翌朝、八重は田んぼに行って、稲の様子を確かめた。分けつが始まったので止水板を上げ、田んぼの水を抜き始める。


 水が抜けていく様子を見守りながら、八重は昨日割いた竹を麻紐で編んでいった。八重には竹の加工に関する知識がないのだ。本来なら竹は切った後乾燥させなくてはならないし、油抜きも必要だ。火で炙って竹を曲げる方法も知らなかったし、割いた竹の太さはまばらだった。


 思うように出来ず首を傾げ、苦心しながらなんとかそれらしい物を作り上げる。田んぼの水はとうに抜け、いつの間にか日も高くなっていた。


「行こう、ナズナちゃん」


 八重はうけを抱えて山に入り、川を目指した。不格好なうけは、それでも山女なら四匹くらいは入りそうな大きさで、直ぐに壊れそうにも見えない。筌口うけくちもきちんと二重にしてある。ものは試しだ、と八重はうけを一瞥して頷いた。




龍守たつのかみ様、うけを作ってまいりました」


 八重は川に着き、川辺に膝をついてから水面に向かって声を掛ける。水面はせり上がって、龍守たつのかみが姿を現した。


「思うたより早かったの。どれ、見せてみよ」


「不出来ではございますが……」


 八重はおずおずと龍守たつのかみうけを差し出した。龍守たつのかみうけを見て、ふむ、と頷いて手を差し出す。


「魚があまた入るよう、うけに加護を授けよう」


 龍守たつのかみの手から光の粒が落ち、うけに当たって弾ける。八重は慌ててうけを掲げ、頭を下げた。


「なんとまあ、有難いことでございます。なんとお礼を申し上げてよいのやら……」


「よいよい。一番の大物を、白陽様へ献上しておくれ」


「もちろんにございます!」


「うむ。ではゆくぞ」


「はい!」


 龍守たつのかみは水面を滑るように先に進む。八重はそれに付いて川辺を歩いた。しばらくすると、龍守たつのかみは「ここが良かろう」と言って立ち止まった。八重はその場にうけを沈めて繋いだ紐を近くの細木にくくり付け、龍守たつのかみに向かって頭を下げる。


「本当にありがとうございます」


「なに、構わぬ」


 龍守たつのかみの声は柔らかかった。八重はそれに勇気づけられ、思い切って言葉を続ける。


「あの! わかめも、芽かぶも、昆布の出汁も、とても美味しかったのです。白陽様のご相伴にあずかりました。ありがとうございました……っ!」


「そうかそうか」


 龍守たつのかみは微笑んで、嬉しげな声を出す。


「また取ってきて進ぜよう。なに、泳ぐついでに爪にかけてくるだけのことよ」


「はい……! 楽しみにございます!」


 約束を交わし、八重は微笑んで龍守たつのかみを見送った。山を下りて屋敷に戻り、夜にはいつものように白陽に膳を運ぶ。その夜は、白陽に話したいことが溢れるほどあった。




 翌日、歌を奉納して朝餉をとり、田の様子を確認した後八重はうけに魚が入ったか見に行った。川底に沈むうけは、上から細い隙間を覗くかぎり魚がいるように思えない。せっかく加護をいただいたのに、やはり元の出来が悪かったのだろうか。そう思いながら八重は紐を手繰りうけを引き上げようとしたが、手応えが、妙にずっしりと重かった。


 なんとかうけを引き上げて、不思議に思いながら八重は筌口うけくちを覗く。


「ひっひえっひええ」


 八重はどっと尻もちをついた。うけを放り出さなかったのは、龍守たつのかみから加護を賜ったうけだからか、それとも食欲のなせる業か。筌口うけくちからは、およそうけに入れそうにもない、大きな魚の腹がみっちりと覗いていた。


 八重はうけを抱え、慌てて山を駆け下りた。ナズナも慌てふためくように八重の頭で跳ね続けている。息を切らしながら屋敷に駆け込み、八重は大声を張り上げた。


「いっ井守さん! 家守さん!!」


「どうされたのだ、八重殿」


 血相を変えて戻ってきた八重を、家守が迎える。今朝、嬉しそうにうけを引き上げてくると声を弾ませる八重を見送ったのだ。まさかうけが流されでもしたのかと思ったが、八重はしっかりとうけを抱え込んでいる。


「これっこっどういたしましょう!!」


 八重は震える手でうけを差し出す。井守も騒ぎに気付き土間に顔を出した。


「どうなさったのだ」


 井守は八重の差し出すうけを受け取って、家守とふたりで筌口うけくちを覗いた。


「うわあ! 何事だこれは!!」


「なんと面妖な……」


 筌口うけくちにはみっちりとよく肥えた魚の腹が詰まっている。


うけより大きな魚に見えるぞ……」


龍守たつのかみ様の御加護か……どうやって入ったのだ」


「どうすればよいのでしょう! どうやって取り出せば!!」


 井守と家守はなんとも言えない顔でうけを眺め、八重はうろたえた声を上げる。


「一先ず口を開けてみるか……?」


「そうするより他あるまいよ……」


「いや待て、大きな桶を持ってこよう」


「それが良いな……」


 家守は慌てて土間の奥から桶を出してくる。井守はうけの先端を回し、ねじった口を開いた。


「……ゆくぞ」


 桶を目掛けてうけを傾ける。固唾をのんで見守る三人の視線の先で、滑り出るように大きな魚体がうけから姿を現し桶にどちゃりと落ちた。


「…………どうやって出たのだ!!」


「…………ますだな」


「あわ、あわわ」


 家守は大声を出し、八重はいっそううろたえた。井守はしげしげとうけの口を眺めている。


「いや待て。まだ入っている」


 井守はそう言って再びうけを傾ける。うけの口からつるつると、鮎と山女が合わせて九匹滑り出た。


「どうなっておるのだ……」


「神の御業としか言えんな……」


「ひえ、ひええ」


 八重が初めて作った不格好なうけは、神器と呼ぶより他ない代物となった。三人は顔をあわせて頷きあう。食べきれないから、うけを使うのは時折にしよう。皆の思いは一致していた。





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