第一章 ゲマナ陥落 4

 ラヴァル伯フェルセンは、口髭をさかんにいじりながら、ゲマナ城を眺めていた。デスピナ皇女の要請に応じ、軍を動員してはみたものの、ゲマナ城攻略で疲弊しきった敵はあまりにも脆く、ろくに戦いもせずに城の中に立て籠もってしまった。

 とりあえず部隊を展開して城を包囲させたが、さてこれからどうしようか。二十年にわたる軍歴を誇る彼にしてみれば、これは戦いなどと呼べるようなものではない。ドブネズミを始末するようなものだ。

「あまりに敵が弱いというのも、つまらんものだ。必死に抵抗する敵を捕らえ、その高飛車な鼻をへし折り、屈服させ、いたぶり、なぶり、凌辱し、苦しませ、心を砕き、最後は絶望の淵に追いやって殺し尽くす。それこそが戦の醍醐味なのだが」

 フェルセンが呟くと、側近たちが下卑た笑いで追従した。フェルセンはこれまでにいくつもの反徒どもの村を襲い、住人たちを皆殺しにし、財産を略奪し、若く美しい娘たちを捕らえて本能の赴くままに蹂躙してきた。側近たちももちろん、そのおこぼれにあずかっている。

「この程度の敵にやられてしまうとは、ゲマナ城を守っていたエッツェル皇子も、ずいぶんとふがいないのう」

 皇子については、皇宮で何度か見かけたことがある。恋人一筋の、つまらぬ男であった。皇族としての権力があればいくらでも美しい娘を抱くことができるのに、なぜ一人の女に固執するのか。フェルセンには理解できぬことである。

「戦利品は、さて期待させてもらうとしようか」

 彼の言う戦利品とは、財貨、宝石、軍事物資、そして美女である。政府軍とは異なり、反徒どもの仲間には若い女の兵士も多い。フェルセンにしてみれば、わざわざ彼に囚われて凌辱されるために反乱に加わっているようなものだ。

「フェルセン将軍」

 壮年の騎士が、彼にそっと駆け寄ってきた。うやうやしく一礼して、耳打ちする。

「反徒どもの使者を名乗る者が、交渉を求めています」

「そんなことをわざわざ伝えに来たのか。くだらん。追い返せ」

 苛立ちをあらわにして、フェルセンは怒鳴り付けた。

「は。ですが、使者は二人連れでして」騎士は引き下がらなかった。「一人は金髪の、なかなかに美しい娘でして」

 彼はフェルセンの性格を熟知している。ニヤリと笑って、上官にとって最も重要な情報を伝えた。

 途端に機嫌を直したフェルセンは、満面の笑みで騎士を小突く。

「何をしておる。早く連れてこんか!」

 ……しばらくして現れたのは、金髪の娘を連れた、白銀の鎧で全身を包んだ騎士だった。顔をすっぽりと覆い隠す兜までつけている。その異形にフェルセンは眉をしかめたが、騎士の最初の一言で、さらに不審を募らせた。

「私の名は、シルバー」

「シルバー、だと?」

 銀、を意味する異国の言葉だ。あからさまな偽名だった。だが、どうせまとめて処刑するだけだ。名前などどうでもいい。

「反徒どもの代表は、自分の素顔を晒すこともできないのか? 偉大なる皇帝陛下に盾突いた罪深さを恥じ入って先祖に顔見せできないから、そうやって兜で顔を隠しているのか?」

「素顔のまま平気で罪なき人々を殺し、富を奪い、うら若き娘たちを凌辱している者もいる。人それぞれということだ」

「貴様!」

 フェルセンは傍らのどす黒く巨大な戦斧を手に取ると、その厚い刃をシルバーと名乗る男の首元に勢いよく突き付けた。彼の発言がフェルセンをあてこすっていることは明白だった。

 フェルセンは固く信じている。特権階級に生まれた、偉大な軍事指揮官である自分には、反徒どもを好きなように嬲り、貶め、殺す権利があると。それを糾弾されるいわれは何もない。

 だが、戦斧を突き付けられても、シルバーは身じろぎ一つしなかった。今はまだ本気で殺すつもりはないと、たかをくくっているのか。それとも彼を挑発して、何かを誘っているのか。興がそがれた形になって、フェルセンは戦斧を下ろした。

「ふん、まあいい。反徒の頭目の顔などに興味はない」

 そう言いながら、彼はシルバーの傍らに控える金髪のセミロングの女を一瞥した。彼にとっては、そちらがメインである。部下が言っていたとおり、なかなかいい女ではないか。気の強そうなところなど、特によい。その顔が悲痛と絶望に歪み、血と涙にまみれながら命乞いをするところを、早く見てみたいものだ。

