第五章 イオティカ丘陵の戦い 2
反徒ども――自由革命軍のルクスという指導者と交渉を重ね、フィリップは休戦協定にこぎつけた。政府軍が帝都郊外の汚泥除去作業をする間、自由革命軍は攻撃を差し控える、というのがその内容である。
ルーアン公女クレアの殺害以来、政府軍と自由革命軍は一貫して対話を拒否してきたが、その和平への細い糸がついに復活したのである。
「反徒どもは、ルーアン公女を騙し討ちにするような者どもだぞ。そんな奴らと、まともに交渉などできるものか」
そのような声もあったが、フィリップは意に介さなかった。作業着姿の兵士たちを率い、ただちに帝都郊外へと向かった。
作業が始まってから、三日が経過した。フィリップの指揮の下、汚泥の除去が進められ、埋もれていた政府軍兵士たちの遺体が次々と運び込まれた。
自由革命軍の兵士たちが、それを遠巻きに眺めている。女性兵士の比率が妙に多いのは、美男で名高いフィリップの姿を一目見たいとの思いからであろう。
「本当にいいんですかい」
不満げな顔つきで呟いたのは、ルクスが信頼する部下のマーチャーシュである。デスピナとの決戦の日、新式の銃によってフィリップ軍からバリケードを守り抜いた彼は、防衛戦の達人として革命軍での評価を高めている。
「今、奴らを一気に取り囲んで総攻撃を仕掛ければ、フィリップ皇子を消し去ることも可能ですよ」
「いや、フィリップ皇子も、そこまで甘くはない。万一のときのために、何らかの備えはしているさ。それに――」
ルクスは頭をかきながら笑った。
「政府軍が僕たちに代わって汚泥を片付けてくれるのだから、楽ができていいじゃないか」
「またそういうことを」とマーチャーシュ。「本当は、別の意図があるんでしょう?」
「まあ、ね」
ルクス軍団の切り札であるシルバー隊が、もう一つの部隊とともに、ジシュカ皇子の帰路を襲うべく、東に向かっている。ルクスの手持ちの兵力は、多くない。今、帝都に駐留する政府軍に総攻撃を仕掛けられたら、はなはだまずいのである。それを悟らせぬためにも、休戦は必要だったのだ。
フィリップ皇子は自分が休戦を言い出したつもりでいるが、フィリップが休戦を申し出るように巧みに誘導したのは、実はエッツェルの指示を受けたルクスだったのである。
「まったく、シルバーの智謀は、まことに恐ろしいな」
ジシュカが東方遠征に出ると決定されたその日のうちに、エッツェルは彼の帰路を襲撃する計画を立てた。そして、その時のためにフィリップとの休戦の模索してほしいと、ルクスに頼んできたのである。その後、エッツェルはステファンの部下を監視につけられ、連絡を取るのが困難になってしまった。どうしたことかと思っていたところ、エッツェルはひょっこりとゲマナ城に姿を現し、当初の予定通り部隊を率いて東方へと向かっていった。
その直後、「エッツェル皇子、反逆の嫌疑により逮捕」の公式見解が政府軍によって発表された。ルクスは首を捻った。本当に政府軍がエッツェルを拘束しているのであれば、彼のもとに現れたエッツェルは一体何者だったというのか。どうやらエッツェルは、何やらとんでもない詐術を使って敵を欺いたらしい。
「僕にも彼の頭脳があれば、もっと楽をできるのだがなあ」
つい、ため息をついてしまうルクスであった。
一方、フィリップである。
「皆の奮闘により、帝国のために戦って死んだ勇者たちの亡骸を多数回収することができた。皇帝陛下もお喜びであろう。諸君、ご苦労だった」
兵士たちにねぎらいの言葉をかけ、彼は汚泥撤去作業の完了を宣言した。
オーミル城に、ジシュカの重装歩兵部隊に属していた兵士たちの遺体が運び込む。むろん、濁流に流されたすべての遺体を収容できたわけではない。まして死んだ者たちが生き返るわけでもない。それでも、自分たちのやっていることには意味があったとフィリップは信じたかった。
城に戻ると、精力的に作業の指揮をとっていたフィリップに、どっと疲れが押し寄せた。彼の心は乱れていた。今の彼には、遺体の収容よりももっと気がかりなことがあった。
「エッツェルのことは、何かの間違いだ」
今でも信じられない。絶対にシルバーの正体はエッツェルではないと主張したフィリップであったが、ステファンの部下たちは強引にエッツェルを逮捕し、エンジ城に監禁してしまった。ステファンには強く抗議したが、エッツェルの世話をさせていたメイドのアイシャが、決定的な証言をしたのだという。
「アイシャは、エッツェルを売るような娘には見えなかったが……」
むしろ、エッツェルに好意を持っていたように思える。突然の変節に、フィリップは戸惑っていた。
アイシャ以外の者であれば、ステファンが金でもつかませて嘘の証言をさせているのではと疑うところだ。だが、あの元気でまっすぐな娘が、そんなことをするとは思えない。
さらには、オーミル城の司祭までもが、エッツェルに脅されて嘘の証言をしていたと告白した。デスピナが敗死した日、エッツェルがホスティリウス教会にこもっていたというのはでたらめで、本当は朝早くからずっとどこかへ出かけていたのだという。
「では……エッツェルが反徒どものところに出入りしているというのは、事実なのか」
事実だとしても、それが裏切りを意味しているとは限らないだろう。どこまでもエッツェルびいきのフィリップは、そう考えた。クレアの仇の情報を探るために、フィリップたちにも内緒で、危険を冒して反徒どもと接触していたのかもしれない。
「……殿下! フィリップ殿下!」
部下の声が、フィリップを現実に引き戻した。
「遺体の検分をお願いします」
「ああ、そうだったな。ぼうっとしていた」
冬の初めとはいえ、さすがに遺体の腐敗が進んでいる。気持ちのいい作業とはいえない。気乗りしないが、遺体を収容した城の倉庫に向かう。
歩きながら、部下から報告を受ける。回収した遺体はおよそ五十体。その中には、ジシュカが誇る重装歩兵部隊で唯一の女性兵士だった、ジョフィエのものもあったという。
「ジョフィエどのの遺体は、腐敗もせず、綺麗な状態でしたよ。偶然に偶然が重なって、保存状態が良かったようです。それだけが、せめてもの救いですね」
部下の報告に、そうか、とフィリップは頷いた。政府軍では、女性兵士は極めて珍しい。フィリップも彼女の噂は何度も耳にしていた。
「ジョフィエは、ジシュカ兄上にとって大切な女性だったはず。きちんと供養して、兄上に報告しよう」
木造の倉庫の中に入る。出迎えた兵士たちは、一様に暗い雰囲気だった。明るくなるような作業ではないから当然といえば当然だが、それにしては落ち着きがない。フィリップがやってきたのを見て、慌てているような気配がある。何やら様子がおかしい。
「どうした? 何かあったのか?」
フィリップが問うと、兵士たちは顔を見合わせた。
「フィリップ様……」
顔面を蒼白にした壮年の兵士が、おずおずと口を開いた。
「それが……死体が、消えているんです! ジョフィエどのの死体が!」
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