考えられないことだ。

 エッツェルの呟きに、ルクスは種明かしをした。

「というより、配備を一工夫しているんだ。政府軍とは違って、指揮官よりも、前線の特に武勇の優れた兵士に優先的に支給している。後方で威張りくさっている奴が魔導戦器を持っていても意味がない。だろ?」

「なるほど」

「逆に言えば、魔導戦器を持っている奴は、たとえ指揮官でも自ら前線で戦わなければならない。これがルクス軍団の鉄則だ」

 言いながら、ルクスは自らも藍紫色の長剣を振るう。その軌跡から、光の波がまばゆく輝きながら轟いて、はるか前方の敵の盾槍兵に叩きつけられた。

 ルクスの魔導戦器は『絶剣ぜっけんゼフュロス』であり、その『閃光』の絶技は、あらゆる敵を追尾して弾き飛ばす。見事な技の冴えに、ほう、とエッツェルが感嘆の声を漏らして見入っていると、思わぬ方角から敵の長槍が伸びてきた。宿屋の粗末な馬小屋に隠れていたデスピナ軍の兵士が、ただ一人、血走った眼差しでエッツェルに向けて突進してきたのである。

「デスピナ様に仇なす不逞の輩め! 覚悟しろ!」

 とっさのことで、身をひねる余裕もない。槍の矛先がエッツェルの喉めがけて繰り出されたその瞬間、だが、地を焦がす春雷のような爆裂音が、高らかに鳴り響いた。勇敢だが哀れなデスピナ軍の兵士は、呻き声と血しぶきを上げて倒れた。

「危ないぞ、シルバー!」

 声を張り上げたのは、黒いローブに身を包んだ女だった。メディアが魔導銃の引き金を引き、エッツェルへの恐るべき襲撃者を撃ったのだ。狙撃手として、彼女はなかなかの腕を持っているらしい。

 死に瀕した男は、なおも立ち上がってエッツェルに刃を向けようとした。だが、気力に生命力がついてこなかった。口から大量の血を吐いて、彼は虚しく絶命した。

「主君のために、自らの生命をも無駄に散らすか。狂信の極みだな」

「すまん、助かった」

 失敗した暗殺者を冷酷な瞳で見下ろすメディアにエッツェルが礼を言うと、銀髪の魔女は不機嫌そうに言葉を返した。

「ルクスの忠告を、よく理解していないようだな。魔導戦器を持っていない指揮官は後方に下がって威張りくさっていろと言っているのが、分からなかったのかね?」

「シルバー。今は下がってくれ」メディアの物言いに苦笑しながら、ルクスはエッツェルに指示を出す。「あんたの智謀の出番は、まだもう少し先だ」

「分かった。そうさせてもらう」

 あくまでも総指揮官はルクスである。エッツェルは、素直に彼に従った。

 メディアと並んで行軍する。魔導銃で最前線のサポートをするメディアを、エッツェルが護衛する形である。ふと思い出して、エッツェルは小声で黒衣の魔女に話しかけた。

「先日、デスピナ姉上からは『匂い』がしないと言っていたが」

 魔女は、『覇者を目指す者レグナートゥールス』となりうる人間から独特の『匂い』を嗅ぎ取る。メディアはその『匂い』を、デスピナからは何も感じていないのだった。

「言ったが、それがどうかしたかね?」

「デスピナ姉上は、すでに『加護』の力を得ている」

「本当か!?」

 メディアが、初めて驚いた表情を見せた。誰かが『加護』の力をすでに与えているのなら、他の魔女はデスピナから『匂い』を嗅ぎ取れない道理である。

「確証はあるのか?」

「確証はない。だが確信はある」

 サーカス劇場が見えてきた。三万人の観客を収容することのできる、巨大な円形の建物だ。臣民を統治するためには「鞭」だけでなく「飴」も必要と考えた第五代皇帝フェリクス一世が、帝都の娯楽施設の目玉として建設したものだ。これをきっかけに、カタラス区は『月影の街』と呼ばれる歓楽街に発展した。もっとも、完成のために十万人が酷使され、二百人を超える民が作業中の事故で生命を落としているが。

「姉上は、病気がちな生母の看病をするとして、このところほとんど皇宮に姿を現していない。だが、これがどうも不自然なのだ。彼女の母が病に倒れたのは半年も前だが、そのときは彼女も普通に人前に出ていた。母の容態が良くなり始めた二ヶ月と少し前から、突然、姉上は公に顔を出さなくなった。戦場では自ら陣頭で指揮をとることを誇りにしてきた武人のはずなのに、革命軍との戦いにも、姿を現さない」

「そうだな。それで?」

「その理由として考えられるのは、ただ一つ。お前たち魔女と『加護』の存在を知ってしまったからだ。俺の『心眼の加護』のような能力を使われて、自分が陥れられることを恐れているんだ」

「ほう」

「『心眼の加護』なら、まだいい。相手をいきなり殺すとか、服従させるといった『加護』の力がもしあるのなら、そんな相手と出会ってしまうとどうにもならない。そう考えると、恐ろしくて人前に出るのが怖いのだ。俺自身もそうだからよく分かる。いや、俺はよほどのことがない限り『心眼の加護』で切り抜けられる自信があるし、皇子としての身分を剥奪されて他の『覇者を目指す者レグナートゥールス』たちの注意から逸れているから、さほど危険はないがな」

 ゲマナ区を失って失脚し、エッツェルは一見、次代の覇者を目指すレースから転落したかに見える。だが、むしろその事実こそが、エッツェルを他の候補者たちから守る盾となっているのだ。

「では、なぜ姉上は『加護』の存在を知ったのか。それは自分自身が魔女から『加護』の力を授かり、『覇者を目指す者レグナートゥールス』となったからだろう。そもそも姉上はエトルシアでも屈指の武人。帝位を巡るレースでも有力者だ。必ず目をつける魔女がいるはずだ」

 二ヶ月と少し前、というと、クレアが殺された時期とも符合する。何か関係があるのか。やはり彼女を殺したのはデスピナなのか。

「問題は、どのような『加護』を得ているのかだが……」

「そこまでは、君にも分からないかね」

「見当はついている。だが、もう少し手掛かりが欲しい」

 メディアが、魔導銃を相次いで放つ。それを突破口として、前線が再び押し上げられる。

「よし、ルクス隊、マーチャーシュ隊、一気に前進せよ!」

 ルクスが、よく響く声で指示を下す。剣を振るいながら、力強く、言い放つ。

「檻は開き、獣は放たれた!」

 それが作戦始動の合図だった。シルバーとメディア、それにあらかじめ選抜された精鋭たちはルクス隊から離れ、サーカス劇場へと向かう。

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