第三章 自由革命軍 2
エッツェルたちを残し、ルクスとシャルロットが先に退出した。何やら協議することがあるとのことだった。
「シルバー。後で二階の会議室に来てくれ。メディア、シルバーを案内してやってくれ」
去り際のルクスの言葉に、エッツェルは眉をひそめた。このゲマナ城は、エッツェルがつい先日まで生活の基盤としていた場所である。案内など不要だ、と言おうとして、彼は自分の考えを取り消した。ここでは、自分は元ゲマナ区司令官エッツェルではなく、自由革命軍の新参者のシルバーだ。城の中のことを知っているのはおかしい。
アンジェリカがここでの生活に不自由していないことを確認してから、エッツェルはメディアとともに部屋の外に出た。大理石の廊下を移動しながら、メディアがそっと問いかけてきた。
「エッツェル、いや、ここではシルバーだったな。『心眼の加護』の力にはもう慣れたかね」
「おおよその能力は把握した。その限界も」
この数日を、エッツェルは無駄にはしなかった。フィリップの下で大人しく謹慎しているふりをしながら、彼は『心眼の加護』を使っていろいろなことを試していた。
「物理的に接触した相手の心の中を読み取れる。接触は直に触れているのが原則だが、薄い衣服や手袋程度なら問題ない。読めるのはそのときその人物が心に浮かべていることだけで、本人の念頭にないことまでは読み取れない。対象は人間のみで、動物の心を読むことはできない。対象が俺の知らない外国語で思考していた場合、思考に用いた言葉自体は読み取れるが、俺にはそれが何を意味するのかは分からない。対象自身が間違った認識をしている場合もあるので、心の中の声がすべて事実とは限らない」
その他にも、エッツェルは自分が確認したことを一つひとつメディアに説明した。
「まあ、分かっているのはそんなところか」
「よく調べたな。上出来だよ。さすがはわたしの見込んだ男だ」
メディアは驚いているようだった。だが、エッツェルにとっては、まだ知らないことだらけである。この程度で満足している場合ではない。
「他の魔女たちの『加護』の力にはどのようなものがある?」
「知らん。魔女にとって、自らの持つ『加護』は生命線だ。他人に明かすことは、絶対にない」
なるほど、それはそうだろう、とエッツェルは思った。
「先日、皇宮に赴いたとき、ジシュカ兄上の心を読むことができた。フィリップ兄上と同じく、彼は何も知らなかった。クレアを殺した犯人のことも、魔女や『加護』の存在のことも」
頭の切れるジシュカが『加護』の力を得てエッツェルの敵に回るとしたら、恐ろしく手ごわい相手になるだろうが、今のところそのような心配はなさそうである。
「だが、例えば、自分の心を偽る『加護』などもあるのか?」
「なるほど、彼らへの疑いも、まだ捨てていないというわけかね?」
「あくまでも可能性として、だがな」
「まあ、あってもおかしくない、とだけ言っておこう」
可能性としては低いだろう、とエッツェルは考えた。覇者になるための能力としては、あまりにも回りくどい。そのような『加護』の使い手がいたとして、エッツェルには勝てても他の『加護』の保持者にはなすすべもなくやられてしまうだろう。
「魔女自身にとっても、他の魔女たちがどこに潜み、誰を『
「しかし、世界の覇者にふさわしい素質を持つ人間となると、候補は限られてくるのではないのか。複数の魔女が同じ人間を『
「魔女は、自分の『
「『匂い』とは、具体的には?」
「例えば、お前の姉のデスピナ。戦場では剛毅果断、武勇に優れ、いくつもの戦果を上げている名将だ。一見、『
もちろん『匂い』といっても、一種の比喩だろう。通常の人間が持つ五感とはまったく違った感覚で、魔女たちは世界を捉えている。
