八重






 ――――八重ちゃん


 光に乗せて、声が聞こえる。懐かしくて恋しい、温かな声が。


 ――八重、米が実ったぞ


 ――やえ姉、あのね、お花がさいたよ


 ――八重ちゃん、子どもが産まれたよ


(ああ、ああ…………!)


 ――お腹いっぱい食べてるよ


(みんな……っ!!)




 ――ありがとう、八重




 大気に溢れる皆の祈りが八重へと届く。温かく愛おしい皆の想いが。


 生きてくれていた。受け取ってくれていた。八重に、祈りを捧げてくれていた。瞼が焼けるように熱い。感情が堰を切って溢れ出す。


 八重はいつもそうしてきたように祈りを束ね、そして抱きかかえる。一欠片だって零さない。だってこれは八重に捧げられた――




 巫女として勤め、仙と成った八重は、信仰心を得て神へと至る。




「――朝日の中で 舞うは蝶々

 芽生え芽生えよ 花は開いて」


 力の振るい方は自ずと分かった。八重の歌声が天に響く。


「照る日差しに 鳴く蝉の声

 茂ろ茂ろよ 青々として」


 八重が目覚めた権能は『守り、届ける』――それは上天であり続けた八重のかたち。


「夕暮れ赤く 染まる稲穂よ

 実れ実れよ 頭を垂れて」


 八重は目覚めた権能により、大気のみならず物に宿った信仰心さえも自らに届ける。だって、どこに想いが宿っているか手に取るように分かる。ああ、あの小高い処にある、懐かしい柄の頭巾を被った白い石は。黄金の光を湛えた柿渋の社は、八重の社だ。


「月の光に 雪は白く

 眠れ眠れよ 芽生えを待ちて」


 皆から貰った力を守る力に変える。何処へ届ければ良いかもわかる。神鳴り轟く蒼天の、爛れたケガレが広がるその先に。尊い絆の微かな名残りが教えてくれる。


 八重はすうと息を吸う。自然と言葉が溢れた。


「大御神白陽の御下に

 守りあれ 守りあれ」


 それは生まれたばかりの小さな神の力。信じる者は少なく、しかし真心に溢れて、白陽に依らず、この均衡を崩すには充分な。


 天を仰ぎ、八重は空に向かってひたと手を差し伸べる。守りを届ける。溢れる涙さえも力に変えて。




「――守りよ、在れ!」




 八重の梅が花開く。空に、大地に、愛しい御方の下に。守りを受けて、天が煌々と輝いた。


 とても立っていられない程の衝撃が、大気を渡って空から降り注ぐ。八重は耐えきれず目を閉じ身をよろつかせて、足を踏ん張った。


 烈風が治まり八重はそっと目を開ける。仰げば空は澄み渡って、災厄は存在の一片さえ残さず消え失せていた。


 ――打ち勝ったのだ。


「ああ……っ!」


 八重は震える唇を両手で押さえた。


 雲一つない空には清き光を纏った白陽が凛と立っていて。身を翻し、白き光の粒子を煌めかせながら白陽はゆっくりと八重の目の前に降り立った。


「八重、私を守ってくれて、ありがとう」


 八重の瞳から涙が溢れる。安堵に、歓喜に、涙はとめどなく零れ、八重ははらはらと涙を落としながら頷いた。


「はい、はい…………!」


 泣き濡れる八重を労ろうと、白陽が八重に手を差し出したその時だった。白陽の背後で黄金の光が舞い、空から、大気から集まろうと塊を作り始める。光は揺らめきながら、辛うじて人の形を成した。


 成人程の身の丈をした、着物を身に着けた人形ひとがたは、地に手をついて深々と額づく。


『此度の件、全て我が不徳の致すところにございます。御詫びの申し上げようもございません』


瑞鶴ずいかく


 人形ひとがたからは男の声が響く。白陽が振り返り、男の名を呼んだ。


「我がかんなぎ。そなた何があったのか、仔細を全て話せるかい?」


『はい、大御神よ。私は怨念の腹中で、過去から今に至るまでの全てを読み取って参りました』


 瑞鶴――白陽に『我が覡』と呼ばれた男。あれは怨念に喰われたと聞かされた帝なのだ、と気付き八重は息を呑んだ。


『全ては私が父の跡目を継いだ時を契機に始まっていたのです』


 瑞鶴は面を上げ、言葉を続ける。


『これよりお話するは、帝の血縁を得た男の野心が巻き起こした悲劇』


 ひた、と瑞鶴の顔が八重を向く。辛うじて人形ひとがたを保っているばかりで人相も分からぬのに、八重は、視線を交わしていると強く感じた。


『――共に聞いておくれ。我が妹、八重よ』


 妹。ではこの男は、帝は八重の。


 衝撃に身を震わせる八重を見つめ、瑞鶴は語り始める。昔都で起こった、惨劇を――――





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