第四章 裏切りと忠誠と 4

 二日後の十月二十六日。オーミル城に、ジシュカが数名の副官を伴って現れた。エッツェルは、フィリップとともにうやうやしく出迎えた。

「自由革命軍と称する反徒ども」と、どのように戦うか。彼らは今や、ゲマナ区を占拠し、帝都の中に拠点を持つに至っている。このままでは帝国の権威が著しく損なわれる。必ず撃滅し、秩序を取り戻さなければならない。それを話し合う会議が執り行われるのである。

 だが、ここに参集すべき一人の人物が欠けていた。デスピナである。『蒼炎の皇女将軍インペラトル・レギア・フラメア』として名高い彼女は、またも姿を現さず、名代として腹心のジェルメという異国出身の男を寄越したのみだった。

 フィリップの従卒でしかないエッツェルは、臨席を許されなかった。会議が開催されている間、彼は会議室の外で警護に当たっていた。

 終了後、彼はラウンジのソファーに腰を下ろしている兄ジシュカに、紅茶を届けに行った。ジシュカは供も連れず、じっと考え込んでいる素振りである。

「ジシュカ兄上」

「エッツェルか。すまんな、お前にこのような雑事をさせて」

「今の私は、一介の従卒ですから」

 カップを受け取って、ジシュカは香りのよい高級茶を口元に運んだ。

「ふむ。これはよい茶葉を使っているな。厳選されたチャールキア王国産のものを、ヴェネト商人を通じて輸入したな。汲みたての水を使っているのもよい。ただ、蒸らす時間がちょと長すぎたな。無駄な苦みが出てしまっている」

 エッツェルは唖然とした。政治や戦略だけでなく、この兄は紅茶にまで詳しいらしい。この灰色の髪に包まれた頭の中には、いったいどれだけの知識が詰まっているのか。

「イェレナ義姉上のようにうまく淹れられなくて、申し訳ありません」

「確かにイェレナの淹れる紅茶は絶品だな。フィリップは、いい妻を持った」

 ジシュカ自身は、独身である。いずれ年頃の娘を持つどこかの大貴族に、自分を高く売りつけるつもりだろうが。

「お前も会議に同席させたいところだったのだが、形式というものもあってな。年寄りどもがうるさくてかなわん」

「いえ、それはかまいません」

 どうせ必要な情報は、『心眼の加護』で手に入れられる。むしろ会議に参加していないことが、武器になる。「なぜ機密が敵に漏れた、誰が漏らした」という事態になったとき、容疑者は密室会議の参加者に絞られるからである。

「デスピナからの通達だ。捕らえた反徒どもの公開処刑を、カタラス城の広場にて、十一月三日に執り行う」

 一週間後である。なかなか動きが素早い。

「分かるな? これは挑発だ。反徒どもは必ず、仲間を助けようと行動を起こすだろう。そこで我々は、反徒どもを待ち受ける罠を仕掛ける。この日を、決戦の日に設定する」

 デスピナも、ただ者ではない。皇帝がジシュカに命じ、ジシュカがデスピナに押し付けた指令は、「反徒どもの仲間を百人ばかり捕らえて処刑せよ」というものであった。「民の中から適当にでっちあげて殺してしまえばよい」とのことだったが、本当にそんなことをすれば、自身が民の強い反発を受けることは間違いない。ではどうするか。デスピナは自由革命軍を見事に打ち破り、処刑のための捕虜を「調達」したのである。

 そしてそれを、ジシュカは自由革命軍を打ち破る罠として利用しようというのだった。我が兄ながら、何と狡猾なことか、とエッツェルは思う。

 もちろん、手をこまねいているエッツェルではない。そっとジシュカに近寄って、耳打ちをした。

「反徒どもは反徒どもで、策を用意しているでしょう。下手に兄上が動くと、かえって敵の思うつぼということにはなりませんか」

 耳打ちをする振りをしてジシュカの肩に手を乗せる。『心眼の加護』で心を読むためである。

「兄上が大軍を動員すれば、兄上の本拠であるズィモーク区ががら空きになります。ウジ虫の如くどこからでも湧いてくる反徒どものこと、その隙にズィモーク城を狙うつもりなのではありませんか。もしくは、兄上の進軍経路を待ち伏せするとか」

≪やはりエッツェルは聡いな。敵の動きを、正確に読んでいる。会議では、私自身が言い出すまで、誰もその可能性を指摘しなかった≫

 ジシュカの心の中の声が、流れ込んでくる。

「確かに、私がデスピナの救援に駆け付けることは、反徒どもも予想して対策を立てているだろう。だが、大丈夫だ。私に秘策がある」

 ジシュカが脳裏に浮かべたその策を、エッツェルは『心眼の加護』で読み取った。独創的なその策は、まさに秘策と呼ぶにふさわしいものだった。なるほど、さすがは我が兄だ。エッツェルは素直に感心する。『心眼の加護』がなければ、絶対に看破することが不可能な奇策である。

「ですが、想定外の事態というのは、いくらでもあるでしょう」

 兄の策を破る手立てを考えながら、エッツェルは言葉を紡ぐ。それは、彼の企てをすべて打ち砕いた後のことを考えた布石である。

「例えば、今日ここに集まった方々の中に、反徒どもに内通している者がいたとしたら……」

 秘策が破られたその時、ジシュカは何を考えるか。策を漏らした人間がいるのではないか、と疑心暗鬼に陥るはずだ。ならば、今のうちから疑いの種を蒔いておこう。そうエッツェルは考えたのである。

 だがジシュカは、ふっと笑って答えた。

「心配はいらない。私は誰にも、秘策の中身は教えていない。今日ここに集まった、信頼できる者たちにすらだ。だから秘策が漏れることは、絶対にない」

 何という慎重さか。感心するとともに、エッツェルは内心で舌打ちする。だが、おかしさがこみ上げてきたのも事実である。ジシュカ兄上、その秘策とやらは、すでに漏れているのですよ。私にはあなたの策など、すべて筒抜けなのです。そう言ってのけたい衝動に駆られるエッツェルであった。

「だから、例えばお前が我々を裏切っていたとしても、私の秘策は外には漏れないわけだ。そうだろう?」

 あっ、とエッツェルは声を上げそうになった。まさか兄上は、俺の心が自由革命軍とともにあることを、すでに見抜いているのか?

 だが、そうではなかった。ジシュカは、親しい人間の裏切りも含め、あらゆる可能性を想定して行動しているだけなのだ。そのことを『心眼の加護』で知り、エッツェルは安堵するとともに、戦慄する。やはりジシュカ兄上は恐ろしく頭が切れる、と。

「そうですね。やはり兄上は、策士でいらっしゃる。必ずや反徒どもを打ち破ることができましょう」

 言いながら、舌打ちしたくなるのをこらえるエッツェルであった。彼は、自分を愚か者だとは思わない。だが、『心眼の加護』がなければ、自分はこの兄にはとうていかなわない、と認めざるを得ないのだった。

「デスピナとフィリップも、何やら策があるようだ」ジシュカは、余裕の笑みを浮かべた。「さあ、反徒どもはどう出るかな? 少しは楽しませてくれるとよいが」

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