貴方に捧ぐ
摘んだ蓮華が束になったころ、八重はこのまま束で持っていくのかと思案して、ふと、里で交わした約束を思い出した。
――花がまた咲いたら、きっとね
不作が重くのしかかってきた頃だっただろうか。ひもじい、と、切ないつぶやきを落とす子どもたちと、春が来たら、花が咲いたら、沢山遊ぼうと約束したのだ。
たんぽぽで人形を作って、草笛を吹いて、沢山の花を集めて花冠を作ろうね、と。萎れた草がまばらに生える畔を眺めて、そんな日がきっと来ると願いながら。
そのまま飢饉は厳しさを増して、春が来る前に、約束を果たさないまま八重はここに来た。手にした蓮華を見つめ、八重は、花冠を編もう、とそう思った。
蓮華を一本とり、花をずらしもう一本重ねて軸を巻く。隙間のないように、美しく、眼前の光景を編むようにして。
(約束は、守れなかったけど)
もう子どもたちに編んであげることはできないけれど、白陽のために、と花を選び、摘んで、編み上げることで、八重は心が慰撫されていく気がした。
編み終わりを丁寧に纏め、出来上がった花冠を一度空にかざして、八重は立ち上がった。
「ナズナちゃん、帰ろう」
蜂と戯れていたナズナは八重の言葉に寄ってくる。くるりと回るナズナに「白陽様にお届けするの」と微笑んで、八重はまたナズナの先導で歩き出した。
花弁のひとつも傷付けないようにと大事に花冠を持って、八重は山を下りた。いつもなら直ぐ様山菜を家守に届けるところだが、屋敷の軒下に背負っていた籠を置いて八重はまっすぐ白陽の元に向かう。
「白陽様」
「どうしたんだい、八重」
普段顔を見せない時間に、庭から姿を見せた八重に、白陽は優しく声をかける。
「ナズナちゃんが、綺麗な蓮華畑に連れていってくれたのです。東屋に藤も咲いておりました」
「ああ、
蜂蜜。だから甘味の話をしたときにナズナが連れていってくれたのか、と八重は得心して言葉を続ける。
「とても美しかったので、白陽様にお届けしたいと思ったのです。この花冠を捧げさせてください」
「ああ、待ちなさい八重。こちらへ上がっておいで」
首を傾げる八重に、白陽は微笑みを含んだ声で呼びかける。
「そこで捧げられては直ぐに光と消えてしまう。こちらに持ってきて、よく見せておくれ」
「はい……!」
八重は喜んで、いそいそと御座所に上がる。庭から御座所に上がるのは久方ぶりだ、と履物を揃えて笑みこぼれた。
いつも御膳を運ぶときのように、八重は白陽の高座の手前で座り花冠を捧げる。白陽は喜ばしそうに、ふふ、と笑い声をこぼした。
「ああ、美しいね。あの花畑がそのまま冠になったようだ」
「はい!」
八重はにこにこと頬を緩ませる。このまま夕餉のように、少しずつ光の粒となって消えていく様を見続けよう、と思う八重に、白陽は言葉を続けた。
「八重、被らせておくれ」
「なっ……そん、そんな、畏れ多いことでございます!!」
「私の巫女が作ってくれた冠を、被らずに終うなど勿体ない」
「ですが……!」
逡巡する八重を、白陽は、さあ、と言って促す。八重は躊躇いながら膝立ち、心が定まらないまま前に進んで高座に膝をかけた。
(ちか……近い……っ)
白陽は黙って八重が花冠を被せるのを待っている。近付く距離に胸を詰まらせながら、八重は慎重に花冠を白陽の頭上にかざした。
(触れて、しまいそう…………っ)
濡羽色の御髪に、少しでも手が震えてしまえば。頬が真っ赤に染まる。まるで心がそこに宿っているかのように、指先が痛いほど脈打った。鼓動は早鐘のように踊り、このままでは胸の外へと飛び出してしまう、と八重は更に頬を火照らせる。息が、出来ない――
どうにか花冠を白陽の頭に乗せて、八重は弾けるように飛び退る。その場にへたり込んで、呆然と白陽を眺めた。
「ありがとう、八重」
白陽は微笑むように、柔らかな声を八重にかける。八重は鼓動を抑えつけるように胸元を握りしめて、浅い呼吸を繰り返した。
なんとか「はい……」とか細い声を返しながら、八重はまばたきも出来ずに白陽を眺め続ける。蓮華の花冠は、花弁の端から淡く柔らかな光を放ち、輪郭を霞ませていく。
(ああ、私は)
八重はその光景に、唇をわななかせ、耳まで赤い血をのぼらせた。
(この御方を、お慕いしている…………)
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