第四章 二人の皇子 3

「ボクが今日ここに来たのは、エッツェルと取引をするためなんだよ」

 リヴィアは、相変わらずエッツェルの姿かたちのままである。声だけは少女のものであるため、傍目には異様であろう。

「取引をしたいなら、まずは相手の信用を得るための努力をしたらどうだ?」そっけなく返すエッツェル。「お前がやろうとしていることは、取引ではなく、恐喝だろう」

「手厳しいねえ」リヴィアは頭を掻いた。「お察しの通り、シルバーの正体がエッツェルだってみんなにバラしたのはボクだよ♪」

 リヴィアは笑っている。嫌な笑い方だ。自分は笑うとこんな意地の悪い顔になるのか。いや、リヴィアの笑い方が異常なだけだ。自分は普段こんな顔はしていない。

 いずれにせよ、エッツェルを窮地に陥れたのはリヴィアであることが、これではっきりした。エッツェルを破滅させて自分が覇者になることが、リヴィアの望みなのか。いや、そうではないだろう。

「……何が狙いだ?」

「エッツェルがこの状況を切り抜ける方法はただ一つ。ボクがエッツェルに化けている間に、エッツェルはシルバーとして、シルバーにしかできないことをすればいい。そうすればエッツェルとシルバーは別人だと、みんなが考える。そうだろ?」

「なるほど、理に適っているな」

「ただし、そのためにはボクの協力が必要だ。『変幻の加護』を持つボクの助けがないと、それはできない。だから取引をしよう。ボクはエッツェルに協力する。代わりにエッツェルには、今ここで、ボクに誓ってほしいんだ。一生、ボクのドレイになって、ボクだけを愛すると」

 リヴィアは上目遣いで、じっとエッツェルを見据えた。

「本気だよ、エッツェル。ボクは本気なんだ」

 エッツェルとリヴィアは双子である。顔立ちも、似通っている。真剣そのもののリヴィアの眼差しは、エッツェルの容貌をしていてもリヴィアを想起させた。

「ボクの心を探ってもらっても、かまわないよ」

「いや、その必要はない」

『心眼の加護』を使うまでもなく、エッツェルには分かっていた。リヴィアは本気だ。リヴィアの気持ちは、本物だ。だからこそ、エッツェルにとっては受け入れがたいのである。

「俺を罠にはめて、それで俺の心が買えると?」

「別の視点から考えてみてよ。ボクがバラさなくても、いつかはバレるだろ? ボクはそのときを早めただけだよ。むしろ、感謝してほしいな。ここで『エッツェルとシルバーは別人だ』って証明できれば、エッツェルは今まで以上に自由に動けるようになるだろ?」

「……誓うといっても、具体的にはどうすればいいんだ?」

「そうだねえ」リヴィアはニヤリと笑った。「まずはかわいい女の子の衣装を着て、ボクの前にかしずいてくれるかな。エッツェルの姿をしたボクが、ボクそっくりの美少女になったエッツェルをいたぶるんだ。これって最高だよね☆」



 リヴィアの姿になったエッツェルを、この手でいたぶる。

 その目的のために、リヴィアはエッツェルの姿をしてここまでやってきたのである。実現までは、あと一歩だった。

「エッツェル、昔はよくボクの言う通りに女の子の衣装を着てたじゃないか。ねえメディア、エッツェルが女装したら、とんでもなくかわいいんだよ♪」

「そ、それは幼い頃の話だろう!」黒歴史を暴露されて、エッツェルはあからさまに動揺した。「今の俺が女装したって、かわいいわけがないだろう!」

「そんなことはないよ。今でも十分、かわいくなれるよ。そう思うだろ、メディア?」

「かわいいかはともかく、余興として面白いのは確かだな」口元をほころばせるメディア。

「冗談じゃない!」エッツェルは抗議した。「それに、化粧道具も、女の服もここにはないぞ」

「そう言うと思って」リヴィアは足元の大きなカバンを手に取った。「じゃん! 持ってきた☆」

「お前……初めから、そのつもりで……」

 呆れ顔のエッツェルをよそに、リヴィアはカバンの中から漆黒のドレスを取り出す。エッツェルの体格に合わせて大きめに作ってあるが、デザインはリヴィアが愛用しているものと同じだ。

