第二章 女の戦い 4
その夜、たくさんの明かりが灯され、大勢の民で賑わうゲマナの街の大通りを、シャルロットは上官であるルクスとともに歩いていた。以前はただ「大通り」と呼ばれていたこの街路は、今では「革命通り」と呼ばれている。
ゲマナは職人の街として知られている。石工、大工、ガラス細工、仕立て屋、染色屋、製靴業、毛皮加工業、なめし加工業、ワイン醸造、錠前屋、刀鍛冶、そして魔導戦器工など、およそ三十の
政府軍と革命軍による熾烈な内戦が繰り広げられていても、人々には日々の暮らしがあるのだ。
「七区委員会のお歴々は祭りの開催に反対していたが……」
獅子のたてがみのような赤毛を揺らしながら飴菓子を頬張っているのは、ルクスである。講義をサボって遊び歩いている不良学生にしか見えないこの若者が、自由革命軍きっての名指揮官であるなど、街行く人々は誰も思わないだろう。
「お祭りを禁止すると、群衆が暴動を起こしかねないからなあ」
事実、建国紀元六十七年には、
「政府軍だって、大人しくしてるわよ、きっと」シャルロット「お祭りの邪魔をしたら、群衆の怒りは政府に向かうわよ」
ゲマナ区と直接対峙するオーミル城のフィリップ皇子は、紳士的な人柄で知られている。それにフィリップの下には、エッツェルがいる。何か動きがあれば、知らせてくれるだろう。
ときどき、シャルロットは不思議に思うことがあった。フィリップにしろ、ジシュカにしろ、エトルシアの若き皇族たちは、決して無用に権力を振りかざすような愚か者ではない。それなのに、この国の歴代の皇帝たちは、いずれも暴虐の専制君主であった。至高の権力が、人を変えるのだろうか。フィリップやジシュカ……あるいはエッツェルも、皇帝の座を手に入れると、変わってしまうのだろうか。
「それにしても」ルクスがにへらと笑った。「シャルロットが僕とのデートに応じてくれるとはね。嬉しいなあ」
「でっでっでっデートじゃないし!」
あくまでも、警備のための巡回である。複数の部隊を束ねる軍団長であるルクスが自ら赴く必要はないのだが、どうしてもシャルロットと一緒に自分も出るといってきかなかったのだった。上官命令だというが、公私混同としか思えない。
「その衣装、かわいいね」
「いや、あなたが無理やり着せたんでしょう!?」
「手をつなごうか」
「はあ!?」
「いやほら、この人の数だろう? はぐれてしまったら困る」
なるほど、男というものはそうやって女との距離を縮めようとするのか。
「そうやって軍団長さまが自ら女の尻を追い回していたら、部下に対して示しがつかないと思いますけど?」
「何を言う」心底不本意そうに、ルクスは首を振った。「人生は短い。若者たちよ、大いに恋を楽しむべし。僕は部下たちに対して、模範を示してやっているんだ。これぞ理想的な上官というものだろう」
「ただのお調子者じゃない」
「そうとも言う」
「否定はしないんだ!?」
「いや違った。僕はただのお調子者じゃない。デキるお調子者だ」
「
「おや」ルクスが何かを見つけた。「あっちにガラス工芸の露店があるよ。行ってみよう」
「って、人の話、聞いてないし……」
ルクスはすたすたと早足で歩いていく。
「ちょ、ちょっと待ってルクス!」
人の波が、どっと押し寄せてシャルロットの行く手を塞いだ。あっ、と思ったがもう遅い。人ごみに紛れて、本当にルクスとはぐれてしまった。
「参ったなあ」
途方に暮れていると、人ごみの向こうに印象的な装いの女性を見かけて、シャルロットは足を止める。
「褐色の肌の……娘?」
異国風の衣装である。露出の多い、踊り子のような服装だ。かなり美しい娘である。もしかすると、メディアが言っていたのはあの娘ではないだろうか。
ちらりと、その娘と目が合ったような気がした。あくまでもそんな気がしただけだろう。次の瞬間には、娘はそっと大通りを離れて、狭い路地へと駆けるように入り込んでいった。
「あ、待って!」
とっさに追いすがるシャルロットだが、声をかけられたことに気付いていないのか、娘は足早に路地を進んでいく。
何しろ人が多い。かき分けながら後をついていくが、酔っ払いとぶつかってしまう。「おい、どこに目をつけてんだ姉ちゃん」酔っ払いに絡まれる。「ごめんなさい、酔っ払いはあたしの眼中にないもので!」それを適当にいなして、走る。だが、次第に娘の姿は小さくなっていく。
とうとう見失ってしまった。
「まあ、いいか……」
