第一章 ゲマナ陥落 3

「何だと……」

 今度はエッツェルが動揺する番だった。

 この娘は、いったい何を勘違いしているのか。クレアを殺したのは、お前たち自由革命軍を名乗る反徒どもではないか。誰かに騙されているのか。反徒どもの頭目が、手下どもに嘘の情報を流しているのか。

 いや、それとも。騙されているのは、自分の方なのか。俺からクレアを奪った相手は、反徒ども――自由革命軍ではないというのか。

「どういうことだ!? お前たちがクレアを殺したのではないのか!?」

「な、何よ、急に――!?」

「答えろ、クレアを殺したのは……」

 声を荒らげようとして、エッツェルを理性が押しとどめる。取り乱したのは失敗だった。突然の彼の変容に、女戦士は戸惑い、不審そうな目つきをしている。

≪なぜ急にそんなことを?≫

 心を読まれたと悟られてしまうだろうか? いや、そんなことは後でどうにでもなる。とにかく今は真相が知りたい。焦燥に駆られたエッツェルは、深呼吸をして、再度問いかける。

「お前たち自由革命軍に問おう。ルーアン公女クレアを殺したのは、お前たちか?」

 シャルロットは黙った。黙りながら、こんなことを考えているのが伝わってきた。

≪この男は、クレア公女を殺したのがあたしたちだと信じているのね。思えばかわいそうな男だわ。恋人を殺された上に、その仇が誰なのかを知らないなんて≫

 やはり、とエッツェルは思った。クレアを殺した犯人は、別にいるのだ。少なくともこの娘はそう信じている。

「クレア公女を殺したのは、あたしたちじゃないわ。彼女が殺されたあの夜、あたしはあの惨劇の場にいたわ。公女と同世代の女ということで、会談の輪の中に加わることになっていたの。でも、会談の場として指定されたルクレティア教会に行ってみると、公女は胸から血を流して、もうこと切れていたわ」

 シャルロットが口に出すと同時に、彼女の心の内も伝わってくる。嘘はついていなかった。

「クレア公女の胸には、鷹の紋章が刻まれた短刀が刺さっていたわ。何かしらの魔導の力が込められた、金色に輝く短刀よ」

 皇位継承権を持つ皇族――すなわち、現在の皇帝アレクサンデル二世の七人の皇子・皇女おうじょたち――だけに与えられ、彼らだけが使いこなすことができる、魔導戦器『皇閃剣こうせんけんアウグスタ』だ。シャルロットの言葉が本当なら、犯人はエッツェルを除く六人の皇族の誰かということになる。

「どうせ信じないだろうけどね。でも、あなたが信じなくても、これが真相よ」

「信じるとも」

 エッツェルがいともあっさりと言ったので、シャルロットは拍子抜けしたような顔をした。だが、短剣をエッツェルの喉元に突き付ける手は緩めない。

「お前の言うことを、信じる」

 エッツェルは、当時の情勢を振り返る。漠然と感じていた違和感を、掘り起こす。当時、政府軍と反徒ども――自由革命軍の間には、一時的な和睦が成り立っていた。長い戦いによって、政府軍も革命軍も、互いに苦しい状況に追い込まれていた。両者の間に立ち、和平を成立させつつあったのが、クレアだ。彼女の死は、そのかりそめの和平をすべてぶち壊した。

 和平を望まない誰かが、皇族の中にいたということだ。その誰かがクレアを殺し、その罪を革命軍の連中になすり付けたのだ。

 そうか。そういうことだったのか。

 自分は何という滑稽な愚か者なのだろう。婚約者を無残に殺されたばかりか、その仇である相手まで取り違えていたとは。

「ふふ……ははは」

 笑いがこみ上げてきた。この二ヶ月、自分がずっと無気力のまま生きてきたのは、このためだったのかもしれない。革命軍が、偽りの、でっち上げられた犯人であることを、頭のどこかでは薄々と勘付いていたのかもしれない。だから彼らを本気で憎むことも、恨むこともできずに、ただ悲しみに打ちひしがれて亡羊と生きてきたのだ。

