山の恵み
朝、八重は今までにないほどすっきりとした気持ちで目を覚ました。布団をたたみ、玄関に向かって歩いていく。
「おはようございます、家守さ……さん」
『様』と呼ぶのはよすように言われていたことを思い出し、一度つっかえて『さん』と呼びかけた八重に、家守は振り返って快活に笑う。
「お早う八重殿。ああ、待たれよ。奉納に向かわれるなら、これを履いていくといい」
家守はそう言って、八重に草履を差し出した。緋色の鼻緒がついた藁草履だ。
「ありがとうございます……!」
八重はそれを受け取り、胸に抱えて礼を言う。
「いやなに、白陽様から仰せつかったのだ。八重殿はずっと裸足だから、と」
なんてことはないと家守は笑う。八重はもう一度礼を言い、草履を履いて白陽の元に歩いていった。
草履を履いた足で地面を踏み、八重は思う。こんなことまで自分を蔑ろにしていたのか、と。藁はずっとあったのに。草履くらい、八重にも当然編めるのに。そんなことにも、八重は気付けなかった。
白陽の前に座して、八重はいつもより晴れ晴れとした気持ちで歌を奉納した。白陽はどことなく喜ばしそうに、八重の歌に耳を傾けていた。
「草履を履いてきたね、八重」
歌を奉じ終わると、白陽が八重に声をかけた。
「はい。白陽様が案じてくださったとお聞きしました。本当にありがとうございます」
白陽は優しく「うん」とこたえ、それから八重に向かって言葉を続けた。
「それを履いてなら、山に入っても構わないよ。何かしら採れるだろうし、
白陽の言葉に、ナズナが誇らしそうに飛び跳ねる。八重はその様子にくすりと笑みをこぼして、それから山菜があれば井守と家守が喜ぶだろうと考えた。きっとおいしくしてくれるだろう、と。
「ただね、八重。山には術がかかっている。迷い込めば季節も移ろう。八重は
山は獣の領分だから、と白陽は八重に忠告する。八重は白陽の言葉を受けて、両手をついて深く頭を下げた。
「仰せの通りに致します。必ず、守ります」
八重は白陽にそう約束し、一礼してから白陽の前を辞した。屋敷に戻れば井守が「ご苦労、八重殿」と迎えてくれる。昨日と同じ場所に膳が用意されていて、八重は喜んで塩むすびに手を合わせた。井守と家守が、八重が泣き出さないかとそわそわした様子で代わる代わる顔を見せるのが、有難くて、おかしかった。
米作りも二度目になって、八重は田を離れても大丈夫な頃合いが少しは分かるようになっていた。
「ナズナちゃん、山に行ってみようか」
八重はナズナと連れ立って、屋敷の裏の山路から山に入った。浅い所を少し歩くだけで、八重は沢山の山菜を見つけることができた。
(きっと、大丈夫だ)
御山にも恵みが届いたに違いない。八重がこうして山菜を採っているように、里の皆もきっと食べ物を得ているに違いない、と。人は逞しい。里の皆は、八重よりも余程ものを知っている。
八重がひとりで全てを抱え込まなくたっていいのだ。直接見ることが叶わないものを、必要以上に気を揉んでどうする。八重に出来ることには限りがあるのに。不安や心配ばかりを抱え込んでどうなるというのだ。
(信じよう)
八重はここで、出来る限りを尽くす。きちんと食べて、休んで、それから楽しみや喜びを見つけていく。
心配はしている。それはずっと変わらない。――でも信じよう。人の逞しさを。生命を。知識を。八重が頑張った分だけ、受け取る手があることを。
籠の中に入った沢山の山菜に、八重はそう思った。やっと、心からそう思うことができた。
八重は青々と茂る葉を見上げる。木漏れ日が、きらきらと輝いていた。
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