第一章 双子の姉 5

 それは一年と少し前のことだった。

 十七歳になったリヴィアとエッツェルは、それぞれディヴァ区、ゲマナ区の司令官に任命された。それを祝って、ディヴァ城で祝賀会が催されたのだ。

 主催者は、司令官の座をリヴィアに譲って退任するルーアン公オリオンだった。彼はまた、この場でエッツェルと娘クレアの婚約を正式に発表した。参列者は、ひときわ大きい祝福の言葉を彼らに投げかけた。

「エッツェル様とクレア様。なかなか、美男美女の取り合わせですな」

「クレア様が婚約なさって、密かに泣いている男どもは多いでしょうなあ」

「あちらにおわすフィリップ殿下などは、弟君にクレア様を取られて、さぞ悔しがっておられるのではないですかな」

「今日のクレアねえさま、とってもきれい! アンジェリカも、いつかねえさまみたいになれるかな?」

「ふふ、ありがとうアンジェリカ。そうね、あなたもいつか、素敵な相手に出会えると思うわ」

 場の主役は、完全にエッツェルとクレアだった。それがリヴィアには気に食わなかった。今日は、クレアではなくボクこそが、皆に祝ってもらえるはずだったのに。

 ふてくされて、リヴィアは広間を出て廊下を歩いた。そのうちに、衣装部屋へと辿り着いた。中に入って、きょろきょろと目を泳がせていると、見覚えのある小物が目についた。

 クレアが大事にしている硬質磁器の小箱が飾られていた。東洋から輸入したもので、色彩豊かな貴婦人の染付が見事だった。エッツェルはクレアにたくさんの贈り物をしていた。そのうちの一つである。

 リヴィアは無性に苛立った。エッツェルの奴、ボクには何もくれたことがないのに。ボクだって、こんなきれいな小箱をエッツェルから貰いたいのに。

「こんなところに置いておくなんて、不注意だな」

 リヴィアの心がくらい闇で満たされたのは、そのときだった。クレアばかりエッツェルから贈り物を貰っているのは、不公平だ。ボクだってエッツェルのことが大好きなんだから、ボクにもエッツェルから何か素敵なものを貰う資格がある。だいたい、こんなにたくさんの物を貰って、いちいちクレアは覚えているのだろうか。一つくらい、ボクがもらってもかまわないだろう。ボクは悪くない。クレアが不用心なのが悪いんだ。

 小箱をそっと掌の上に乗せる。自分が着ているピンクのドレスに目をやると、胸にひらひらの花飾りがついている。その花飾りの隙間に、小箱を忍ばせた。

「不自然かな? でも、ボクくらいの年頃だともっとおっぱいが大きい子もいるし、大丈夫だよね♪」

「リヴィア。そこで何をしている」

 心臓が止まりそうになった。双子の弟の声が、突然、リヴィアの背後から投げかけられた。わけが分からなかった。なぜ、エッツェルがこんなところにいるのか。クレアと一緒に、広間で皆と楽しく歓談しているはずではなかったのか。

 無言で固まるリヴィアを力ずくで振り向かせると、エッツェルは彼女のドレスの花飾りに手を伸ばした。次の瞬間には、東洋の滑らかな小箱が、エッツェルの手の中に納まっていた。

「リヴィア。お前、盗んだのか」

「な、何だよエッツェル」

「何だよじゃない。これはクレアのものだろう。なぜお前が持っている」

 双子の弟の凄まじい剣幕に、リヴィアはたじろいだ。こんなことでエッツェルが激怒するとは、思ってもみなかった。

「一つくらい、いいじゃないか」

「本気で言っているのか?」血管がちぎれそうなほどに、エッツェルは顔を赤くしている。「エトルシア第三皇女たる者が、ディヴァ区の司令官になろうという者が、やっていいことと悪いことの区別もつかないのか?」

「ボクとエッツェルは、生まれたときからずっと一緒だった」リヴィアの頬を、涙が伝う。「ねえエッツェル。クレアなんかと結婚するのは、やめようよ。エッツェルには、ボクがいるからさ」

「話をそらすな」エッツェルは容赦なく言った。「今は、お前の話をしているんだ。なぜ盗んだ」

「いいじゃない」涙で、前が見えない。「確かにクレアは美人かもしれないけどさ。ボクだって捨てたもんじゃないだろ?」

「何をわけの分からないことを言っているんだ。わがままもいい加減にしろ!」

 エッツェルは、手を振り上げた。はたかれる、とリヴィアは思った。とっさに目をつぶったが、予想された一撃は来なかった。恐る恐る目を開けた。そこには、手を振り上げたままのエッツェルと、それを険しい顔で制止するクレアが立っていた。

