竹と、川






 稲が青々と育った頃だった。八重は竹林で、小屋から持ってきたくわを振るって筍を掘っていた。地面から先が出ているかどうかの食べ頃を三本、背負い籠に入れてふうと汗を拭う。


 地下茎から伸びる筍を掘るのは力のいる仕事だった。以前の、上天に来たばかりの八重なら、途中で疲れ果てていただろう。里で暮らしていた頃は、筍を掘ったこともなかった。


「やっぱり、ここで暮らして、御加護をいただいたおかげかな?」


 首を傾げナズナに声をかけると、ナズナも真似るように傾いた。動きで角度を変えたことはわかっても、目や口があるわけではないナズナは見た目が変わらない。ナズナには上下があるのだろうか、と思い八重は笑い声を上げた。


「ふふ、でも喉が乾いちゃった。ここには湧き水がないものねえ」


 田んぼであれば、いつでも疲れを癒やす岩清水が飲めた。然程さほど疲れはしなかったものの、力いっぱいくわを振るえば喉は乾いた。


 八重の言葉を聞いて、ナズナがすいと山の奥へと進んでいく。


「待って、ナズナちゃん。そっちの方は」


 八重は慌ててナズナを追う。以前この辺りで大鹿守おおしかのかみを見かけたことがあったのだ。最近見かけないため、ここまでならと思い竹林に入ったが、大鹿守おおしかのかみを見かけたら、それより先には足を踏み入れないと八重は白陽と約束をしている。


 ナズナはすいすいと先に進んでいく。不安に思った八重は周囲を見回したが、大鹿守おおしかのかみの姿は見つからなかった。


 ――加護が増えれば八重殿が歩ける場所も広がる。


 井守の言葉を思い出す。これが、そういうことなのだろうか。八重は注意深く周囲を伺いながら、ナズナを追った。




 ナズナを追ううちに川のせせらぎが聞こえてくる。ナズナが進むのを止めたのは、川のほとりだった。


「喉が乾いたと言ったから、連れてきてくれたの?」


 ナズナは八重にこたえるように、くるりと回って誇らしげに花を散らす。八重は「ありがとう」と微笑んで、川のそばで膝をついた。


 川は清く澄んで、まるで川自体が光っているかのようだ。その中で動き、時折ちらちらと銀の輝きを放つのは、川の魚だった。


「…………ナズナちゃん、魚だね」


 魚を凝視する八重の頭にナズナが乗った。共に川を覗き込み、八重は魚を目で追う。


「…………竹が、あったね。小屋には麻紐も」


 じゅわ、と唾液が溢れる。ついと泳ぎ腹を光らせる川魚は、とても美味しそうに見えた。八重の喉がごくりと鳴った。


 しかし、と八重は思い留まる。上天の川は、龍守たつのかみの治めるところではないだろうか、と思ったのだ。


「どうしよう、ナズナちゃん。龍守たつのかみ様にお伺いを立てていいと思う? お呼び立てしては申し訳ないかしら……」


 八重がそう言葉をこぼしたとたん、川の水がせり上がって人の形を成した。


「何用かあったかの」


「たつ、龍守たつのかみ様……」


 八重はあんぐりと口を開けて龍守たつのかみを見上げた。龍守たつのかみは八重の驚いた顔を見て、はははと笑う。


「よいよい、気兼ねなく申してみよ」


「あっはいっあの……」


 龍守たつのかみはにこにこと微笑んでいる。八重はその穏やかな様子に励まされ、思い切って声を上げた。


「川魚を! 取りたいと思ったのです! 仕掛けをしても、よろしいでしょうか……?」


「ほほう、何を仕掛けるつもりじゃ?」


「竹があったので、麻紐で結んでうけを作ろうかと」


「ほう、うけ!」


 龍守たつのかみは愉快げに声を上げた。


「それは良い。うけが出来たらまた呼ぶといい。仕掛けるに良い場所を教えて進ぜよう」


「はい! ありがとうございます!」


「うむうむ。ではの」


 ばしゃりと水が落ち、龍守たつのかみが姿を消した。八重は全身の力を抜いて、ほうと大きく息を吐いた。


「…………びっくりしたねえ、ナズナちゃん」


 心底驚いた八重の気を知るや知らずや、ナズナはただ嬉しそうにくるくると舞って花を散らす。八重はもう一度川を眺めた。喉を潤すか迷ったが、先ほどまで龍守たつのかみの姿をしていた川の水に口をつけるのは、少々気が引けた。


一先ひとまず帰ろうか。筍、家守さんに早く渡さなきゃ」


 筍は時間が経てば経つほどえぐみが強くなる。八重はナズナと山を降り、屋敷に戻って家守に筍を渡した。家守は筍に喜んで、すぐさま皮付きを茹で始める。八重は井守から水を貰い、喉を潤して小屋に向かった。


 小屋から両刃のなたを出し、田んぼの水具合を確認してからもう一度山に入る。竹林に戻って来ると、程よく太い竹を一本選んだ。


なたを振るうからね、ナズナちゃん。気をつけてね」


 ナズナに近寄らないよう声を掛け、八重は思い切りよくなたを振るう。こおんと数回、音を山に響かせて、竹は割れて滑るように土に刺さった。


 上の方で笹が絡み合い、切った竹は倒れなかった。八重はよいしょと声を出し、切った竹の根本を持ち上げて慎重に竹を引き倒す。程よい長さでなたを入れ天の方を切り落とし、竹の端を肩に担いで引き摺りながら八重は山を降りた。


 階段を、押して滑らせるようにして竹を下ろす。どうにか竹を小屋の前まで運んだ八重は、岩清水を飲んで大きく息を吐いた。


「ふう、やれば出来るものだねえ、ナズナちゃん」


 すっかり一仕事終えた気分だが、うけを作るのはこれからだ。日はまだ十分に高かった。八重はよしと気合を入れ、竹に向かった。


 竹の天側の末口に、半分になるよう慎重になたで割れ目を入れる。ある程度割れ目を入れたら、竹を地に置いて下側を足で踏み、上側を持ち上げるようにして二つに割った。同じように何度か繰り返し竹がある程度細くなったら、必要な長さに切り揃えから竹に刃を当てて細く割く。


 手つきはたどたどしく、覚束ない。里で見たものを再現しようとしているだけで、知識もなかった。それでも八重は一生懸命、時折田んぼの様子を伺いながら竹を割いていった。




 その晩の夕餉には、焼いて塩麹で和えられた筍が並んだ。わかめも添えられている。じゃくと強い歯ごたえの根本に、柔らかくしゃくしゃくとした穂先。塩麹は甘じょっぱくて、柔らかな旨味と発酵した麹の香りがとても善い。


 こんなにも腕の良い家守が川魚を扱えば、どれほど美味しくなることだろう。八重は期待に胸を膨らませながら、眼前の夕餉を美味しく平らげた。





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