第五章 イオティカ丘陵の戦い 3
カルラ・アードラーの奮戦にも関わらず、信じられない速度で、ジシュカは軍の態勢を整えつつあった。一見、無造作に丘全体に散らばっていたかに見える政府軍の兵士たちだが、奇襲の驚愕から立ち直ると、驚くほど組織的に動き始めた。
「いつもながら、油断のならない兄上だ」
突然の襲撃に戸惑って、なすすべもなく敵が敗走してくれれば。そういう甘い期待を抱いてもいたエッツェルだが、どうやら事は簡単には運びそうにない。
「ただ休んでいるだけのように見えて、実は万が一の事態にも備えていたか」
一見、兵士たちはただ雑然と休息を取っているだけのように見えた。だが、このようなときにどう対処すべきかを、彼らはジシュカから叩き込まれていたようだ。いつの間にやら、鶴翼の陣らしきものを展開し、革命軍を迎え撃とうとしている。
「敵は洞穴の出口から、まっすぐに私のいる本陣を狙っている。敵を包囲せよ! 包囲して叩くのだ!」
政府軍の本陣では、ジシュカが声を張り上げている。敵の策に動揺していたとしても、それで判断を鈍らせる彼ではなかった。
一転して、今度は自由革命軍が窮地に陥った。狭い洞穴から出てきたところを、敵に包囲され、どちらを向いても敵という状況で袋叩きにされる。逃げ場はない。
エッツェル自身、『竜騎尖剣カドモス』を振るって、迫り来る敵を薙ぎ払った。狙撃隊による必殺の矢を、『疾風』の絶技を使って払い落とす。
「クッ」
彼らしくもなく、エッツェルは舌打ちした。ジシュカの危機管理能力、判断の正確さ、作戦指揮の巧妙さは、いずれも彼の予想を超えていた。サイノス河で完勝したことで、自分はジシュカにも勝てるという、驕りが生じていたのか。もっと慎重を期すべきだったのか。
だが、イオティカ丘陵で休息を取る今こそが、帝都へと帰還するジシュカを打ち破る唯一の機会だったのだ。洞穴に部隊を隠し、ジシュカ軍を丘陵へと巧みに誘導する。その第一段階は、うまくいったではないか。それをやってのけた自分ならば、ここからジシュカを再び追い詰めることも可能なはずだ。
エッツェルの傍らでは、シャルロットが『絶槍フラゴレイヤ』を巧みに振り回していた。二人、三人の猛者を同時に相手にしても涼しい顔で、安定感がある。だが、敵の包囲を突き崩すには至っていない。
そのシャルロットが、セミロングの金髪を揺らしながら進言した。
「シルバー! カルラたちが突出しすぎているわ! いったん戻して、戦列を立て直させるべきよ!」
カルラは無謀とか蛮勇という言葉がいい意味で似あう女勇者だが、このときは度を越しているように思われた。斧で頭蓋を打ち砕かれた敵の死体を累々と積み重ねながら、エッツェルの視界の遥か彼方まで突き進んでいる。勢いがあるのはいいことだが、そろそろ限界が来るだろう。
エッツェルは、だが、
「……いや、このまま突っ込ませる。カルラ・アードラーがジシュカの首を取るか、その前に我々が敵に包囲殲滅されるか、二つに一つだ。そのつもりで、攻撃の手を緩めさせるな」
「あなたらしくないわね、シルバー」シャルロットは顔をしかめた。「そんなギャンブルみたいに手に出るなんて」
「ならば問おう。他に、戦況を打開できる策はあるか?」
シャルロットは沈黙した。カルラたちを戻したところで、敵の包囲が完成してしまえばじり貧になるのは目に見えている。
エッツェルは薄く笑って、シャルロットを安心させた。
「大丈夫だ、シャルロット。ジシュカ皇子は、俺以上にギャンブルを好まぬ。自分の首を賭けの対象にするようなことは絶対にない。奴の方から、この勝負、降りるさ」
敵の勢いが一向に衰えないことに、ジシュカは驚きを隠せなかった。勇ましい女の叫び声が、ジシュカのいる政府軍本陣まで轟いている。あれが、デスピナを倒したという敵の女戦士なのだろうか。それとも反徒どもの中にはあれほどの女傑が幾人もいるのだろうか。
「引く気はない、か……」
この作戦の指揮をとっているのは、間違いなくあの白銀の騎士だろう。そう思っていたのだが、敵は思ったよりも、蛮勇を好む男らしい。とんだ計算違いである。包囲を続けた方が有利ではあるが、万一のことを考えると、包囲を解除して守りに徹するしかない。
「いや、違う。奴は私がこの勝負から降りると踏んで、あえてこのような
この小さな戦いの勝利を得るために、自分の生命を賭けるようなことはしたくない。分かっていても、相手のシナリオ通りの行動をせざるを得ないのが悔しい。
「私の慎重な性格まで、奴は計算に入れているのか……」
やはり、敵の正体はエッツェルなのか。それとも、例の不思議な力で、またも私の心を読んだのか。あるいは、その両方か。
ジシュカは敵の包囲を解き、全軍に本陣の守りを固めるように指示を下した。守りに徹しながら、少しずつ後退し、戦場から離脱する方針である。今ならそれが可能である。敵に本陣への侵入を許してからでは遅い。
「よし、いいぞ」
味方が指示通りに動いているのを見て、ジシュカは満足した。敵の奇襲を受けたにも関わらず、全軍がジシュカの思う通りに、統率のとれたまま撤退の準備を始めている。兵の損耗は最小限に抑えられるだろう、と安堵した。
敵の猛攻をしのぎつつ、少しずつ、丘を下っていく。奇襲の有利さがなくなれば、もはや敵にとってもこの戦いは無意味である。諦めて兵を引くだろう。
丘の上に、敵の兵士たちがずらりと並んでいる。その中に、ジシュカはあの白銀の騎士の姿を認めた。やはりこの舞台を演出したのは、奴だったのだ。だが、今度は奴の目論見通りにはいかない。奴は何の戦果も得られずに、すごすごと引き下がるのだ。
ジシュカがこの戦闘の収束を予感した、そのときだった。
「何か、聞こえてきませんか」
ユスティーナが小首をかしげた。ジシュカは、耳をそばだてる。かすかな、だが力強い音が、平原の遠い向こうから轟いている。馬蹄の音だ。
「これは……まさか」
音のする方角に、目を向けた。砂煙がもうもうと立ち上がり、甲冑と刀剣が太陽の光を受けて白銀色に輝いている。
はるか西の方角から、敵の騎兵部隊が疾駆してきたのだ。
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