「それは、彼女が覇者にふさわしい人間ではないからか、もしくはわたしにとって相性のよい人物ではないから。そして第三のパターンとして、すでに他の魔女がついているから、という可能性がある」
「なるほど、そういうものなのか」
「そうだ。そして、『匂い』のしない相手を魔女が『
メディアは重々しい装飾が施された両開きの扉の前で立ち止まった。この中に入れということだろう。かつてゲマナ区の幹部たちが使っていた会議室である。
「では、わたしはアンジェリカのところに戻る」
「お前は入らないのか?」
「わたしは、お前を案内するように頼まれただけだ」
メディアと別れ、エッツェルは扉をノックした。「入りたまえ」という尊大な声が返ってきた。扉をゆっくりと開ける。会議用の円卓には、眉間にしわを寄せた気難しそうな顔が七個、上等の市民服を着た胴体の上に並んでいた。その傍らでは、ルクスが腕を組んで起立している。
「前線指揮官にすぎないルクスには、本来は出席資格がないのだが、参考人ということで来てもらった」
七人のうちで最も偉そうな顔つきの男が、代表して口を開いた。
「ようこそ自由革命軍へ、シルバー君。我々は帝都七区委員会だ」
初めて聞く組織名に、エッツェルがどう反応してよいか分からないでいると、二番目に偉そうな人物が補足した。
「我が自由革命軍は、帝国全土の各地で政府軍と抗争を繰り広げている。彼らを統括し、また帝都七区を攻略することが、我々に課せられた使命である」
自由革命軍の中でも、中枢といっていい機関というわけだ。
「シルバーとやら。フェルセン将軍率いる政府軍を撃破するにあたり、君はずいぶんと我が軍に功があったそうだね。それでルクスが君のことを指揮官として推薦してきたのだよ」
「だが、我々はまだ君を認めたわけではない」
「素顔を見せられぬとは、よほど後ろめたいことがあるからではないか」
「さよう。何か、重大な罪を犯したとか……」
皇帝の子として生まれたが俺の罪、というわけか。エッツェルは兜の下で苦笑した。むろん彼の正体がエトルシアの皇子であるなどとは、委員たちはつゆほども想像もしていないだろうが。
「兜を脱げない理由は、話せない」エッツェルは口を開いた。「だが、私は政府軍を強く憎んでいる。そして必ずや諸君の力になれる。私の力で戦況を変えてみせる。それだけでは不足か」
「本当にできるのかな、戦況を変えるなど」
「ならば問おう。私がルクスと協力してフェルセンの包囲を破り、彼を死に至らしめたとき、諸君らはどこで何をしていた?」
委員たちは沈黙した。おそらくルクスがゲマナ区攻略の作戦を立案したとき、彼らは「できるわけがない」と反対したのではあるまいか。それをルクスは一人ひとり丁寧に説得し、なだめすかし、時には脅しも用いて、最終的に作戦の実行にこぎつけたのではあるまいか。
その程度のことは、『心眼の加護』を使わなくともエッツェルには見当がつく。どこの世界にも、何の実績もないくせに口先だけ偉そうな輩はいるものである。
まあいい。じきに彼らも、嫌でも俺を認めざるを得ない時が来るだろう。口先ではなく実績をもって、エッツェルは自分を認めさせるつもりだった。
「まずは、このバリケードの包囲を解かせる」
「どうやって?」
エッツェルは懐から羊皮紙の束を取り出し、それを委員会のメンバーたちに手渡した。それに目を通すうちに、委員たちの顔色が変わった。
「こ、これは……!」
それはフィリップ皇子が司令官を務めるオーミル区の幹部たちの、醜聞や不正、問題行動の一覧であった。