そもそも、その娘がメディアの言っていた娘なのかどうかは、分からない。メディアがどのようなつもりでその娘に言及したのかも分からない。
気が付くと、人気のない、真っ暗な道にシャルロットはいた。
「戻ろう」
自分は一体、何をやっているんだろう。苦笑しながら踵を返すと、狙いすました短剣が三本、立て続けに飛んできた。
「!」
とっさに、飛びずさって回避する。直前までシャルロットの心臓があった空間を、短剣が虚しく通り過ぎていく。あとほんの少し反応が遅れていたら、やられていた。
「あはっ☆ よくかわしたね。さすがは自由革命軍きっての女戦士だよ」
暗闇の中から、場違いな甲高い明るい声が聞こえてきた。月光に照らされて、声の主が姿を現した。
「あなたは――」
昼間に、肖像画で見た顔だった。金貨一万枚の賞金首。エトルシア第三皇女。
「そうだよ。ボクがリヴィアだよ」
冬の夜空を映し出したような、美しい黒い髪である。顔立ちは端麗で、双子の弟であるエッツェルにやや似ている。吸い込まれそうな藍色の瞳には、どこか危険な、妖しい影があった。漆黒のドレスを優雅に着こなしていて、童話に出てくる闇の女王を思わせる。
「はじめまして、『黒薔薇の美姫』。あたしは自由革命軍ルクス軍団、シルバー隊のシャルロットよ。二つ名はまだないけど、そうね、『皇女殺し』なんてのがいいわね」
相手の様子をうかがいながら、シャルロットは挑発した。
「そうだね。キミはデスピナ姉上を殺してるんだから、そう名乗ってもいいと思うよ」
シャルロットは眉をひそめる。この皇女、どうやらあたしのことを知っている。
「姉の
「そんなことはどうでもいいんだよ」煙たげに、リヴィアは言った。「キミさあ。ボクのエッツェルに、恋をしているだろう?」
なぜリヴィアが、そんなことを知っているのか? 打ち明けたのは、メディアだけである。エトルシアの皇女が知っているわけがない。
いや。そういえば、聞いたことがある。どのような手段を使っているのか、リヴィア皇女は他人の秘密や弱みを握る術に長けていると。それによって、気に食わない相手を次々と失脚させ、部下を自分好みの美しい少女たちで固めていると。
「だとしたら……それが何なの?」
「何だか分からないけど、エッツェルはキミのことが気になり始めている。それは許せないことだよ。エッツェルは、ボクのものだ。キミなんかに、渡してたまるものか」
腰に下げている剣を、リヴィアは引き抜く。一見、武術の心得などなさそうな華奢な体格だが、その優雅な動作には、無駄がなく、洗練されている。油断はできない。
「今ここでシんでもらうよ☆」
鞘から抜かれたその剣は、紫水晶の光を放っている。また、鍔の部分には、見る者の目を引き付ける派手な胡蝶のデザインが施されていた。魔導戦器に違いない。
シャルロットも、剣を抜く。ただの警護だからと、愛用の『絶槍フラゴレイヤ』は持参していない。普通の長剣で魔導戦器を相手にするのはかなり厳しいが、そこはシャルロットの技量で何とかするしかない。
リヴィアが疾駆して距離を縮め、横薙ぎの剣閃を放った。
それを剣で受け止めたシャルロットの両手に、ずしりと重い衝撃が襲いかかった。凄まじい剣技だ。
見かけによらない――あるいは、魔導戦器に秘められた力だろうか。
二度、三度と叩きこまれる剣撃を、シャルロットはかろうじてかわした。素早く、迷いがなく、勢いのある攻撃だ。四度目の一閃を弾いたとき、シャルロットはよろめいた。軽いスカートが脚にまとわりついて、動きを鈍らせたのだ。革鎧をまとっている普段とは、勝手が違う。
リヴィアの剣が力強く横に薙いで、シャルロットの剣を弾き飛ばした。その直後、シャルロットは左手の手刀をリヴィアの右手に叩き込む。リヴィアの手からも、剣が弾き飛んだ。互いに得物を失った状態で、慌てたリヴィアは剣を拾おうと手を伸ばす。
冷静に、シャルロットはリヴィアの裏に回った。左手で、リヴィアの肩をつかむ。同時に、右手をリヴィアの腰に下げられた短剣へと忍ばせる。
チェックメイトだ、とシャルロットは思った。そのまま左腕でリヴィアを羽交い絞めにして、奪い取った短剣を持ち主の首にぴたりと当てる。
「大人しくして」シャルロットは脅迫した。「でないと、あなたのかわいい首筋のキャンバスに、真っ赤な染料をぶちまけることになるわ」
「やってみたらいいじゃないか」リヴィアは、顔色一つ変えなかった。「ボクを殺してみなよ」
シャルロットは困惑する。この皇女は、
それとも、殺せないと思っているのだろうか。あたしがそんな甘ちゃんだと?
