第一章 双子の姉 2

 カタラス城の陥落から十日が過ぎた、十一月十三日の深夜。

 街の外からやってきた帝国軍の輜重部隊が、第三皇女リヴィアの治めるディヴァ区南部の街道を、中心部に向けてゆっくりと進んでいく。

 帝都アウラは百万の民が生活の根を下ろす、西方諸国ではずば抜けた大都市である。当然、外部からの食糧の供給がなければそれだけの大人口は賄えない。帝国政府の威信が国の全土に鳴り響いていた頃は問題がなかったが、今や帝都七区のうちの二区が反乱勢力に占拠されている異常状態である。食糧の確保と輸送は、今や最重要の課題となっていた。

 苦しいのは反乱勢力たる自由革命軍も同様である。帝都の中に拠点を得たとはいえ、まだ大部分は帝国政府の勢力下にあり、常に敵に半包囲されているのが現状だ。また、帝国政府の圧政からの解放を旗印にしている革命軍が民を飢えさせたとなれば、外聞もよくない。一体何のために戦っているのかということになろう。

 カタラス区が革命軍の手に落ちたのに伴い、その東に位置するディヴァ区は直接革命軍の勢力と接することになった。革命軍は、次の標的として虎視眈々と狙っていることであろう。

「反徒どもの襲撃部隊は、まだ現れないか……」

 眉間にしわを寄せながらチェスの駒を動かしたのは、通過する輜重部隊をタルペイヤ教会の尖塔の最上階から眺めていたジシュカである。

「そろそろだと思ったのだが」

 先の戦いで、ジシュカは謎の白銀の騎士が率いる革命軍の一部隊によって、完膚なきまでに敗北した。彼が自慢としてきた精鋭重装歩兵部隊が、ただの一人も生還できなかった。文字通りの完敗である。

 だが、その敗北から、彼は敵将に関する貴重な考察を得た。敵は、本来ならば絶対に知り得ない、彼の頭の中にしかない情報を知っていたのである。何か超常的な力を、敵は持っているのではないか。例えば他人の心の中を読む、といったような。

 そしてそれをもとに、その人物はジシュカが感服するしかないような完璧な策を立てて見せた。そのような智謀の持ち主を、ジシュカは一人しか知らなかった。末弟のエッツェルである。

 輜重部隊がこの夜にこの街道を通過することを、ジシュカはエリアーシュという名の信頼できる三十代半ばの部下に知らせた。そして彼に「このことはフィリップやエッツェルには知らせなくていいぞ」と告げた上で、エッツェルのいるオーミル城へと、別件で使者として派遣したのである。

「私の読み通り、エッツェルに他人の心を読む能力が備わっているなら、必ずエリアーシュの心を読んで、輜重部隊のことを知るはずだ」

 知ったら、次はどうするか。反徒どもの食糧事情は厳しい。そこに、食糧をたっぷり積んだこの輜重部隊がのこのこと現れるとしたら。必ずこの餌に飛びついてくる、とジシュカは読んでいた。

 街の各地には、周到に兵を伏せてある。敵が動けば、一網打尽にするつもりだった。

「反乱軍は、本当に現れるのでしょうか」

 チェス盤を挟んでジシュカの対面に座る栗色の髪の女が、控えめに疑問を呈した。薄い革の鎧を着て、腰に長剣を帯びている。ユスティーナという名の女騎士である。

「私の予想が正しければ、な」

 ユスティーナは、先日の戦いで戦死した女性兵士ジョフィエの姉である。ジョフィエはジシュカの盾となり、彼を守るために敵の矢の雨を全身に受けて、サイノス河の濁流の中へと消えていった。ジョフィエだけでなく、大勢の得難い部下たちが、彼を生かすために犠牲になったのだ。ジシュカにとっては、痛恨の敗北であった。

 ほうほうの体で逃げかえったジシュカは、ジョフィエを失ったことを、その姉であるユスティーナに丁寧に詫びた。仲の良い姉妹であっただけに、ユスティーナが取り乱すのではないかとジシュカは考えていた。何を言われても甘んじて受け入れるしかないと覚悟をしていた。

 だが、ユスティーナの反応は違った。

「どうか顔をお上げください、ジシュカ殿下。ジョフィエは殿下の臣下としての生をまっとうしたのです。これからは、わたくしがジョフィエの分まで殿下をお守りします」

 ユスティーナの優しさ、あるいは強さに、ジシュカは救われた気持ちになった。あるいは男としての甘えであるかもしれなかったが、この気丈な女性に支えられたい、頼りにしたいという気持ちになっていた。

