第六章 覇者を目指す者 3
デスピナが使った『至誠の加護』の力によって、広場は大混乱に陥った。反徒どもは市民たちに包囲され、追い詰められている。
「これで反徒どもも終わりね」
エウドキアが言った。
「本当は、まだあなたの力は極秘にしておきたかったのですけどね。あまりスマートな勝ち方ではなかったけれど、まあよいでしょう」
デスピナは、ほっと息を吐いた。奥の手は、あと二つほど残している。それらを使う羽目になるときは、本当に危ういときだ。そうならないでよかった。
「母上。一つだけ、教えてください」
しばらくためらった後、デスピナは口を開いた。
「結局、『加護』の力とは、何なのですか」
その質問を、デスピナはずっと胸に抱えながら口に出せずにいた。真相を知るのが怖かったし、母もその話題を避けているように思えたからだ。だが、いつまでも知らないままでいるわけにはいかない。力を持つ者として、その力が何によるものなのかを知る義務がある。
「何度も言っているでしょう。力と破壊の神トゥルヌスがあなたに与えた力だと。この力を使って、あなたに覇者になれと言っているのだと」
「本当にそうだとして、どうして母上がそれをご存じなのですか?」
「私は神の声を聞いたのです」
「それが神の声であると、どうして分かるのです? 神を装った悪魔の声ではないと、なぜ言い切れるのです?」
エウドキアは、押し黙った。しばらくして、不機嫌さを隠しようもない強い口調で、彼女はデスピナを詰問した。
「デスピナ。母である私のことを信用してくれないとは、失望しました。あなたは私の言うことなら何でも聞いてくれる子だったのに」
「申し訳ありません……」
デスピナはしゅんとなった。エトルシアきっての猛将も、母には弱い。陰謀まみれの宮廷で、デスピナは母と身を寄せ合って生きてきたのだ。そんな母に逆らうことはできない。
背後から甲冑の音がした。不審に思って振り返ると、
「大変です、デスピナ皇女殿下」
側近のジェルメが血相を変えてバルコニーに現れた。
「反徒どもの一隊が、突然、城内に現れました。まっすぐこちらに向かっています」
「何だと!?」
反徒どもの軍団は、広場で右往左往しているはずではないか。母と話をしている間も、デスピナは彼らから目を離してはいない。城内に突入する余裕などありはしなかったはずだ。
「どういうことだ。敵が、瞬間移動してきたとでもいうのか? どこに現れた?」
「地下の、貯蔵庫からです」
その言葉で、デスピナは青くなった。敵がどのような手段を使ったのか、悟ったからであった。
「まさか……地下通路を辿って!?」
貯蔵庫には、万が一のときのために、秘密の脱出用通路が作られていた。デスピナが持つ二つの奥の手のうちの一つである。それが、敵に利用されてしまったというのか。
もしや、広場での反徒どもの行動すら、陽動だったのか。目の前で起こっている出来事に、気をとられていた。
「なぜ地下通路のことが敵に漏れた」
知る者はごくわずかだ。ましてデスピナの部下たちは、全員が『至誠の加護』の支配下にある。裏切る者などいるはずがない。
「もしや、敵にも『加護』の力を持つ者がいるのか」
どんな力かは分からないが、デスピナの『至誠の加護』同様、人知を超えた力によって、敵は地下通路の存在を知り得たのではないか。
「その可能性は否定できないわ」
エウドキアが頷いた。
「恐れながら、『加護』とは何のことでしょうか?」
不審そうな面持ちでジェルメが尋ねる。
「お前が知る必要はない」
デスピナは、冷たく言い放った。ジェルメは「失礼しました」と恐縮する。うすうす、デスピナが何か特別な力を持っているのではないかと気付いているようなふしがあるジェルメである。だが、その忠誠心に疑いはなかったし、今後も彼女のために誠意をもって尽くしてくれるであろう。
「たとえそのような敵がいるとしても、あなたは負けないわ、デスピナ。そうでしょう?」
