第五章 サイノス河の殲滅戦 4

 同じころ、フィリップの軍勢は北からゲマナ区の中心部へと迫っていた。

「全軍、バリケードを突破して進撃せよ! 弟のエッツェルが失った支配権は、兄のフィリップが取り戻す!」

 部下たちの醜聞騒動に揺れたのもつかの間、すぐに軍規を立て直し、決戦の日に間に合わせたのは、フィリップの優れた手腕を示すものであった。

「敵の主力はカタラス区に向けて進軍している。ゲマナ区にはわずかの兵しか残っていない。今なら簡単に制圧できるぞ! はははは!」

 フィリップが高笑いを響かせながら鼓舞すると、兵士たちは雄叫びを上げ、敵のバリケードへと突っ込んでいく。バリケードの向こうに見える敵の姿は、まばらだ。圧倒的な数の力でねじ伏せられる。完全なる勝利を、フィリップは確信した。

 それは突然の出来事だった。

 山鳴りのような音とともに、黒い悪魔の雨が、横薙ぎに降り注いだ。フィリップ軍の前線の兵士たちが、ばたばたと倒れていく。溶けるようにして、一瞬で突撃部隊が壊滅した。

「なっ――」

 この世の地獄のような光景に、フィリップは呆然となった。その正体に気付いたとき、彼はさらなる驚きに襲われた。

「銃、だと!? それも、何十……何百挺もか!?」

「ユーゼス地方からの秘密兵器が、どうにか間に合ったぜ。どうだ、部下どもの醜聞にまみれたフィリップさんよ。臆病者になりたくなかったら、蜂の巣になりに来な」

 バリケードから身を乗り出して、反徒どもの頭目らしい男が挑発した。構えているのは、黒光りする銃である。

「ばかな、ありえない! そんなに大量の魔導粉まどうこを、どうやって手に入れた!?」

 魔導銃を精製するには、魔導粉が必要である。魔導石を細かく砕いて作るもので、希少なものである。

「魔導粉なんて、使っちゃいねえよ」

 頭目が笑った。バリケード部隊の指揮をとっているこの男は、ルクスの信頼厚い部下のマーチャーシュだった。

「火薬を使って飛ばす銃だ。ユーゼスの発明家が、俺たちのためにしつらえてくれたのさ」

 西方諸国の歴史に最初に銃が登場したのは、三百年前、エトルシア建国戦争の時代だ。魔導粉を爆発させて弾を飛ばし、遠方の敵を殺戮する、画期的な魔導戦器だった。以来、戦器職人たちは良質の魔導粉を手に入れては工夫を凝らし、魔導銃の改良に努めてきた。今では、使い手を選ばない便利な魔導戦器として定着している。

 ところが最近になって、従来の既成概念を覆す銃が登場した。魔導粉を用いず、火薬の力によって弾を発射する銃である。発想自体は以前からなかったわけではないのだが、魔導粉を用いた場合に比べて点火までに時間がかかり、不発率も高かったため、あまり実用的ではないとされてきた。だが、撃鉄の先端に火打石フリントを取り付ける新しい方式が開発され、信頼性が格段に向上した。

 ルクスは、これに目を付けた。高価な魔導粉を手に入れられなくとも、これなら大量に生産できる。

「兵は、量より質。魔導戦器は、質より量」とはジシュカの持論であるが、これをルクスが知ったなら、おそらくこう言うであろう。「なぜ魔導戦器にこだわるのか」と。彼に言わせると、魔導戦器を大量に揃えることは極めて困難であるのだから、むしろ魔導戦器に対抗できる別の強力な武器を探せばよいのである。

「ははは。これは面白いように当たるぞ。撃て、撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!」

 自らも銃を撃ちながら、マーチャーシュは嘲笑した。こうなると、フィリップ軍の兵たちはただの当たりやすい的であった。

 手塩にかけて育てた、かけがえのない兵士たちが次々とやられていくのを見て、フィリップは青ざめた。部下たちの醜聞騒動が持ち上がったときには、悪夢を見ているような感覚にとらわれたが、その続きを見ているような気分であった。

 フィリップの目算は、実は進軍する以前の段階で既に大きく狂っていた。妻の父であるドゥシャン侯爵が一万の大軍を率いて領地から駆けつけるはずだったのだが、サイノス河の突然の決壊によって道が塞がれ、立ち往生してしまったのである。圧倒的な大軍で北と南からバリケードを挟み撃ちにするという必勝の策が、脆くも水泡に帰したのであった。

「フィリップ様、いかがなさいますか」

「くっ……」

 無駄に被害を増やすよりは、撤退すべきかもしれない。だが、あの醜聞騒動で、すでにフィリップ軍の名誉は大きく傷つけられていた。ここでむざむざと兵を引いては、兄ジシュカや姉デスピナに顔向けができない。

「あっ、ジョフロワ伯がいるじゃないか。彼を呼べ。『突進伯』の異名の所以ゆえんを、反徒どもに見せつけてやるのだ!」

 数多の戦場で勇名を馳せた部下の名前を、フィリップは思い出した。命知らずの猛勇で知られる男である。彼ならば、必ず敵陣を突破してくれるだろう。

 だが、この判断が裏目に出た。ジョフロワ伯は、フィリップに不信感を抱いていた。

「フィリップの野郎、どういうつもりだ。ここで死ねとでもいうのか」

 頬に大きな傷の跡がある顔を曇らせて、ジョフロワは毒づいた。彼は、フィリップに処刑されたサヴィエール将軍と懇意だった。彼とともに外征に赴いたときには、村を焼き、その財貨を奪ったり、美しい娘たちを凌辱したこともある。戦場での勇名も、半分は作り話だ。ところがサヴィエールは正体がばれて死を賜ったのに、なぜかジョフロワは罪を暴かれることなく、処罰を免れた。あれだけ同僚たちの悪行が次々と暴かれたのに、まさか彼の罪だけが露見しなかったのだとは到底思えない。首をかしげていたところだっただけに、彼はフィリップの命令を、悪意を持って解釈した。

「そうか、分かったぞ。俺を生かしておいたのは、こういうときに捨て駒に使うためだったのだ」

 神ならぬジョフロワは知らなかった。フィリップ軍の幕僚たちの悪事を暴き立てた男が、彼だけは故意に見逃してやったのだということを。それによって蒔かれた不審の種が、いずれ反逆という果実を実らせることが、その男にはお見通しだったということも。

「こうなりゃ破れかぶれだ。俺たちは今より、反徒ども、いや、自由革命軍に味方する!」

「ジョフロワ様!? 何を言い出すのです!? 我らに反逆者になれとおっしゃるか!」

 驚いた部下が問い返すと、ジョフロワはぎろりとその部下を睨みつけた。

「では、敵の銃弾の餌食になればいいのか!? フィリップが言っているのは、そういうことだぞ!?」

「ですが――」

「結局のところ、フィリップの奴は俺を生かしておくつもりはないのだ。だったら少しでも生き延びられる可能性が高い道を選んだ方がいい。そうだろうが」

 ジョフロワは、剣を引き抜いた。魔導の力で黒褐色に光るその剣は、部下に向けられていた。逆らえば殺される。部下はやむなく押し黙った。

「フィリップの本隊の側面を突け! 『突進伯』の意地を見せてやる!」

 凄惨な同士討ちが始まった。

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