「貴官はフェルセン将軍だな」

「いかにも、わしがラヴァル伯フェルセンである」

 シルバーの声に、フェルセンは胸を張った。フェルセンの名を聞いて、金髪の女がわずかにセミロングを揺らした。

「で、貴様らの用件は何だ? いや分かっておる。降伏を申し出に来たのだろう? この娘をわしに献上するから命は助けろと。まあ考えてやってもよいぞ?」

 そう言って、娘の方へとおもむろに手を伸ばす。もはやフェルセンの思考は軍事にはなく、その後のお楽しみの方へと関心が移っていた。

「やめろ!」

 フェルセンの腕を、鋭い言葉とともにシルバーがつかんだ。意外な展開に、フェルセンは苛立ちを強める。先ほどの挑発的な言葉といい、この男は何を企んでいる? 降伏を申し出に来たのではないのか?

「あたしたちは、降伏なんかしない」金髪の女が初めて口を開いた。

「正気か、貴様らは」顔をしかめるフェルセン。

「エッツェル皇子はあたしたちの捕虜よ。彼が、どうなってもいいの?」

「馬鹿めが。エッツェル皇子のことなどどうでもよいわ」

 エッツェルは見殺しにせよ。反徒どもに殺させるか、自ら殺した上で反徒どもに殺されたことにせよ。それが、彼の主君であるデスピナ皇女の指示だった。デスピナは剛毅果断をうたわれる女将軍である。もともとはあまり謀略を好んで使う性格ではなかったが、次の皇帝の座を手に入れるため、最近はこうした策を積極的に用いるようになっている。

 フェルセンはその命に従い、あわよくばエッツェルを反徒どもに殺させるために、わざと戦場に遅参したのである。そんな事情も知らず、エッツェルを人質にしたつもりで得意になっている反徒どもが滑稽だった。

「そんなことより、貴様、手を離せ」

「離さない。お前がこの娘に対し、恥ずべき狼藉をはたらかぬと誓うまではな」

「恥ずべき狼藉だと? わしは勝者だぞ。娘たちを捕らえて慰み者にすることは、勝者として当然の権利だ」

「あなたって、最低な男ね」

 女が吐き捨てた。フェルセンはせせら笑う。

「何とでも言うがいい。わしは貴様ら反徒どもを蹴散らしたときには必ず、上玉の娘を捕らえて十字架に磔にし、泣き叫ぶ姿を楽しむことにしておるのだ。お前もそうしてやろう。光栄に思うがいい」

 フェルセンは、妊婦の腹を裂いて胎児を取り出し、それを蒸し焼きにしてその子の父親に食べさせたことがある。恋人の目の前で少女を裸にし、部下たちに凌辱の限りを尽くさせたこともある。どれほど残虐な振る舞いも、すべては勝者の特権だった。彼の言動を非難する人間もいるが、そんな偽善者の振る舞いなど、一笑に付すことにしている。どうせ不逞な反徒どもは皆殺しにするのだ。それならば殺す前に楽しんだほうがよいではないか。

 聞くところによると、反徒どもはルーアン公女クレアを襲撃したとき、心臓を短剣で一突きにして、そのまま殺してしまったそうだ。あれほどの美女を、何ともったいない、とフェルセンは思う。わしであれば、あの清楚で美しい肉体を思うがままになぶり、泣いて許しを請うまで味わい尽くしてからとどめを刺すだろうに。

 心なしかフェルセンの腕をつかむシルバーの手が震えている。今さらながらわしに恐れをなしたか、とフェルセンは考えた。

「デスピナ皇女は、お前の振る舞いについて、何か言わないのか」

「別に何も。わしと皇女殿下は、父娘のような信頼関係で結ばれておるゆえに」

 シルバーの問いに、フェルセンは胸を張った。デスピナからは、軍事上の機密も打ち明けられている彼である。軍備の予算から城の抜け道まで何でも知っている。

 フェルセンが「父娘のような」という表現を使ったのには、実は彼にとって特別な意味がある。二十年以上前、気鋭の青年貴族であったフェルセンは、皇帝の寵姫エウドキアと密かに通じた。満月の夜だった。皇宮の一室『星砂の間』で、フェルセンが力ずくでものにしたのだが、すぐにエウドキアも彼に夢中になった。

 そのわずか一週間後、エウドキアは懐妊していることが分かった。そして生まれたのが娘デスピナである。時機からしてフェルセンがデスピナの父であることはありえないが、彼としては、美しく成長したデスピナが自分の娘のように思えるときがあるのだった。