「はい、もちろんです、母上」
地下通路を使われたからといって、それが何だというのか。万が一のための退路を断たれたというにすぎない。自分が負けるはずがない。デスピナは自分にそう言い聞かせた。
シャルロットが副官を務めるシルバー隊は、ジシュカの部隊を壊滅させた後、休む間もなく帝都に戻った。そのままルクスたちと合流するのかと思えば、意外な行き先を告げられてシャルロットは面食らった。それはカタラス区郊外の、薄汚れた墓地だった。
「これだ。この墓石を右にずらせ」
シルバーが指示を出した。何の変哲もない粗末な墓石である。だが、シルバーが言うからには、何か意図があるのだろう。巨漢のヴァルデマールと協力して、シャルロットは墓石を動かした。意外なことに、拍子抜けするほど軽い。
「え、何これ」
ぽっかりと穴が開いていた。縄梯子が垂れ下がっており、中に入ることができそうだ。
「カタラス城に通じる秘密の通路だ。ここから、一気に敵の懐に潜り込む」
「マジかよ。シルバーよう、お前、一体どこからこんな情報を得てるんだ?」
ヴァルデマールが感嘆の声を上げた。シャルロットも驚く。シルバーの正体がエトルシアの皇子エッツェルであることを、彼女は知っている。だが、皇子だからといってこの地下通路の存在をあらかじめ知っていたとは考えづらい。カタラス区の中枢に関わる者たちの、秘中の秘であろう。本当に、どこから知り得たのか。
「あのフェルセンの下種野郎が、親切にも俺に教えてくれたのだ。せっかくの置き土産、有効に活用したいと思ってな」
「……どういうこと?」
シルバーがフェルセンとの交渉に赴いたとき、シャルロットも同行している。だが、フェルセンからはそのような話は何も出なかった。当たり前である。敵にわざわざ機密を漏らす馬鹿はいない。
「いや、冗談だ。情報提供者の身元は、残念ながらお前たちにも教えられない。そういう条件で協力してもらっているから、理解してほしい」
ヴァルデマールはまだ納得していない顔をしていた。シャルロットも、シルバーの言うことをすべて信じたわけではない。だが、ここで彼を追及しても何もいいことはないように思われた。とにかくもシルバーは、自由革命軍の勝利のためにあらゆる手を尽くしてくれている。今はそれでいい。
「皆に伝えておくことがある。一つだけ、注意してくれ。デスピナと対面したとき、気を確かに持ってくれ。デスピナは幾度となく我ら自由革命軍を打ち破り、同志たちを殺戮してきた、憎むべき相手だ。特に一年前の北東地方制圧戦では、部下のフェルセン将軍が罪なき民に非道の限りを尽くしたのを、見て見ぬふりをしていた。そのことを忘れないでくれ」
「どうして、わざわざそんなことを?」優男のフランコが不思議そうに尋ねた。「隊長どのに言われるまでもない。俺たちは革命の志で強く結ばれた同志だ。その俺たちが、デスピナに寝返るとでも?」
「デスピナは人の心を操る技を使う」
常識外れのその言葉を、シャルロットは笑い飛ばそうとして果たせなかった。ヴァルデマールもフランコも、他の者たちも皆、誰も笑わなかった。シルバーが冗談を言っているようには見えなかった。
「信じがたいだろうが、事実だ。カタラス区の市民たちがデスピナに味方してアードラー隊を罠にかけたのも、それが理由だ」
「市民たちが、デスピナに操られているというの……?」
「そうだ。だが、気を確かに持てば、お前たちなら大丈夫だ。そういう気概を持った連中ばかりを、俺はこの隊のメンバーに選んだ。デスピナに対抗できる精鋭部隊としてだ」
シルバーは、シャルロットに向き直った。
「シャルロット。我々の切り札は、お前だ」
「あたし?」
「デスピナは剣技の達人だ。だが、お前の才能は、彼女以上のものがある。必ず勝てると信じている。何しろお前は――」
「化け物女じゃないってば!」
今度は皆がどっと笑った。シャルロットは失言を悟って赤面した。むきになって否定すればするほど、こいつらは調子に乗って彼女をからかうのだ。そうと分かっているのに、また余計なことを口にしてしまった。
