田んぼ






「これで少し、目覚めさせられる」


 白陽がそう言うと共に、指先の光が一層眩く輝き、弾ける。あまりの眩しさに思わず目を閉じた八重は、光が収まった後目をそろと開く。上天の空が、晴れ渡っていた。八重は驚きに目を見張り、空を見上げた。


「八重、右手をご覧。空を」


 言われるがまま八重が右の空を見上げれば、そこに光の柱が立っている。


「あの光の下に、田畑がある。岩清水も湧いているから、湧き口の水を掬って飲むと良い。柄杓ひしゃくも置いてあるはずだから」


 礼を言おう、と白陽に視線を移した八重は異変に気付いた。


「白陽様、御髪おぐしが……!」


 前に垂れていた白陽の髪が一筋、灰と化して風にさらわれていく。


「少し無理をしたようだ。大事ない、この程度なら影響はないよ」


 白陽は安心させるように優しい声を出し、八重を促す。


「さあ八重、光の下へ。屋敷に沿って右手に進めば、玄関の向かいに階段がある。道具も苗も田の横の小屋にあるはずだから、まずは米を育てておくれ」


「……かしこまりました」


 八重は地に両手をつき、深々と頭を下げてから立ち上がった。「御前失礼致します」ともう一度頭を下げ、光の柱を目指して歩き出す。


 白陽の髪が一筋崩れたことが気がかりだった。もし白陽まで灰になってしまったら――そのあまりの恐ろしさに足が震える。だが、田を起こし稲を育て、米を奉納することこそが何よりも白陽が御力を取り戻すために役立つのだ、と己を叱咤して八重は小走りに駆け出した。


 一度駆け出すと、もう足が止まらない。気が急いて足はどんどんと早くなり、終いには転び出るかのような勢いで田畑に着いた。


 光の柱は八重が田畑に着いた途端ふわりと掻き消える。残ったのは、光の柱が広がっていたであろう場所のみ真円に、色を取り戻した田畑とその周囲だけだ。


 よく踏み固められた地に、青く草花が生えた畦道。駆け下りた階段の横手には、岩の間からこんこんと湧き出る清水と、それを受ける溜め池がある。溜め池からは水路が伸びて、水路の先には田んぼがあった。


 階段を挟んで溜め池の反対側には、立派な造りの小屋がある。八重はふうと息を整えて、小屋の扉を開けてみた。


 小屋の中は土間づくりで、綺麗に整頓された立派な農具と、土間一面に稲の苗が置かれている。つい先程まで丁寧に育てられていたかのようにぴんと伸びた苗は、開けた扉から吹き込む風に柔らかにそよいでいた。


 八重は里で、あまり細かに田畑の手伝いをしたことがない。それでも田植えと収穫だけは里の皆で一斉に行うので、少しは知識があった。見聞きして知っていることも多少ある。


 まずは田を耕すのだ、と八重は小屋でくわを探し手に取った。木でできたくわは、欠けも柄の緩みもない立派なもので、丁寧に手入れされていることが伺い知れた。


「お借り致します」


 重みがあって手にしっくりと馴染むくわを持ち、八重は田を耕し始めた。端の方から丁寧に、時折出てくる小石を拾い投げながら田を起こす。肥料は見つけられなかったので元肥はない。「丁寧にき込んだら雑草がでにくい」と、里の誰かの声を思い出しながら八重は一生懸命くわを振るった。


 途中、疲れた八重は背中を伸ばし、岩清水を見た。溜め池の近くには屋根のついた台に柄の長い綺麗な柄杓ひしゃくが置かれている。


「お借り致します」


 一度手を合わせ、八重は柄杓ひしゃくを手に取った。一度綺麗に濯いでから湧き口の清水を受ける。そっと口に含んだ岩清水は、冷たく清く、ほんのりと甘く感じられた。


 岩清水を飲むと疲れが嘘のように消える。空腹も不思議と感じなかった。八重は一日かけて、田んぼを丁寧に丁寧に耕していった。




「随分と頑張ってくれたね、八重。さあ、こちらに上がって休みなさい」


 八重が白陽の元に帰ったのは、日が暮れ始めた頃だった。丁寧に裾の土を払い、八重は「失礼致します」と御座所に上がる。


「ここでは食べ物は然程さほど必要にならないが、それでも八重は何か食べたほうが良い。早く食べさせてやりたいが、もう少し頑張っておくれ」


「はい。明日は苗を植えようと思います。早く白陽様にお米を奉じたく思います」


「米はここで年に四度穫れる。人の世と違い成長が早いから忙しいかもしれないが、その分早く眷族たちを目覚めさせることができる」


 早く八重にも食べさせてやりたいと、ため息をつくように声を漏らす白陽に八重は微笑みを浮かべた。休むよう促され、八重は白陽の後ろに下がり身体を横たえる。


「お休み、八重」


「はい。おやすみなさいませ白陽様」


 八重は安心した心地で目を閉じる。白陽にはあれ以上の変化がなく、依然として動かぬままだが言葉通り大事なさそうだった。そして、白陽が御力を取り戻せるように、眷族が目覚められるように、人の世に、実りを届けられるように。一日働いて、前に進むことができたという実感が何より八重を安堵させる。


(必ず、必ず届けるから)


 心地の良い疲労感に、八重は深い眠りに落ちていった。






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