会計担当のリカルドが日常的に経費を横領し、賭博にあてていること。百人隊長のゴトフロワが二年前に娼婦を殺し、遺体を自宅の庭に埋めていること。騎士のギシャールが三年前に反逆罪で処刑されているが、これはフィリップの副官ノガレ伯爵によってでっち上げられた冤罪であったこと。果ては今年五月十八日、酒場で泥酔した上級書記のジャックが皇帝を「暗殺にびびって皇宮から出てこないモグラ野郎」と呼んで侮辱していたことまで、フィリップの周辺のスキャンダルが丹念に調べ上げられていた。
中でも衝撃的だったのは、フィリップ麾下で『
サヴィエールは十二年前、わずかな兵で辺境の山賊退治に出撃し、一兵も損なうことなく、二千の山賊の首を挙げた。そのことから『
「まさか、サヴィエール将軍が」
「敵ながらあっぱれな名将だと思っていたのに、こんな卑劣な男だったとは」
「シルバー君、これは本当のことなのかね」
「もちろん、これらはすべて真実だ」騒然となる委員たちに向けて、エッツェルは自信に満ちた言葉で断言した。「この情報が公表され、フィリップがきちんと調査すれば、彼らの本性はたちどころに明らかとなるだろう」
「……確かに、そうなればフィリップはバリケードの包囲どころではなくなるな」
「そして、デスピナの手勢だけでは、包囲は不十分。彼女も兵を引かざるを得まい」
委員たちは納得した様子だった。矢継ぎ早に、エッツェルは次の策をも提案する。
「包囲が解かれたら、次に政府軍の武具を奪取する」
「政府軍の、武具だと……!?」
「そうだ。デスピナが治めるカタラス区に、サーカス劇場があるだろう。その地下に、魔導戦器を含む大量の武具が隠されている。皇帝からゲマナ区の将兵に支給されるはずだったものだが、役人が横領していたのだ。おそらくサーカスの一座もグルだろう」
「だからゲマナの連中はあんなに弱かったのか」
ゲマナ区に配備された将兵の装備は、他と比べて劣弱であった。司令官を務めていたエッツェル自身、そのことを不思議に思い、軍務省に問い合わせたことがあるのだが、担当者に「予算の関係上、これ以上の配備は無理だ」と突っぱねられてしまったのである。不審に思いながらも、まだ司令官として赴任して日の浅いエッツェルは、それ以上追及できないでいた。先日、皇帝に謁見した帰りに、エッツェルは知己への挨拶をしたいと言って軍務省を訪れた。そこで担当者の心を読み、初めてその男が横領していたと知ったのである。
「役人が武器商人に横流しする前に、僕たちがそれを奪取すればいいんだ」
「そういうことだ」
ルクスの言葉に、エッツェルはうなずいた。エッツェルが期待以上の土産を持ってきてくれたので、赤毛の青年は満足げである。
「武器は、あればあるほどありがたい。ユーゼス地方の同志たちが秘密兵器を送ってくれる予定だが、政府軍の妨害にあって遅れている。せめてフェルセン将軍の魔導戦器が回収できればよかったのだが、シャルロットが孔を開けてしまったからな。あの化け物女め」
「化け物女はひどいのではないか、ルクス。仮にも、年頃の娘だろうに」
エッツェルが苦笑いしながらたしなめると、
「いや、化け物だろう」
「うむ、シャルロットは化け物だ」
「あれが化け物でなかったら、一体何が化け物なのだ?」
重々しい顔をしていた委員たちが、急に妙な一体感を醸し出して、口々に呟いた。
オーミル城、裁きの間。
立ち並ぶ諸将の前で、壮年の男が頭を垂れていた。熟練の武人として鳴らした精悍な顔つきはもはやどこにもなく、眼窩はくぼみ唇は青ざめている。『
「動かぬ証拠もある。釈明の余地なし。民を傷つけ、帝国軍人の名誉を傷つけた罪、死をもって償わせるしかない」
弟には甘いフィリップも、罪なき民を殺戮した卑劣な男には容赦をしなかった。いつも明るい笑顔を絶やさない第三皇子が、このときばかりは非情な顔で沙汰を下すと、裁かれた側は蒼白になって命乞いをし始めた。
