第六章 覇者を目指す者 4

 デスピナとエウドキアは、護衛の兵たちを引き連れてカタラス城の大広間へとやってきた。普段は兵士たちの武闘訓練のために用いられている広間だ。

「敵がいくら精鋭であったとしても、ここまで辿り着くのは不可能でしょうね」

 エウドキアが、ドレスの埃を払いながら言った。確かに、城の中には多数の兵が控えている。容易には敵の侵入を許さない仕掛けも施されている。並みの者たちでは、突破するのは不可能である。

「いえ、エウドキア様。敵は、きっとここまでやって来ます。それくらいはやってのける相手です」

 断言したのは、側近のジェルメである。敵は凡庸な相手ではない。どんな手を使ったのか、デスピナ軍の二重三重の陣を突破し、さらに地下通路まで駆使して彼女を追い詰めた。敵の背後に回り込む作戦を立てていたジシュカや、がら空きになったゲマナ区を奪還するはずのフィリップからも、何の音沙汰もない。おそらくやられてしまったのだろう。彼はそう分析した。

「こうなると、敵が並大抵の相手でないことは認めざるを得ません」

「ジェルメの言うとおりです。決して油断できる相手ではありません」

 異国出身の部下の言葉に、デスピナは同意した。ジェルメの優れた判断力、敵に物怖じしない胆力、誠実な人柄に、彼女は重きを置いている。たとえ『至誠の加護』をかけていなかったとしても、彼は決して主君であるデスピナを裏切らぬであろう。

「ですが、ご安心ください。奴らは私を倒すためではなく、私に倒されるために、ここにやってくるのですよ」

「そう。ふふ、頼もしいわね」

 エウドキアは笑った。母のためにも負けるわけにはいかなかった。

 戦いに備え、甲冑を着込む。『蒼炎の皇女将軍インペラトル・レギア・フラメア』の名にふさわしい、堂々たる姿で敵に臨まねばなるまい。

 デスピナが甲冑を身に着けたと同時に、果たして、敵は現れた。辿り着いたのはわずか二十名ほどだが、間違いなく精鋭であろう。

「観念しなさい、デスピナ皇女」

 その先頭に立っているのは、意外なことに、虹色の槍を持った若い女だった。だが、その軽やかな身のこなしが鍛えられた戦士のものであることを、デスピナは一目で見抜く。

「やはり来たか、反徒ども。私の配下の者たちでは、相手にならなかったようだな」

「手荒い歓迎をしていただきましたわ、皇女殿下。でも、やんごとなき皇女殿下の部下たちにしては、もてなしが不十分な気がしたわ」

「ほう、では、私自らが皇族の流儀で貴様たちを接待してやるとしよう」

 敵の中には、おそらく『加護』の力を持つ者がいるはずだ。普通の人間が、デスピナをここまで追い詰めることなどできるはずがない。この女がそうなのだろうか。

 デスピナが警戒するものはただ一つ、敵が使う『加護』である。どんな能力なのか、まったく見当もつかない。その内容によっては、なすすべもなくやられてしまう可能性すらある。それを警戒して人前に出ないようにしていたくらいだが、今となってはそのような『加護』ではないことを祈るしかない。

 槍を持つ女の隣で、白銀の鎧に身を包んだ男が、静かにせせら笑った。

「心を操る術を使おうとしても、無駄だぞ。ここにいるのは、誇り高く、そしてお前への憎しみに溢れている者ばかりだ。易々とお前の奴隷にはならぬぞ」

「……見抜かれていたのか、私の使う力のことを」

 この白銀の騎士が、『覇者を目指す者レグナートゥールス』なのかもしれない。顔を隠しているのは、他の『覇者を目指す者レグナートゥールス』から『加護』の力を受けることを、恐れているからなのかもしれない。

「だが、ならば話は早い」

 デスピナには、最後の手がある。『加護』の力を見抜かれているのなら、むしろ好都合だ。

「前に出ろ、お前たち」

 デスピナの指示の下、護衛の兵たちの後ろから、粗末な身なりの男たちが寄ってきた。全員が虚ろな目つきで、薄ら笑いを浮かべている。

「この者たちが誰かは、分かるな?」

「マグヌス! ジャック!」

 反徒どもの中から、悲鳴にも似た声が上がる。

「アードラー隊の連中か」

 白銀の騎士がつぶやく。

「そうだ。蒙昧なお前たちでも、さすがに仲間の顔は覚えているようだな」

『至誠の加護』の力をかけてある。デスピナの言うことなら、どんなに理不尽なことでも何でも聞いてくれる。

「剣を構えろ。不逞な反逆者どもから私を守るのだ」

「「「かしこまりました、皇女殿下!」」」

 デスピナが命じると、目を血走らせて、男たちは鞘から剣を引き抜いた。

「さあ、反徒ども。この者たちと、戦えるかしら」

 デスピナに代わって、エウドキアが言った。

「戦えないわよね。固い絆で結ばれた仲間たちだものねえ」

「卑怯な! あなたには武人としての誇りはないの、デスピナ皇女」

「卑怯? 何とでも言うがいいわ。私のかわいいデスピナは、力と破壊の神トゥルヌスによって選ばれたのよ。神の思し召しによって、世界を手に入れるの。そのためだったら、どんな手段でも使うわ」

