戦乱怒涛のエトルシア

高橋 祐一

第一部 革命の夜明け

プロローグ

 ――自分はここで死ぬのか。

 エッツェルは信じられない思いで、短槍の一撃を受けた自らの胸を見つめた。胸甲が、粉々に砕けている。灼けるように熱い痛みを感じるのは、床に叩きつけられた衝撃で、肋骨が折れているからだろう。倒れ込んだまま、動けない。

 槍の絶技ぜつぎによって彼に致命傷を与えた敵の女戦士は、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。セミロングの金髪に彩られた美しく可憐な顔が、悪魔のように歪む。

 帝都アウラ七区の一つ、ゲマナ区の行政府であり、軍事拠点でもあるゲマナ城。鋭く獲物を狙うわしのような雄大さを持つ堅城だ。エトルシア帝国の第四皇子おうじエッツェルが守るこの城は、だが、すでに大部分が反徒どもに制圧されてしまっている。主将として最奥部の指令室に立てこもっていた彼が、敵と一対一で対峙し、深い傷を負わせられているほどである。もはや敗北は必至だろう。エッツェルは、死を覚悟した。敵が彼を生かしておく理由はない。

 自分は、この程度の男だったのか。この程度で終わるのか。恋人の仇も討てずに。彼女に託された、未来への希望を守ることもできずに。

 エッツェルは、自分が恋人の死からいずれ立ち直れることを知っていた。今は絶望に打ちひしがれていても、いつかは克服できるはずだと信じていた。だが、無慈悲な神々は時間を与えてはくれなかった。彼女の死から、わずか二ヶ月。電光石火の速さで、自由革命軍を名乗る反徒どもは彼の治める帝都ゲマナ区への侵攻を開始し、そして完了させようとしていた。

 やはり死んでおけばよかったのだ。クレアが生命いのちを落としたあのときに。その思いが、エッツェルの頭をよぎる。

「反徒ども、め……」

「あたしたちは反徒じゃない。自由革命軍よ」

 満月のような金髪を揺らしながら、軽装の女戦士はエッツェルがかろうじて絞り出した言葉を否定した。

「今日は、記念すべき日よ。皇宮こうきゅうを守る七城のうちの一つが、ついに私たち自由革命軍の手に落ちるのだから。このゲマナ城を橋頭保に、他の六つの城も落とす。そして私たちは、皇宮に立てこもる暴君皇帝を倒す」

 女戦士の鋭い眼差しが、エッツェルを容赦なく貫く。

「まずは手始めに、お前が無様に死ぬがいいわ、呪われし皇子エッツェル!」

 いや、駄目だ。エッツェルは、唇をかみしめる。俺にはまだ為すべきことがある。力が、欲しい。この状況を打開するための力が。圧倒的な、世界のすべてをねじ伏せるための力が――。

 そのときだった。

≪本当に、欲しいのか。そんな、力が≫

 おぼろげな意識の中で、エッツェルはその声を、五感ならざる感覚によって、確かに知覚した。その魅惑的に響く女の声は、だが、人の本能に迫る畏怖を呼び覚ますような禍々しさを孕んでいて、人間のものではありえなかった。

 女戦士には、その声は聞こえなかったようだ。勝利を確信して、再び短槍を構える。虹色に輝くそれは、反徒どもが誇る魔導戦器まどうせんき絶槍ぜっそうフラゴレイヤ』だ。エッツェルにとどめを刺そうと、狙いを定める。若いが手練れの戦士であることは、胸に受けた絶技によって、身をもって思い知らされている。

≪ああ、欲しい。そのためだったら、どんな犠牲を払ってもいい。たとえ地獄の業火に焼かれることになろうとも、俺には力が必要だ。憎き者どもに復讐するため、大切なものを守るため、世界を変えるための力が≫

 語りかけてくる誰かに、心の中で、そう答える。もはや声を出す気力はない。混濁した意識が誤って生み出した空耳かもしれない。それでも彼は、自らの意志を示さずにはいられなかった。

≪ならば、くれてやろう。世界を変えるための、世界を手に入れるための、『加護』の力を≫

 それは天使の声か、悪魔のささやきか。ぞくぞくするような妖しげな声音を響かせて、その何者かはエッツェルに姿なく近づいてきた。とてつもない力を持った何者かに包まれるのを、エッツェルは感じた。


 その瞬間、灰色の世界に、輝くような、鮮やかな色が宿った。

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