「ど、どうか、どうか生命だけはッ! これまで私は、フィリップ殿下にずっとご奉公いたしてきたではありませぬかッ!」
この裁きの間では、サヴィエール自身が、多くの山賊や自由革命軍と称する反徒どもに、死刑を宣告してきた。だが今日裁かれたのは、彼自身であった。
「くどい。貴様が俺にできる最後の奉公だ。帝国軍人の名誉を守るために死ね、サヴィエール」
「エッツェル皇子。私を、助けてくれ」
サヴィエールは、フィリップの従卒という身分で随行していたエッツェルの身体にすがりついた。冷笑をこらえるのに、エッツェルは必死だった。サヴィエールが命乞いをしている当のエッツェルこそ、彼を破滅に導いた張本人なのである。それを知らずに彼にすがりつくサヴィエールが滑稽だった。
他人の生命に何の敬意も払わぬ男も、自分の生命は惜しいらしい。『
ゲマナ城が陥落した後、フィリップの館に落ち着くとすぐに、エッツェルは彼の弟という立場を利用してその部下たちと接触を図り、彼らの心の内を探った。結果は驚くべきものだった。帝国政府に仕える軍人や文官たちの腐敗・堕落ぶりは、エッツェルの想像以上であったのだ。特にサヴィエールは高潔な騎士として知られていたので、その卑劣で残忍な本性には、エッツェル自身、まさか、という思いであった。
「残念ながら、現在の私は皇子としての権限の一切を剥奪されております。どうすることもできませぬな」
冷たく言い放ったエッツェルに、サヴィエールは絶望の表情を浮かべる。もはや一切の弁明が許されないことを知り、彼は逆上した。一転、鋭く目を光らせると、隠し持っていた短剣を取り出すべく、懐へと手を忍ばせた。
「こうなったら皇子を人質に――」
だが、サヴィエールの意図を、エッツェルは『心眼の加護』で読んでいた。虚栄の英雄が刃を閃かせるより早く、エッツェルはその横腹を容赦なく殴りつける。かつて名将と呼ばれた男は、無様に短剣を取り落とし、よろめいた。
「往生際の悪い下種めが!」
フィリップが叫んだ。次の瞬間、鮮血が烈火のごとくほとばしった。一瞬の出来事だった。フィリップが腰に下げた剣を抜き放ち、サヴィエールの肩から背中を力強く切り裂いたのである。
「がはっ」
「失望したぞ、サヴィエール! いつから、かくも見苦しい男に成り下がったか!」
返答はなかった。サヴィエールはその一撃で、すでにこと切れていた。返り血を拭って、フィリップはエッツェルに声をかけた。
「すまんな、エッツェル。危ない目に遭わせてしまった」
「いえ、兄上こそお疲れさまでした」
フィリップの陣営に激震が走ったのは、四日前のことである。何者かの手により、オーミル城の正門にとある文書が張り出された。汚職、犯罪、醜聞、裏切り――。幹部たちの不祥事を、次々と暴露する内容だった。関係者でなければ知り得ぬ情報も含まれており、でたらめな憶測でないことは明らかだった。バリケードへの包囲どころではない。いったん兵を引いたフィリップは、徹夜で事実の調査に当たっていた。彼の心労は相当なものだろう。
告発者は内部の人間だと推測されたが、その正体は誰にも分からなかった。当然である。魔女の力を得た皇子エッツェルがその犯人だと分かるのは、全能の神くらいであろう。
ある意味では、エッツェルはフィリップ軍の綱紀を粛正してやったのである。フィリップの器量ならば、この逆境をかえって契機として、今まで以上に精強で規律に長けた組織をつくるかもしれない。
だが、それが兄への許しになるとは思わないエッツェルであった。自分はすでに、兄を欺いている。もはや後には引けぬところに来ていることを、自覚せずにはいられなかった。
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