「何よ、気持ち悪い。頭がおかしくなったの」

 言葉だけでなく、シャルロットの心の中からも、エッツェルの反応を不気味に思っていることが伝わってくる。思ったことをすぐ口に出す、正直な娘であるらしかった。

「シャルロット、何をやっている。まだエッツェル皇子を仕留められないのか」

 革鎧を着た若い赤毛の男が、指令室へと入ってきた。血にまみれているが、握りしめた剣は藍紫色の輝きを宿している。魔導戦器を持っているということは、シャルロットと同格かそれ以上の、革命軍の指揮官的な立場にある人物だろう。部下と思われる兵士を数名引き連れている。

 エッツェルは、その男の目を凝視する。この男の心が読めないだろうか。だが、聞こえてきたのは、シャルロットの心の声だった。同時に二人の心を読むことはできないということだろうか。

≪兵糧庫はもう制圧したみたいね。さすがは『赤きたてがみの獅子』ルクスね≫

 どうやら男の名はルクスというらしい。そしてシャルロットが彼のことを信頼していることも、うかがえた。

≪これで、普段ももうちょっとしっかりしていてくれたら、頼りがいのあるいい男なのだけど≫

「見てのとおりよ。とどめを刺しちゃってもいい?」

 シャルロットの言葉を聞きながら、エッツェルは考えを巡らせる。兵糧庫は抑えられ、司令官である自身も喉元に短剣を突き付けられている。もはや逆転の余地はない。それどころか、がすぐ側まで迫っていることを、エッツェルは予感していた。まさしく絶体絶命である。

 だが、俺はここで死ぬわけにはいかない。クレアを殺した、真犯人を暴き出さなければ。真犯人を引きずり出して、この世で最も残忍な仕方で殺してやらなければ。

 やってやる。俺ならできる。俺が、この不思議な『加護』の力を駆使すれば……。

「おい、反徒ども。いや、自由革命軍の諸君」不敵な笑みを唇に漂わせて、エッツェルは声を張り上げた。「お前たちに、協力してやる」

「はあ? 何を言っているの? あなたは、今ここであたしに殺されるのよ?」

 シャルロットがせせら笑う。ルクスは探るような目でエッツェルを見つめると、眉をひそめて言った。

「エッツェル皇子。あんた、今の状況が分かっているのか? この戦いは、我々自由革命軍の勝ちだ。あんたに残されたのは、名誉ある戦死を遂げるか、不名誉な捕虜となるかのいずれかしかない。それはもはや、揺るがない」

「果たして、そうかな?」

「何!?」

「俺の予想が正しければ、そろそろだな」

 エッツェルが言った直後の出来事だった。ひげ面の壮年の革命軍兵士が、顔を真っ青にして指令室へと飛び込んできた。自分の息子ほどの年頃のルクスに、うやうやしく敬礼する。

「ルクスさん! 大変です!」

 何か異変が起こったらしい。おそらくそれは、エッツェルの予想と同じものだろう。

 皇帝の実子である七人の皇族たちは、いずれ帝位を巡って血生臭い権力闘争を繰り広げる宿命にある。そして、その中にはクレアを殺した人間もいる。その人物は、エッツェルに対しても強い悪意を抱いていることだろう。ゲマナ城が陥落寸前という状況に対して、その何者かは、どう動くか。ただ傍観しているだけなのか。

「窓の外を見てください。政府軍の援軍が来やがった!」

 ルクスは急いで部屋の窓へと駆け寄った。外を見まわし、表情をわずかに曇らせる。

 短剣をエッツェルの首に当てたまま、シャルロットが彼に立ち上がるように促した。それに従うと、シャルロットは彼の後ろに回り、エッツェルが勝手に動かないよう注意を払いながら、そっと窓の外へと目を向けた。

 エッツェルは、耳をそばだてた。かすかに馬蹄の響きが聞こえる。

「あの方角は、カタラス区からの軍勢か」

 ルクスがつぶやいた。エッツェルの長姉にあたるエトルシア第一皇女デスピナが支配する地区である。

 デスピナは、炎のような苛烈さと氷の如き冷徹さで知られる武人である。一年前にはフェルセンら諸将を率い、圧倒的な強さで北東方面の自由革命軍を蹴散らしている。その彼女が、ゲマナ城に援軍を寄越したのである。