「分かった。降参だ。お前の言う通りにしよう」エッツェルは、すっかり蒼ざめている。観念した模様だ。「お前が化粧をさせてくれるか?」

「あー。どうしようかな」

 皇女であるリヴィアは、あまり他人に化粧を施した経験はない。自分の化粧も、侍女たちに任せている。できないこともないが、面倒くさいし、化粧をさせるとなれば『心眼の加護』を持つエッツェルに長時間にわたって触れることになる。いくら訓練をしているとはいっても、つい油断をして彼に本音を読まれてしまうかもしれない。それは避けたかった。

「メディア、お願いしてもいい?」

「魔女のわたしをこき使うとは、いい根性をしているではないかね」

「……そう言いながら、けっこうノリノリだったりしない?」

「なぜ分かった」メディアは、口元を吊り上げた。「この気難しい男を、この世で一番の美少女に変身させようというのだからね。張り切るに決まっているではないか」

「なかなか話の分かる魔女だね、キミは」とリヴィア。「クロイリア……に化けているボクの魔女は、ちょっとノリが悪くてね」

「それにしても、まさかアンナの正体が、君だったとは。わたしのことも、ずっと騙していたというわけか」

「それはお互いさまじゃないか。キミだって、自分が魔女だってことを、黙っていただろ?」

 むう、とメディアが押し黙る。

「ところで、『心眼の加護』って言ったっけ? エッツェルの心を読む能力は、メディアには効かないの?」

「ああ」とエッツェル。「本人いわく『自分には心がない』そうだ。心がないから、心を読むこともできないらしい」

「ふーん。ということは、『加護』を授けた本人だから効かない、ってわけではないんだね? 魔女にも『加護』の力は効くのかな」

 リヴィアが呟いている間に、エッツェルとメディアはドレスと化粧道具一式を手に、カーテンを開けて奥の寝室へと入っていった。リヴィアもついていこうとしたが、メディアはカーテンをぴしゃりと閉じた。

「そこでワクワクしながら待っていたまえ」

「分かったよ」リヴィアは素直に応じた。「ソファーについてるエッツェルの匂いをクンカクンカ嗅ぎながら待ってるよ」

 もう少しだ。もう少しで、エッツェルがボクのものになる。興奮を抑えるのに、リヴィアは必死だった。

 リヴィアは幼い頃から、美しい少女が好きだった。世界で最も美しい少女を、自分だけのものにしたい。そんな願望を持っていた。

 だが、彼女が見つけたとびきり美しい少女は、鏡に映る自分自身だった。リヴィアはしょんぼりした。自分自身にキスをしたり、強く抱き締めたり、鞭でいたぶったりすることはできない。抑えられない欲求を満たすことは、不可能に思われた。

 ところが八歳のある日、気付いたのだ。弟のエッツェルは、男の子だけど、よく見るとボクにそっくりな顔をしてるじゃないか。もしかして、女の子の服を着せて化粧をしたら、ボクにそっくりの超絶かわいい女の子になるんじゃないか。

 嫌がるエッツェルを押さえつけて、女装をさせてみた。皇宮で働く侍女たちも、面白がって手伝ってくれた。結果は、期待以上だった。リヴィアと瓜二つの、とてつもなく美しい少女の姿がそこにはあった。

 リヴィアそっくりの美少女になったエッツェルに、何度もキスをした。強く強く抱き締めた。困惑しつつも、エッツェルはそれを拒まなかった。鏡に映る美しい自分の姿が、まんざらでもなかったのだろう。それにあのときは、まだリヴィアとエッツェルは仲の良い、いつも一緒の姉弟きょうだいだった。

 エッツェルを鞭でいたぶりたいという欲求は、かろうじて自制した。自分のその欲望が世間では異常なものだと見なされていることは、幼いリヴィアにも分かっていた。だが、機会があれば、いつか必ず実行するつもりだった。

 要するに、双子の弟であるエッツェルへの彼女の愛は、自己愛が歪みに歪んだ結果なのである。リヴィアはそのことを自覚している。だが、それが何だというのか。エッツェルをたまらなく愛おしいと思う心に、偽りはない。

