第五章 イオティカ丘陵の戦い 5

 リヴィアは暗い監獄の中に幽閉されていた。

「うう……」

 ステファンの居城、エンジ城。湖の中に浮かぶ小さな小島に建てられた水城である。その地下牢にリヴィアは閉じ込められ、鎖で拘束されていた。脱出は、不可能に近い。

「まさかこんなことになるとはね……」

 ここに連れてこられてから、もう十日になる。リヴィアは、まだエッツェルの姿のままである。常に監視の目があるため、『変幻の加護』を解くことができないのだ。いや、仮に看守の注意が逸れるときがあったとしても、牢獄の中にいるはずのエッツェルが突然リヴィアに変わってしまったら、それはそれで大変なことになるだろう。おぞましい魔女の力を持つ者として、処刑されてしまうかもしれない。『加護』の力を解くわけにはいかなかった。

「でも、これはこれで興奮するよね。ボクは好きな相手をイジめるのが大好きだけど、イジめられるのも大好きだからね。さすがエッツェル、ボクの趣味をよく分かってるよ♪」

 リヴィアは心の中で独白し、くねくねと身をよじった。普段のリヴィアであれば、艶めかしい動作であっただろう。だが今のリヴィアは青年の姿であったので、傍に立つ看守は気持ち悪そうに顔をしかめた。

「ましてエッツェルの姿のままでイジめられるなんて。エッツェルをイジめたいというボクの願望と、エッツェルにイジめられたいというボクの欲望。ボクの二つの願いをいっぺんに叶えてくれるなんて、やっぱりエッツェルはボクのエッツェルなんだね☆」

 エッツェル自身に、リヴィアの欲望を満たしてやろうという意図があったとは考えにくい。そんなことはリヴィアにも分かっている。だが、意図せずにリヴィアを満足させてくれたのだとしたら、それはそれで凄いことではないか。

「アンナの正体がボクだってこと、エッツェルは気付いてた。その時点で、疑うべきだったんだよね。エッツェルが何か企んでるって」

 おそらく、あのメイドの娘にこっそりと何か指示していたのだろう。

「それにしても、こんな方法で窮地を逃れるなんてなあ。さすが、ボクのエッツェルはすごいよ。ゾクゾクする」

 この場をどう切り抜けるか、思案するリヴィアだが、いろいろ考えているうちにまたすぐにエッツェルへの思慕の念が湧き出てきて、なかなか考えがまとまらない。困っていると、不意に奇妙なことが起こった。

 看守が、ふらりと持ち場を離れてどこかへ行ってしまったのである。この十日間で一度もなかった事態である。首をかしげていると、女の靴音が監獄に響き始めた。こちらへ向かっている。

「え……誰?」

 現れたのは、黒いローブを着た銀髪の美しい娘だった。リヴィアは藍色の目を大きく見開いて、彼女の顔をまじまじと見つめた。

「ク、クレア……?」

 いや、クレアではない。顔立ちはクレアのものだが、氷のような冷たい表情は、死んだクレアのものではありえない。

「……って、そんなわけないよね。やあメディア。元気にしてたかい?」

「まあまあだ。君の方こそ、牢獄で囚われていたにしては、元気そうではないかね」

「まあね」

「エッツェルからの伝言だ」

 それを伝えるために、危ない橋を渡ってわざわざ牢の中にいるリヴィアを訪ねてきたのだろうか。何か不思議な術を使って看守をやり過ごしたのだろうが、なかなか大胆なことをする。

「このまま『謀反人エッツェル』として処刑されるのが嫌なら、真実を話せ。そうすれば助けてやる」

 ははっ、とリヴィアは笑った。

「ボクは、エッツェルとして死ぬのか。それもいいね」

 戯れ言を言ってから、メディアが本気にしかけているのに気付いて、慌てて否定する。

「嘘だよ。さすがに、殺されるのはカンベンしてほしいなあ」

「クレアを殺したのは、君か?」

「クレアなら、ボクの目の前にいるじゃないか」

 メディアは、無言でリヴィアを睨んでいる。おふざけで切り抜けられる状況ではなさそうだ。

「冗談だよ。ボクはクレアを殺してないよ。殺すわけないじゃん」

 容易には信じる気配のないメディアに、リヴィアは説明した。

「アンナやシャルロットの友達で、弓使いのセシルってのがいるだろ? 彼女に聞いてみなよ。あの晩、アンナはずっと彼女と一緒にいたから。アンナに化けていたボクがクレアを殺せるはずがない」

「君は、クレアのことを憎んでいたはずだ。本当に殺す気はなかったのかね?」

「殺すつもりはなかったよ。コロしたいと思っていただけだよ」

「コロす……? 何を言っているのかね?」

「ボクの中では、殺すと、コロすは、違うんだ。コロすっていうのは、心を破壊して、それまでの自分を捨てさせて、身も心もボクのドレイにすること。クレアのことは、ボクのドレイに加えて一生イジめ続けるつもりだったんだ」

 美しい少女たちの心をコロして自分だけのドレイにして、かわいがる。それがリヴィアにとっても至高の悦びなのだった。

「そりゃ、ボクのエッツェルを盗ったのは許せないけど。でもクレアは美少女だよ? それも、とびきりのね。大事にイジめてあげたい。そう思ってたよ。ボクが本気で嫌うわけがないじゃないか。でしょ?」

「でしょ? と言われても……」

 身の危険を感じたのか、メディアは後ずさった。「心のない」メディアでも、さすがにリヴィアの趣味に怖気を感じたらしい。

「さすがのエッツェルでも、クレアを殺した犯人が誰かは分からないんだね。だから復讐のために、どんなを使ってでも、犯人を探り当てようとしてる。そういうことなんだね」

「わたしもエッツェルも、お前が犯人ではないかと思っていたのだが」

「残念だったね。でも、犯人かもしれない人物なら、ボク、知ってるよ♪」

「何!? 本当かね?」

 メディアは、強く身を乗り出した。おかしいな、とリヴィアは思った。犯人を知りたがっているのは、エッツェルのはずなのに。メディア自身も、クレア殺害の犯人に強い関心を抱いている。そのことを、彼女は見逃さなかった。

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