「しかし、なぜ、このタイミングで……」

「このタイミングだからこそさ」

 本来、帝都アウラを守る軍事拠点である七つの城は、有機的な連携によって効果を最大限に発揮する。ゲマナ城が攻められたなら、隣接する別の城から援軍が現れて、侵入者を挟み撃ちにする、といった具合である。だが今回、ゲマナ城が攻められても、他の城は動きを見せなかった。

 北のオーミル城を守る兄フィリップは、革命軍の別動隊との戦いを強いられ、こちらも苦戦中と聞いている。だが、東のカタラス城を守る姉デスピナが動かなかったのは、なぜか。

「伝令によれば、デスピナ皇女は傍観に徹しているとのことだったが、意外だったな。だが、エッツェル皇子。あんたを人質にして交渉すれば――」

「残念ながら、俺では交渉材料にならんよ」エッツェルは吐き捨てた。「姉上め。俺を、最初から見捨てるつもりだったのだ」

 おそらくデスピナの計画は、こうである。まず自由革命軍にゲマナ区を攻めさせる。ただし、ゲマナ城のエッツェルは、見殺しにする。だがそのままゲマナ城を革命軍に占拠されてしまっては、自分が支配するカタラス区も危ういし、自身の怠慢を問われることにもなる。だから革命軍にエッツェルを殺させた上で、彼らが城の占拠を完了しないうちに、軍を派遣して殲滅させる。それでカタラス区の安全は保たれ、自身も面目を施すことができる。

 エトルシア帝国の皇子・皇女たちにとって、自分以外の皇子・皇女などすべて自分が帝位を継承するための障害物でしかない。邪魔者を排除した上で手柄も独占できる、一挙両得の策というわけだ。

(クレアを殺したのも、デスピナ姉上だろうか……?)

 確信はない。あるいは、今回の件はクレアを殺した犯人がデスピナを唆したのかもしれない。だが今の時点では、デスピナこそが最も疑わしい相手といえた。武を好む彼女にとって、和平を求めるクレアは疎ましい存在であったに違いない。

「デスピナ姉上が差し向けた軍勢は、ゲマナ城を占拠したお前たちを、逆包囲する形だな。お前たちは攻城戦で疲労のピークに達している。城に立て籠もろうにも、いしゆみも投石装置も、みんなお前たちが壊してしまった。果たして、勝てるかな」

「あたしたちを馬鹿にするな!」

 シャルロットが、今にもエッツェルの首に突き刺そうと、短剣を握る手に力を込めた。だが、ただの威嚇にすぎない。彼女の心を読んでいるエッツェルには、脅しは通じない。

「助かりたければ、俺を仲間として受け入れることだ。クレアを殺した犯人がお前たち自由革命軍ではなく、政府軍の中にいると分かった以上、もはや俺の心は政府軍の中にはない」

「で、あんたはこの場をどう切り抜けると?」

 ルクスが乗ってきた。エッツェルは、自分がまだ運命の女神に見捨てられていないことを知った。あるいは復讐の女神だろうか。血と殺戮を好む復讐の女神が、クレアを殺した下手人を暴き立て、仇を討てと彼に命じているのだろうか。

「敵の指揮官と会う。会って、包囲を解かせる。俺に考えがある。必ずお前たちを助けてみせる」

「ふざけないで! そう言って逃げるつもりでしょう!」

 激昂したのは、シャルロットだった。間髪を入れず、エッツェルは勢いよく彼らをただす。

「ならば問おう。この戦況を打開できる者が、お前たちの中にいるのか?」

 シャルロットもルクスも、ルクスの部下たちも、沈黙をもって彼に答えた。勇武で知られるデスピナの精鋭部隊だ。疲れ切った今の革命軍では相手にならない。

 ルクスが、苦笑いとともに頭をかいた。シャルロットに向けて手を振る。

「よし、分かった。シャルロット、皇子を解放してやってくれ」

「ルクス! こいつの言うことを信じるの!?」

 まだ納得のいかないシャルロットを見て、ルクスは部下の一人に耳打ちした。純朴そうな少年兵だ。ルクスの言葉を聞いて、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに納得したようにうなずき、部屋を退出する。しばらくすると、少年兵は幼い少女を連れて現れた。