「いいわ。後悔させてあげる。ただし、この世ではなく、あの世でね」
シャルロットは、短剣を持つ手にぐっと力を込めた。
「もらったわ。金貨一万枚の、賞金首」
リヴィアの細い首を、掻き切った、つもりだった。だが、手ごたえがなかった。リヴィアの肌に当てられた刃が、ゴムのようにぐにゃりと曲がっている。
その
『皇閃剣アウグスタ』! ルーアン公女クレア殺害に用いられた魔導戦器だ。資格のある皇族が使ったときだけ、鋭利な刃となる武器である。シャルロットが握っても、殺傷能力のない
隙をついて、リヴィアが脚を跳ね上げた。シャルロットの脛を、蹴り付ける。
「あたっ」
次の瞬間には、リヴィアはシャルロットの左腕をするりとかわして、その拘束から逃れている。異常なほど身体がしなやかだ。
落ちていた胡蝶の鍔の剣を拾い上げ、シャルロットに向けて鋭い突きを放つ。丸腰のシャルロットは、かわすだけで精一杯である。
「ボクのとっておきを、受けてもらうよっ☆」
リヴィアの目が、煌いた。にやりと笑って、剣を縦に振り下ろす。
暗い夜道が、ぱっと明るく照らされた。辺り一帯が、明るい薔薇の色に満たされた。金粉のようなものがきらきらと空から降ってくる。幻想的な光景に、シャルロットはとまどった。
リヴィアの姿は、見えなくなっている。代わりに、数十本の刃が、空中に漂っている。
魔導戦器の絶技だ。シャルロットの目を惑わせて、攪乱するつもりだ。刃は、一本を除いてすべて幻覚なのだろう。
全方位から、刃が襲いかかった。シャルロットは、なまくらで役に立たない『皇閃剣アウグスタ』を投げ捨てると、静かに目をつぶる。風の動き、振りかざされる刃の音、それにこれまでのリヴィアの動作から読み取った、彼女の癖。それらすべてを瞬時に判断する。
「ここね!」
次の瞬間、シャルロットの身体は勝手に動いていた。リヴィアがまっすぐに突き出した剣を横に飛んでかわすと、その剣を握り締めるリヴィアの両手を、挟み込むようにつかむ。目を開けると、リヴィアは信じられないという顔つきでこちらを見ている。
「そんな……ボクの技が効かないなんて」リヴィアは胡蝶の剣を取り落とした。「この化け物女めっ」
「化け物女じゃ、ないから!」
乾いた音を立てて地面に落下した剣を、シャルロットは足で踏みつける。『皇閃剣アウグスタ』もリヴィアの手の届くところにはない。か細い皇女に、格闘でシャルロットに対抗できるほどの腕力はないだろう。今度こそあたしの勝ちだ、とシャルロットは確信した。
「この、薔薇みたいなきらきらした世界は何なの?」
「『幽幻剣ロサリア』の絶技だよ」しょんぼりした声でリヴィアが言う。「『胡蝶』の絶技さ。相手を惑わせて、こっちの姿を見えなくするんだ。キミには効かなかったようだけど」
「どうしてあたしを狙ったの?」
「うう」リヴィアの目から、涙がこぼれた。「ごめんなさい。ボク、悔しくて。エッツェルの心が、キミのものになることが耐えられなくて」
エッツェルが? 一体、この皇女は何を言っているのだろう?
「エッツェルはさ、きっと、キミのことが好きだよ。ボクが言うんだから間違いないよ。ボク、エッツェルのことは何でも分かるんだ」
まさか、エッツェルが、あたしのことを?
そんなことはあるだろうか。エッツェルは今でも、亡くなったクレア公女のことを想い続けているように思える。彼女の復讐が、エッツェルの生きる原動力になっている。その彼が、あたしに目を向けてくれるなんてことが、ありえるだろうか?