 余計なことを思い出してしまった。フェルセンは甘美な一夜の出来事を頭から振り払い、シルバーの手を振りほどく。

「で、それがどうかしたか? もうお前たちにカードはなくなったぞ」

 フェルセンは笑った。必死に助かる道を探ろうとする反徒どもの使者が哀れだった。彼らがどんなに知恵を絞り活路を探ろうと、結末はすでに決まっている。皆殺しにするのだ。この金髪の美しい娘だけは、生命だけは助けてやってもよいだろう。まあ、一思いに死んだほうがましな運命が待ち受けているかもしれないが。

 余興は終わりだ。無礼な使者は、八つ裂きにして殺してしまおう。フェルセンが合図を下そうとしたそのときだった。

 おもむろに白銀の騎士シルバーがささやいた。

「満月の夜、星砂の間」

 幾百億の言葉の羅列の中から、ありえない組み合わせが取り出されて、唐突にフェルセンの下へと投げ出された。フェルセンは、耳を疑う。今、この男は何と言った? 自分と皇帝の寵姫しか知らぬはずの、あの夜の秘密を、なぜこの男が知っている? 見られていたとでも言うのか? まさか、ありえない。

「い、一体何の――」

「とぼけるな。私の言わんとすることは、分かるだろう?」

 フェルセンは答えなかった。答えられるはずがない。傍らには、部下たちもいる。答えれば、この男に秘密を握られていると認めることになる。

「言っておくが、この場で私を殺しても無駄だぞ? 私が死ぬようなことがあれば、あの件は即座に帝都中に知れ渡ることになるだろう」

 そんなことになったら、わしは身の破滅だ。フェルセンは愕然とした。自分の寵姫を寝取られたと分かって、あの残忍極まりない皇帝が自分を許すはずがない。

「兵を引け」

 シルバーが言った。それは命令だった。

「お前には、私の駒としてもっと働いてもらわねばならん。だから今は見逃してやる。だから大人しく兵を引け」

「貴様、何を言っている!」

 気性の荒い部下の一人が、剣を引き抜いた。それが合図となり、部下たちが一斉にシルバーと金髪の女を取り囲む。

「先ほどから意味の分からぬことをごちゃごちゃと。将軍閣下に対し、無礼にもほどがあるだろう!」

 今にもシルバーに斬りかかろうとする部下たちに、フェルセンはうめくような声を発した。

「やめろ、この男に手を出すな!」

「か、閣下!?」

 狼狽と困惑が、部下たちの顔に暗い影を落とした。金髪の女も、驚いてフェルセンを凝視している。どうやら女はこの件については何も聞かされていなかったらしい。彼らが呆然とする中、フェルセンはそっとシルバーに近づき、その肩に手を置いて耳打ちした。

「言うとおりにすれば、秘密は守ってくれるのだろうな」

「私は別に、将軍閣下やデスピナ皇女を失脚させようと考えているわけではない。私の目的のために、帝国の重鎮たる大貴族であり、歴戦の宿将でもある将軍閣下のご協力をいただきたいのだ」

 シルバーがささやき返す。この男にはこの男の目的があるらしい。フェルセンは、少しだけ安堵した。その目的のために自分に利用価値があると思われている限りは、どうやら破滅に追い込まれることはなさそうだ。

 フェルセンは宣言した。

「包囲を解く。わしはラヴァル伯領に帰る」

 もはやデスピナの下へは戻れない。であれば、自らの領土に向かうしかない。万一、寵姫エウドキアとの一件が漏洩してしまうことがあっても、自分の領土に籠っていれば皇帝とて簡単には手が出せない。

「フェルセン様!? いったいどうして」

「うるさい! 貴様たちは、わしの言うとおりにしておればよいのだ!」

 怒鳴り付けると、部下たちはしゅんと静まり返った。もともと理不尽が絹服を着て歩いているような男である。部下たちは彼に叱り付けられていることに慣れており、口答えしても無意味であることを知っている。

 シルバーの手を取って、フェルセンは言った。

「た、頼む。デスピナ様を破滅に追いやることだけは、やめてくれ」

 なぜそんな言葉が自分の口から出てきたのか、フェルセンにはよく分からなかった。デスピナに娘のような感覚を持っているのは確かだが、自分にも父性というものがあったのか。

 シルバーは彼だけに聞こえるよう、小声で囁くように答えた。

「いいだろう。お前が私に従うつもりなら、あの一件は決して口外しないし、デスピナ皇女のことも、悪いようにはしない。約束する」

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