「ねえ、まだー?」

 奥の部屋で準備をしているエッツェルたちに、リヴィアは呼びかけた。美しく着飾ったエッツェルの姿を、早く見たい。

「そう焦るな。わたしが丹精込めて、エッツェルをとびっきりの美少女にしてやってるから」

 メディア。憎たらしいクレアと同じ姿をした魔女。だが、彼女となら、友達になれるかもしれない。

 クレアは、リヴィアにとって誰よりも大事なエッツェルを奪った。エッツェルがクレアに心を奪われたのは、彼とリヴィアが十二歳のときだ。それまでは彼の隣にはいつもリヴィアがいたのに、それ以来、エッツェルはクレアと一緒にいることが多くなった。

 クレアに心を奪われたのはエッツェルだけではなかった。異母兄のフィリップも、クレアに夢中だった。フィリップをクレアとくっつけようと、彼に協力していろいろ動いたこともあった。だが、その試みはすべて失敗した。エッツェルとクレアは、まるで二つの磁石が互いに吸い寄せられるように、お互いを求め合った。

「クレア……許せない。ボクが必ずコロしてやる」

 そう決意したのは、いつ頃だったか。クレアは横死を遂げて、二度と蘇ることはない。

 もはやリヴィアの愛を遮る者は誰もいないのだ。

「まだかなー?」

「もう少しだけ待っていろ。こらえ性のない女だな」

 早くかわいいエッツェルが見たくて、うずうずしているのだ。焦らされるのも嫌いではないが、そろそろ限界だ。

「ねーえー?」

 いくら何でも遅すぎる。リヴィアは不審に思った。そもそも、返事をするのはメディアだけだ。先ほどからエッツェルの声を聞いていない。

 何かがおかしい。

 リヴィアは部屋の奥へと歩み寄り、無言のままカーテンを一気に開けた。

 エッツェルの姿はなかった。ベッドの上に泰然と腰掛けて、青い瞳を不敵に輝かせているメディアだけがそこにいた。

「エッツェルはどこ?」

「エッツェルなら、ほら、そこにいるじゃないか」

 メディアが指差したのは、鏡台だった。そこにはエッツェルの姿があった。むろん、本人ではない。エッツェルに化けた、リヴィア自身の姿である。

「ふざけないでよ」

 寝室の奥に目を向けると、ガラスの窓が目に入った。もしや、窓から逃げたのか。

 エッツェルにしてはせこい悪あがきだ、とリヴィアは思った。逃げたところで、どうなるというのか。エッツェルがステファンに疑われ、厳しい状況にあることには何ら変わりがないのである。リヴィアの協力を拒めば、さらに難しい立場に立たされることになるだろう。

「そんなことをしてもムダだって、分からないエッツェルじゃないよね」

 涼しげな顔で、メディアは、ふっと笑う。それに苛立って、リヴィアは問い詰めた。

「ねえ答えて。エッツェルは、一体何を企んでいるの」

「君自身に尋ねてみたらどうかね。今は、君がエッツェルだ。よかったな」

「……どうやら、痛い目に遭いたいようだね。魔女だからって、キミなんて怖くないよ。ボクが本気になれば――」

 そのときだった。

 荒々しい足音が、廊下の方から聞こえてきた。

 ノックもなしに、男たちがずかずかと部屋の中へと入ってくる。

「え……誰? どういうこと?」

 突然の展開にリヴィアは戸惑った。自分がエッツェルの姿をしていることを失念しそうになるほどに。

 気難しい顔をした屈強な男たちが、有無を言わさずにリヴィアを取り囲んだ。彼女の両腕を、強く取り押さえる。重々しい声で、彼らのリーダーと思しき中年の男がリヴィアに告げた。

「エッツェル皇子。皇帝陛下への反逆の嫌疑で、あなたを拘束させていただく」

「えー!?」

 リヴィアは呆然とした。何が起こっているのか、よく分からなかった。ただ一つのことだけを、彼女は理解できた。

 自分はエッツェルにはめられた、と。

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