「デスピナにビビってる奴なんか、この中には一人もいねえよ。だって、デスピナなんかよりもシャルロットの方がよっぽど怖えもんな」
ヴァルデマールが、腹を抱えて笑いながら言った。
「ちょっと、あなた笑いすぎよ。一体、何がおかしいのよ」
シャルロットが咎めると、フランコも真顔で口を開く。
「そうだぞヴァルデマール。お前は冗談を言ったつもりかもしれないが、それは冗談ではなくて、笑えない事実だ」
「……どういう意味よ」
フランコにつかみかかろうとしたシャルロットを、シルバーが止めた。
「無駄話はそこまでにしておけ。そろそろ行くぞ。ヴァルデマール、フランコ、お前たちが先頭に立て」
「了解した。行くぞ、ヴァルデマール」
フランコがカンテラの準備をして、縄梯子に足をかけた。ヴァルデマールはまだ笑っていたが、シャルロットが睨みつけると、大げさに怖がる素振りをしながら後に続いた。
地下通路の出口は鉄の蓋で封印されていたが、シャルロットが虹の槍で『雷撃』の絶技を繰り出すと、難なく破壊できた。
行きついた先は、食糧などの物資が積み込まれた大きな石造りの部屋だった。カタラス城の地下貯蔵庫だろう。
「誰もいないようね」
カンテラの光のみが頼りの暗闇である。人のいる気配はない。
「よし、早く皇女殿下とご対面といこうぜ」
はやるヴァルデマールを、シルバーが制した。
「いや、少しだけ休憩だ。深呼吸をして、気持ちを整えろ。ここから先は、ひたすら戦闘だ。デスピナの首を取るか、お前たちが先に死ぬか、どちらかで終わるまで休みはないぞ」
シルバーが皆に指示を下す。ジシュカ軍との戦いを済ませてすぐに、電撃的な速さで帝都に急行している。疲れは、かなり溜まっている。
シャルロットはシルバーに近づいた。彼の言うとおり、生きて帰れる保証はない。今、言っておかなければ。
「シルバー。その、ありがとう」
「突然どうした?」
「助けてもらったお礼、まだ言ってなかった」
「……ああ」
もしかして照れている? と、シャルロットは感じた。こういうとき、兜で顔を隠しているのは卑怯だと思う。
「正直、今でも火が怖いの。真っ赤に燃え盛る炎を見ると、情けないけど、どうしてもああなっちゃうの。あたしって、てんで駄目ね」
「いや、俺の方こそ、何も分かっていなかった。お前がどれほどの苦悩を背負って戦っているのかを。村を焼かれ、家族や隣人たちを皆殺しにされるということが、どんなにつらいことなのかを……」
「そうね。でも、あたしは別に、特別な存在じゃないのよ」
カンテラの光に照らされて、シルバーの白銀の鎧が煌々と輝いている。まるで夜道を歩く旅人を導く月のようだった。
「
「少しでも理解できるよう、努力する」
くすりとシャルロットは笑った。生真面目なシルバーの返答が、妙におかしかった。何かもうちょっと、気の利いたことでも言えばいいのに。
シャルロットは思った。シルバーは――エッツェルは、自分の目的のために革命軍を利用しているにすぎないのかもしれない。だが、それが何だというのか。恋人の復讐を果たすため、あの小さなアンジェリカの幸せな未来のために革命軍に加担してくれることの、何が悪いのか。シャルロットだって、家族や村の仲間の恨みを晴らすという、個人的な理由のために革命軍を利用しているではないか。
むしろ自由革命軍の方こそが、エッツェルの知略を利用しているのだと言うこともできる。彼のおかげで、フェルセンを倒すことができた。今度は、ジシュカを破り、デスピナの喉元に剣を突きつけようとしている。いずれはあの暴虐の皇帝を倒し、民のための新しい政府をつくるのだ。シャンベリ村の悲劇を繰り返させないために。
そのために、あたしは彼の剣になろう。
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