 金髪の娘の挑発を、エウドキアは笑い飛ばす。

 そうだ。これでいい。どんな手段を使ってでも、勝たなければならない。死んでしまっては、志を果たすこともできない。私は、覇者にならなければならない。すべては、勝利によって正当化される。

 デスピナが自分を納得させようとしたそのとき、不意に白銀の騎士が口を開いた。

「ならば問おう、デスピナよ。このような所業が、本当に正しいことだと思っているのか?お前の部下たちは、お前のそのような姿を見て何と思うか?」

「何だと?」

「部下たちに忠誠を求めるにふさわしい器量が、お前にはあるのか? お前の母が言っていることに、お前は心から納得しているのか?」

「戯言を。まずは貴様を二度と口のきけぬ身体にして、トゥルヌス神への供物に捧げてやる」

 デスピナは、嘲笑した。白銀の騎士がこのようなことを口にするのは、仲間たちを人質に取られて打つ手がなくなったからだ、と彼女は考えた。

 だが、そうではなかった。

 デスピナの視界の片隅で、何かが光った。煌いたのは、白刃である。ほとんど同時に、血飛沫が乱れ舞った。

 彼女の側近であるジェルメが無言で刀を抜き放つと、母エウドキアの首を一瞬で刎ねたのである。

 信じられないといった表情で、エウドキアの首は宙を飛んで、床に転がった。ジェルメは血まみれの刀を手にしたまま、落ち着いた面持ちで生首を見下ろしている。

「ジェルメ……貴様! よくも、よくも母上を……」

 デスピナは、逆上した。愛する母を、信頼していた部下に討たれたのである。ほとんど反射的に、彼女は手を動かしていた。腰に下げた『竜騎剣ティアマト』を引き抜くと、素早くジェルメに打ちかかる。ジェルメは避けようともしない。

「落ち着け、デスピナ! ジェルメが本当に裏切ったと思っているのか!」

 白銀の騎士が声を轟かせた。ジェルメの首を刎ねる寸前で、デスピナは思いとどまる。確かに、ジェルメの裏切りは不可解だ。もともと忠義に厚い人柄である上に、彼には『至誠の加護』の力が及んでいたはずである。

「デスピナよ。その女は、本当に貴様の母か」

 白銀の騎士が鋭く問いかけた。その声は、草むらを這いずり回る毒蛇のようにデスピナの心の中に入り込んできた。

「この女は、貴様の母になりすました、偽物だ。魔女なのだ。他人に化けることなど、妖しげな術を使う魔女にとっては造作もない」

「馬鹿な……そんなふざけたことが……」

「ふざけてなどいない。よく見ろ、お前が母と慕う女の正体を」

 デスピナは、母の生首を見下ろした。あっ、と声を上げる。血に塗れたその首が、みるみる姿を変えていく。

 デスピナと同じ濃青色の髪は燃えるような赤毛に、紫の瞳は神秘的な黒い瞳に、それぞれ変わっていく。顔立ちもまるで違う。エウドキアとはまるで別人の、若い娘のものだった。

「これは……母上は……」

「これで、はっきりしただろう。この女は、お前の母などではない。母に化けた魔女だったのだ」

 白銀の騎士が断言すると、ジェルメが控えめに言葉を添えた。

「デスピナ様。わたくしは不忠者です。あなたを不逞な賊どもからお守りすることができず、ここまで敵の侵入を許しました。ですが、せめてあなたの名誉だけはお救い申し上げるつもりです。おぞましい魔女の術などに頼っては、『蒼炎の皇女将軍インペラトル・レギア・フラメア』の名に、取り返しのつかない傷がつきましょう。あなたが頼るべきは、いかがわしい魔女ではなく、剣であるべきです」

「デスピナよ、そのジェルメという男には、術が効かなかったのではない」白銀の騎士が指摘した。「ジェルメはまさしく忠臣だ。まことの忠臣であるがゆえに、お前のためを思ってあえてこのような行動に出たのだ」

「では、では本当の母上は……」

「おそらく、もうこの世にはおるまい。病に倒れたお前の母は、医師からは、もう余命いくばくもないと診断されていたはずだ。それなのに奇跡的に回復した。そのことを、そもそも疑うべきだったのだ。お前の母は、病で死んだのだ。死んだ母に、この魔女は成りすましたのだ」

 信じたくないその言葉を、だがデスピナは真実であると理解した。母の性格がまるで変わってしまったのも、別人であったとすれば納得がいく。本当は心のどこかで、彼女はすでに知っていたのだ。知っていたのに、知らないふりをしていたのだ。

「お前は危うく、邪悪な魔女どもの世界制覇の野望に力を貸すところだったのだ」

 白銀の騎士の言葉に、力なくデスピナは笑った。何が『覇者を目指す者レグナートゥールス』か。トゥルヌス神が自分を選んだなどという話も、すべては自分を誑かすための、魔女のたわ言だったのだ。

 デスピナは、母を守るために戦っていた。その母も、もういない。大事な人を守ろうとして、自分はころりと騙されていたのだ。

「俺たちは……一体何を……何でこんなことを……」

 正気を取り戻したらしいアードラー隊の者どもが、辺りを見回して呆然としていた。魔女が死んだ以上、『至誠の加護』の力も失われてしまったようだ。

 デスピナは、蒼い炎が渦巻く剣を、天高く掲げた。

「もはや私に残されたのは、この剣のみだ。『蒼炎の皇女将軍』の最期の戦いを、お前たちに見せてやるとしよう」

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