「今朝の塩むすびは、一味違うように思います……!」


「おお、お気付きになったか!」


 八重は朝餉の塩むすびを口に入れるなり目を見開き、家守は八重の反応に嬉しそうな声を上げる。


「はい、味わい深い旨味と、塩味の中にまろやかな甘みがあるように思います」


「先日頂いた昆布で、昆布塩を作ったのだ。濃い昆布の出汁で塩を炊き込んでな。八重殿はすぐにお気付きになって声に出してくれるから、有難いな」


 家守は嬉しそうに声を上げて笑う。かけた手間にすぐ気付き、喜んで食べる八重は実に作り甲斐のある人だった。


 朝餉を食べ終えてご馳走さまですと手を合わせ、田んぼに向かう八重を、家守は笑顔で送り出す。白陽の膳を下げてきた井守がそれに気付いて、慌てて声をあげた。


「待たれよ八重殿。家守、渡すものがあったのではないか?」


「おお! 忘れるところであった!」


 足を止めて振り返った八重を残し、家守は慌てて奥に向かい包みを持って戻って来る。


「これを八重殿に。丈が合うと良いのだが」


「まあ、何でしょう。ありがとうございます」


 八重は家守が差し出した包みを受け取り、結び目を解いた。包まれていたのは、美しい緋色をした袴だ。


「着方はお分かりになるか? こう、着物の裾を長く端折ってな、紐をこう通して」


 首を振る八重に、家守は身振り手振りを交え着方を教えてくれる。早速着てみようと、八重は自室に戻って着物を端折り、袴に足を通した。二股になっている緋色の袴は、いわゆる巫女袴だ。八重はそれを知るわけではなかったが、山を歩きやすくなりそうだ、と思いとても喜んだ。


「着てまいりました! 本当にうれしいです、ありがとうございます!」


「よくお似合いになっている」


「丈もよさそうだな」


 喜んで土間に戻った八重を、井守と家守がうんうんと頷いて口々に褒める。ナズナも八重の頭の上で嬉しそうに飛び跳ねた。


 行ってまいります、と声を弾ませ家を出る八重を、井守と家守が手を振って見送る。袴は着物よりも足が開いて動きやすい。新しい衣類がなんとも心を弾ませた。足取りを軽くして、八重は田んぼに向かった。


 家守は共布で紐も作ってくれていた。一本はたすき掛けに使い、もう二本は袴の裾を膝ほどまで上げて巻き付けた。着物の裾をたくし上げて腰紐に挟むより、よほど見た目が良い。八重は育てた苗を腰籠に入れて、泥を跳ねないように慎重に田んぼに入った。




「お帰り八重殿、袴の具合は如何だったか?」


「動きやすく、田植えもしやすかったのです! 汚してしまわないか心配で、もったいないほどで」


「それは良かった。たんとお履きになって気にせず汚されるといい。そのためにお仕立てしたのだ。気に入っていただけて何よりだ」


「本当にうれしいです、ありがとうございます!」


 屋敷に戻った八重を家守が出迎える。贈られた袴を心から喜ぶ八重に、家守も喜んで笑顔を浮かべた。そこにひょいと井守が顔を出す。


「八重殿、先日頂いた米で貯蔵にゆとりが出来たのだ。酒と酢を仕込みたいと思うのだが、よろしいか?」


「はい、何なりと良いようにお使いください」


龍守たつのかみ様にも米をお分けしたいのだが」


「もちろんでございます」


 井守の相談を八重は快諾する。必要なものは気兼ねなく作って欲しかったし、龍守たつのかみには海藻を頂いたのだから礼をするのは当然だと考えた。それに、神米には特別な御力があるように感じている。龍守たつのかみは目覚めてからずっと雲海を泳ぎ鎮め続けている。龍守たつのかみ様にも召し上がっていただきたい、と八重は心から思った。


「酒と酢か、良いな! 白陽様に麹を付けて頂くなら分けてくれ。塩麹を仕込もう」


「相分かった」


 横で話を聞いていた家守が鼻歌を歌いださんばかりに喜ぶ。井守はその様子にふふと笑った。


「早く牛守うしのかみ様がお目覚めになると良いな。それに雲海も落ち着くと良い。魚や鰹節が恋しくなってきた」


「本当に。白陽様にも早くお出ししたいものだ」


 ふたりの会話に、八重はきょとんとして口を挟んだ。


「白陽様は魚をお召し上がりになるのですか?」


「ああ、四足の獣以外は召し上がられるぞ。魚は特に好まれる」


 そう言いながら、家守は白陽の膳を差し出す。白飯に山菜の出汁浸し、塩と水。八重にとってはこの上ないご馳走に見えるが、井守と家守にとっては不満のある内容なのだろう。特に白陽の膳としては。


 それに、八重も魚が好きだった。鮎に山女……川でとった魚を塩焼きにすると、それはもう美味なのだ。


 八重は膳を受け取って、白陽様にも魚をお出し出来たら良い、と思いながら白陽の元に向かった。




「袴を受け取ったのだね」


「はい! 家守さんが仕立てて下さいました」


 御膳を供え、頭を下げる八重に白陽が声を掛ける。八重は勢いよく頭を上げ、笑みこぼれる。ナズナは八重の頭の上で、褒めろと言わんばかりに飛び跳ねた。白陽はその様子に、くすくすと笑うように柔らかい声を出す。


「八重、そこで立って、一度ぐるりと回って見せておくれ」


「かしこまりました」


「――うん。よく似合っている」


 くるりと回った八重の姿を見て、白陽は喜ばしそうに八重を褒める。白陽の言葉に、八重ははにかんで微笑んだ。


 里の白い着物と、家守が仕立てた緋色の袴。姿勢良く立つ八重は、まるで立派な巫女のようだった。





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