「エッツェルさま! ご無事ですか!?」

「アンジェリカ!」

 クレアに託された、彼女の妹アンジェリカだった。やや怯えているようだが、怪我はないようだ。

「エッツェルさま。あたしたちは、どうなっちゃうの。クレアねえさまみたいに、殺されちゃうの?」

「大丈夫だ。絶対に、そんなことにはならない。俺を、信じてくれ」

 滑稽だな、とエッツェルは心の中で自嘲した。敵の女戦士に短剣を突き付けられている身でそんなことを言っても、説得力がない。

「あんたを自由にするにあたって、一つだけ条件をつけたい。この少女は預からせてもらう」

「幼い少女を人質にとるとは、どういう了見だ。これがお前たち革命軍のやり口なのか」

 エッツェルは静かな怒りとともにルクスを睨みつけた。自分はクレアを守ってやることができなかった。せめてその妹だけは、何があっても守り抜かなければ。

「手荒な真似は絶対にしないと約束する」

 ルクスの目が告げていた。自分はすでに、あんたに全面的な信頼を寄せている。でも、シャルロットをはじめ、同志や部下たちが納得しない。だから目に見える形で、あんたが我々を裏切らないという証が欲しいのさ、と。

 政治上の配慮というやつである。ここは、了解するしかない。

「いいだろう、クレアを殺した奴らの手元に置くよりは安全だ」

「で、シャルロット。いつまで皇子とそうやってイチャついているつもりだ?」

「え? きゃあっ!」

 シャルロットは赤面し、慌ててエッツェルから離れた。背後から喉元に短剣を突き付けているつもりだったのだろうが、いつの間にか必要以上に身体をぴたりと密着させてしまっていた。顔と顔の距離が近すぎて、エッツェルの頬に唇が触れてしまいそうなほどだった。

「お、皇子も、黙ってないでちゃんと言いなさいよ。サイテー!」

「俺は別に、クレア以外の女の吐息を直に感じたところで、特に嬉しくはない」

「微妙に傷つくんですけど!?」

 エッツェルの言葉は明らかに余計な発言で、シャルロットはいっそう険しい顔つきになって、彼を睨みつけた。

 彼女の怒りが心の声となって伝わってくるかと思ったが、何も読み取れない。どうやら彼女の心の中が覗けたのは、短剣を突き付けられていた間だけらしい。

「胸の傷は、もういいの?」

「問題ない。さっきは、やられた振りをして反撃の機会をうかがっていただけだ。単なるかすり傷だ」

「……おかしいわね。確かに、致命傷を与えたと思っていたのに」

 エッツェルの説明に、シャルロットは納得がいかない様子である。だが、おとぎ話ではあるまいに、傷が何もせずに治るはずもない。だから受け入れるしかない、といった面持ちである。

「アンジェリカ。少しだけ、待っていてくれ」

「分かりました! アンジェリカはいい子だから、エッツェルさまを待っています!」

 まっすぐな青い瞳で見つめられて、エッツェルはうなずいた。この少女の信頼を裏切るような結果には、絶対にさせない。そう彼は自らに誓った。

 片目をつむり、ルクスが手を差し伸べてきた。

「ではよろしく、エッツェル皇子。僕は――」

「知っている。『赤きたてがみの獅子』ルクスだな」

「ほう。僕の名前も、少しは知られているのかな」

 軽く驚いた表情のルクスの手を取り、エッツェルは無言で強く握りしめた。

 その瞬間、今度はルクスの心の声が伝わってきた。どうやら心を読むためには、相手に直接触れることが必要らしい。

≪これは、賭けだ。だが、大いに乗ってみる価値のある賭けだと、僕は信じる≫

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