動揺が、一瞬の油断を生んだ。
「ばーか、このお人よし」
激痛が、思考を中断した。明るい薔薇の色をしたきらきらした空間が音もなく崩れ落ち、夜の闇のカーテンが世界を包み込む。
シャルロットの胸に、胡蝶の剣が刺さっている。ざっくりと。
「そん……な」
シャルロットは今になって気付く。リヴィアが剣を取り落としても、明るい薔薇のようなもやは、晴れなかった。その時点で気付くべきだったのだ。まだ幻惑の効果は、途切れていなかったのだと。
本当はリヴィアは剣を取り落としてなどいなかったのだ。ずっと剣を握り締めながら、そうではないとシャルロットに錯覚させていたのだ。
「本当に、エッツェルがキミのことを好きだと思った? ざーんねん。思い上がりも、いい加減にしなよ。キミみたいな泥棒猫は、ボクがコロしてあげるよ♪」
「あたしを殺して、革命軍の勢いが衰えると思っているのなら、大きな間違いよ」薄れていく意識の中で、声を絞り出す。「革命軍は、歩みを止めない。歴史は、大きく動き出しているわ」
「はあ? 何を言っているんだい」リヴィアはせせら笑った。「政府軍と革命軍のどっちが勝とうが、そんなことはどうでもいいよ。ボクの望みはただ一つ、エッツェルを自分のものにしたいんだ。かわいい双子の弟を、ボクのドレイにするんだよ」
シャルロットは崩れ落ちた。
「じゃーねっ☆ ばいばいっ♪」
人形のようなリヴィアの顔が、おぞましく歪む。剣を持つ手に、さらに力を込める。剣は、ずぶずぶとシャルロットの身体を貫いていく。
あれ……あたし、ここで、死ぬのかな……。
もっと、もっと生きたかった。村のみんなの分まで。少なくとも、皇帝を倒して新しい国を打ち建てるまでは。そう思いながら、シャルロットは意識を失った。
シャルロットが倒れたのと同時刻。フィリップの居城オーミル城でも、大きな騒ぎが起こっていた。
かがり火に照らされながら、熊のようないかつい男が城門をくぐった。がちゃがちゃと鎧の音が鳴る。
エトルシア第一皇子ステファンが、多数の部下を引き連れ、物々しい気配でオーミル城を訪れたのである。
「これは兄上。こんな夜に、いったいどうなされたのです?」
「お前に用があって来たのではない」
エントランスで出迎えたフィリップに、傲然としてステファンは言い放った。挨拶もなしに、ずかずかと城の中へと上がり込む。ことさらに横柄な態度をとっているのは、お前など眼中にないとの意思表明だろう。自分がライバルとして意識しているのは、ジシュカだけだ。フィリップやエッツェルごときは、おれから見ればただの青くさい小僧にすぎん。そう彼は無言のうちに告げているのだ。
「エッツェルはおるか」
「まさか、あの噂を耳にされたのですか」フィリップは眉をひそめた。「敵の指揮官・シルバーの正体がエッツェルであるという、あの噂を」
ステファンは、ふんと鼻を鳴らした。それが答えだった。
「お信じになられたのですか、あのような、根も葉もない噂を」
「根も葉もないものかどうかは、おれが判断する」
ぎろりと、ステファンは美貌の弟を睨みつけた。風格だけなら、彼は十分な次代の皇帝の資格を持っている。力強い視線に、フィリップは後ずさった。
「お前も共犯なのではないだろうな、フィリップよ」
「まさか。俺もエッツェルも潔白です、兄上」
「だったら早くエッツェルを出せ。それとも出せないのか?」
「私はここです、ステファン兄上」
階段の踊り場から、エッツェルは声を上げた。ステファンが顔を上げて、いかめしい目つきでこちらを睨みつける。
エッツェルとしては、逃げるわけにはいかなかった。逃げれば、噂を肯定することになる。
「どうぞ兄上のお気が済むまで、私をお調べください」
この場を切り抜けられるという自信は、あった。最悪の事態に備えて、すでに対策は打ってある。
ステファンの部下の中に、見知った顔を見つけて、エッツェルは軽く声を上げた。
ジシュカに仕えていたはずの、エリアーシュだった。
「あ、ええと。エッツェル皇子」気が進まぬような顔で、エリアーシュは言った。「あなたを尋問させていただきます」
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