「やめてくださいエッツェル。それは――」そしてクレアは、リヴィアが予想もしないことを言い出した。「その小箱は、私がリヴィアに差し上げたのです」

 エッツェルは、信じられないといった表情で、クレアに言った。

「何を言っているんだ? クレア、君があげただって? そんなはずはない」

 驚いたのはリヴィアも同様だった。この女は、一体何を考えているのか。リヴィアに恩を着せて、何かを企んでいるのか。

「だって、これは君が大事にしていたものじゃないか。君は、この小箱のことを本当に気に入っていた。他人にあげるなんて――」

「いいえ。これは、私がリヴィアに差し上げたのです。そうですよね、リヴィア」

 クレアの顔は穏やかだが、有無を言わさぬ迫力があった。

「う、うん」勢いに呑まれ、ついうなずいてしまった。「これは、クレアに貰ったんだよ」

 唖然とするエッツェルの手から、クレアは小箱を奪い取った。そしてそれを、そのままリヴィアへと手渡した。

「大事にしてくださいね、リヴィア」

 エッツェルは口を開きかけたが、荒ぶる暴虐の竜をも鎮める穏やかさでクレアに見つめられると、それ以上何も言わなかった。

「はい、これでその話は終わり!」

 ぴしゃりと言って、クレアは優しく微笑んだ。

「さあ、まだ料理は残っていますよ。リヴィア、あなたはまだ何も食べていないでしょう。あなたの好物の仔羊のソテーがありますよ。私が腕によりをかけて作ったものです。食べてくださいね」

 それだけ言うと、クレアはまた広間へと戻っていった。リヴィアは、それを呆然と見送ることしかできなかった。

 いったい何が起こったのか、リヴィアには分からなかった。なぜクレアの小箱が、自分の手元にあるのか。なぜ自分は、許されたのか。

 はっと、リヴィアは息を呑んだ。彼女の目の前には、凄まじい剣幕のエッツェルがいた。これで終わったわけではなかったのだ。

「リヴィア。今回のことは、クレアに免じて何も言わないことにする。クレアから貰ったものだ、せいぜい大切にするがいい。だが、もう俺はお前のことを姉とは思わない」

 甘かった。エッツェルは、リヴィアのしたことを許すつもりはなかったのだ。ばかクレア。詰めが甘いじゃないか。何で、すぐにどこかに行っちゃうんだよ。最後まで、ちゃんとボクのことを助けないとダメじゃないか。

「え、何を言っているの? だって、ボクは悪くなかったでしょ? だったら――」

「クレアはずっと、お前のことを気にかけていた。お前が一人で寂しそうに広間を出ていくのを見て、後を追うよう、俺に言ったのもクレアだ。そんな彼女の気配りすら、お前は踏みにじったんだ」

 小箱を盗むところをエッツェルに見られたのは、偶然ではなかったのだ。クレアに言われて、エッツェルはリヴィアの後を追ったのだ。

「二度と俺の前に顔を見せるな」

 この世で最も聞きたくない言葉が、天を裂き地を貫く破壊神トゥルヌスの雷霆のごとくリヴィアに降りかかった。

 嫌われた。ボクがこの世で愛するただ一人のかわいい弟、エッツェル。そのエッツェルに、嫌われた。ボクは、ボクはどうしたら――。

「待って」リヴィアは泣きながら謝った。「ボクが悪かったから」

「聞こえなかったのか?」

 エッツェルの声は氷のような硬質を帯びていて、リヴィアは双子の片割れが自分には手の届かぬ遠いところに行ってしまったことを知った。

「二度と俺の前に顔を見せるな」



 ――ボクは最低だ。ボクはクレアに、何もかもかなわなかった。

 その事実は、リヴィアの心をずたずたに傷つけた。エッツェルは思っただろう。せこい嫌がらせをするリヴィアに対して、それを赦すクレアの心は何と広いのだろうか、と。器の大きさの違いを見せつけられたような気がした。エッツェルが彼女に惹かれるのは当然だと思った。

 いいや、違う。リヴィアは自分に言い聞かせた。これは、クレアの策略だ。ああやって、クレアは自分がボクよりもいい女であるかのように、見せかけようとしているんだ。あいつは小狡い女なんだ。いつも親切で優しい女を演じているだけだ。エッツェルは、騙されている。クレアはボクからエッツェルを盗ったんだ。

「この偽善者め」黒い憎しみがリヴィアの心に宿ったのは、そのときだった。「ボクがいつか、お前をコロしてやる」

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