色取り戻す目覚めのとき






 稲は出穂し、畑の作物もすくすくと育っている。紫蘇なんかは早いもので、もう何度も膳に上がった。


 八重は牛守うしのかみと田畑の世話をして、山に入り、日々を過ごしている。守護神たちとの交流は増して、犬守いぬのかみと秋の山に行き茸や栗を拾ったし、猿守さるのかみは何度か白陽の屋敷で見かけ言葉を交わした。今度ゆっくり茶を飲もう、と誘われている。


 兎守うのかみは何度も菓子を持って白陽の屋敷を訪れて、八重を見かけると声をかけてくれる。蛇守みのかみは自分の屋敷に籠りきりで、羊守ひつじのかみは今ずっと機織りをしているのだ、と兎守うのかみが話していた。


 雲海の荒れは未だ治まらず、それを鎮める龍守たつのかみを町中や白陽の屋敷で見かけることはほとんどない。だが全ての守護神が目覚め霧が晴れれば、雲海も少しは落ち着くだろう、と予想されていた。


 八重はこのところずっと物思いに耽っては、井守や家守、牛守うしのかみから「どうした」と声をかけられることが多くなった。その度八重は慌てて首を振り「なんでもないのです」とこたえたが、なんでもないわけがないと、皆が八重を案じていた。


 そんな日々を過ごすうちに、稲は熟し重く頭を垂れた。いざ収穫の時が来たと、八重は鎌を持って波打つ稲穂を眺める。八重の祈りと想いを宿し黄金に輝く稲穂を前に、八重は突然悩みが晴れ、視界が広がる心地がした。


 ずっと、胸に宿った恋心を持て余し悩んでいたのだ。人の身で、身の程知らずな想いであるとか、今後八重はどうしてゆけば良いのか、とか。


 いくら思い悩んでも、恋心は消えることなく八重を翻弄した。白陽の姿を見ると心が弾む。声を聞けば胸が高鳴った。初めて抱いた恋情に、八重は振り回されていた。――でも、光を散らす黄金を前にして、やっと八重は心に折り合いがついたのだ。


(私が白陽様のために出来ることは、最初からひとつだったのに……)


 信仰心を宿し揺れる稲穂。毎朝の歌の奉納。八重は、ただ捧げれば良いのだ。胸に抱いた恋心ごと、八重の心の全てを稲と歌に込めて。


 八重は黄金の中に踏み入って、鎌を振るい稲を刈った。一株刈るごとに、里の皆の顔を思い起こす。守護神たちの顔を。そして、心を寄せる大御神、白陽の顔を――


 八重は胸の内にある全ての想いを捧げるかのように、鎌を振るい続けた。




「稲穂を、白陽様に奉納致します」


 八重は白陽の御前に稲穂を積み上げ額づいた。


「ああ、受け取る」


 稲穂は光の渦となって掻き消える。白陽の指先が眩い光を湛えた。


「八重、手を出しなさい」


「はい」


 八重は頭を上げて、両手を差し出す。光が空中に集まり、煌々と輝く雫となって八重の手のひらの上に落ちる。しゃん、と高く澄み渡った音が空に響いた。


「八重、守護神最後の三柱、鼠守ねのかみ虎守とらのかみ馬守うまのかみを目覚めさせなさい。鼠守ねのかみは子孫繁栄を、虎守とらのかみは財福を、そして馬守うまのかみは祈願成就を司る」


「はい……!」


「これで全ての守護神が揃う。さあ、目覚めさせてやっておくれ」


「はい、行って参ります!」


 八重は立ち上がり、町へ向かって足を踏み出した。




 町を歩く。まだ朝早い時間なので往来に姿はないが、町は最近活気づいてきた。守護神に仕える童子や従者が、往来を行き来し、立ち話をし、物や人手を取り交わすのだ。


 先に目覚めた者から屋敷を検め、体制を整え、落ち着いた処から後に目覚めた処へ人手をやる。ぽつりと三軒残った灰の屋敷が物悲しいが、それも今から目覚める。町はかつての景色を取り戻すのだ。


 八重は希望に輝く瞳で町を振り返り、鳥居の下に座した。


 瞼を閉じて、拍手を打つ。清き鈴の音がしゃんと響いた。


「上天に御座す鼠守ねのかみ虎守とらのかみ馬守うまのかみに、かしこみかしこみもうす。白陽様より預かりし御力、献じます。目覚め給え、祓え給い、清め給え」


 合わせた手が光り輝く。しゃん、しゃんと鈴の音が鳴り響く。一際大きな音が鳴った瞬間、光が弾けた。吹き抜けた風に瞼を開けると、目の前には二柱の女神と、一柱の男神が姿を現していた。


 鼠色の髪を団子に纏め、抹茶色に橘模様の着物を纏った女神はひときわ小柄で、優しさに満ちた笑顔で目を糸のように細める。笑いじわの刻まれた、可愛らしい老女だった。白練混じりの金茶色の髪を肩口で切りそろえた女神は意志の強い瞳を持つ童女。深紅に扇面模様の着物を纏っている。そして男神は灰汁色の短髪に白い肌、蝋色の着物を纏い、背が高くすらりとした立ち姿をしていた。


 神々が手を打ち鳴らす。手元から、栄え華やぐように、光が降り注ぐように、清い波動が発される。八重の視界の先で、ついに町が全て、色を取り戻した。


 守護神らは揃って八重の頭上に手をかざす。加護の光が三粒、八重の頭に落ちて弾けた。


「有難う、巫女殿」


「そなたのおかげで目覚めることが出来た」


「本当に、助かりました」


 八重は額づき、涙をこらえる。あと一歩、あと一歩のところまで、八重は差しかかったのだ。





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