以来、ジシュカは彼女を側近として重用するようになっている。一つには、信頼する部下たちを大勢死なせて人材が足りなくなっている、という面もあったのは確かだが。

 敵の指揮官は、何か不思議な力を持っているのではないか。そしてその正体は、自分の弟であるエッツェルではないか。そう疑っていることも、彼女にだけは話した。彼女ならば笑わないだろう、というより、彼女になら笑われてもかまわない気がしたのである。

 ユスティーナは笑わなかった。だが、ジシュカの抱く疑惑を肯定もしなかった。

「さすがに、それはないのではありませんか」

 エトルシア第四皇子エッツェルに対する世間の評判は、「美しい婚約者のことで頭がいっぱいな、恋に生きる貴公子」というものだった。今は「婚約者を失って、自らの支配地も革命軍に奪われた、頼りがいのない、情けない皇子」といったところか。なぜジシュカが弟に強い警戒心を抱くのか、ユスティーナには理解できないのだろう。

「そもそもエッツェル殿下は、婚約者のクレア様を殺されて、反乱軍のことを恨んでいらっしゃるのではありませんか?」

「そう、皆がそう思い込んでいる。それこそが、思考の盲点ではないかと私は思うのだ」

 クレアを殺したのは、本当に反徒どもだったのか。ジシュカは疑問を抱いている。反徒どもに友好的だった公爵令嬢を殺して、一体彼らに何の得があるというのか。実は真犯人は、別にいるのではないか。そしてエッツェルはそのことを知っているのではないか。

「まあいい。私の考えが正しいか否かは、じきに明らかになるはずだ」

 そう言って、彼はユスティーナとともに輜重部隊の状況を尖塔の上から見張ることにしたのであった。

 ただ待つだけでは暇なので、ユスティーナにはエトルシア式チェスの相手をしてもらっていた。上流階級の人々の間で広く親しまれている盤上遊戯である。

 他国のチェスにはないエトルシア式チェス独自の特徴として、試合を始める前に自軍の好きな駒を一つだけ『魔女』に指定できる、というのがある。『魔女』に指定する駒の裏には、あらかじめ印となる赤いチップをはめ合わせておく。『魔女』の駒は、試合中に一度だけ、正体を明かした上で本来の駒にはできない動きをすることができる。

 相手のどの駒が『魔女』なのか。自軍の『魔女』をどううまく活用するか。知恵を絞りながら、試合を進める。チェスに興じながら、反徒どもの襲撃が起こるのを粘り強く待つ。

 だが、いつになっても反徒どもが現れる気配はない。輜重部隊は、ゆっくりと街道を進んでいく。そのまま、無事に目的地であるディヴァ城へと入城した。

「とうとう来なかったか……」

 自分の読みが、外れていたのか。やはりエッツェルに他人の心を読むような能力などはなかったのか。

「私としたことが、さすがに発想が突飛すぎたか」

 顎の下を触りながら、ジシュカは苦笑する。得意げにユスティーナに語っておきながら、その予想はまるで外れていた。私の智謀の刃も、どうやら錆び付いてしまったらしい。

「何事もなく物資を運び込むことができたのですから、それはそれでよいのではないですか」

 言いながら、ユスティーナはチェスの駒を動かす。ジシュカが隙のない動きで敵の『皇帝』を追い詰めれば、ユスティーナは鮮やかな一手で攻めに転じる。互いに一歩も引かぬまま、盤面は最終局面を迎えていた。

「お前は何事もよい方に考えるな」

「はい。最終的に殿下がお勝ちになればよいのです。殿下は、きっとお勝ちになられますわ」

「そう願いたいな」

「でも、残念ながら殿下がこの次に味わうのは、勝利ではなく敗北の味ですわ」

「何……?」

「チェックメイトです、ジシュカ殿下」

 ユスティーナが差した絶妙の一手に、ジシュカは唸り声を上げた。ユスティーナには、女性としては特異なほどの体力や敏捷さを備えていた妹ジョフィエほどの武勇の才はない。だが、チェスの技量に関しては、ジシュカすらかなわぬほどの才能を持っていたのである。

「やられたな」ジシュカは天を仰いだ。「まさか『皇子』が『魔女』だったとは。『伯爵』か、もしくは『騎士』だと思ったのだが」

「自分がやりたいことをやるというより、相手がやられたら嫌であろうことをするのが、チェスで勝つ秘訣ですわ。ジシュカ殿下の方は、『侍女』が『魔女』でございますね?」

「見抜かれていたか。さすが、ユスティーナはよく見ているな」

 自らが女性としてのユスティーナに惹かれつつあることに気付かぬほど、ジシュカは鈍感ではない。だが、それだけの理由で側近として重用するほど愚かでもなかった。ユスティーナの得難い知性と閃きを、彼は何よりも貴重なものと考えていたのである。

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