龍の目覚め
八重が山菜を採ってくると、家守はそれを天ぷらにして出してくれた。米粉の衣をつけて揚げた山菜の天ぷらは、歯ざわりが軽くさくさくとしてとても美味しかった。油は
とはいえ家守にとってはまだ料理の内容に不服があるらしい。醤油や味噌が駄目になったそうで、仕込み直したいと嘆いているが、大豆や小麦の種は農業を司る眷族と共に眠っているのだという。「それは頑張らねばなりませんね」と八重が笑うと、家守は「頼んだぞ、八重殿」と大仰に頷いてみせた。
料理をするのが家守。洗い物をするのが井守。掃き掃除をするのが家守。拭き掃除をするのが井守。共に暮らすうちに、それとなしに分かるようになってきた。水に関することを井守が、それ以外を家守が主に担当するのだ。朝の御膳は井守と家守が交互に、夕の御膳は八重が運んでいる。
八重は毎日、歌を奉じ米を作る。山にも行くようになったから、日々が飛ぶように過ぎていく。分けつが始まれば中干しを、穂が出ればたっぷりの水を。穂が膨らんで、稲穂はずっしりと重く頭を垂れる。田んぼ一面が
鎌を引く。ざくり、と確かな手応えを感じながら、八重は稲を収穫した。
(届けよう)
八重は強く意志のこもった目で前を見据える。――もう涙は出なかった。
「稲穂を、白陽様に奉納致します」
八重は収穫し干した稲穂を白陽の前に積み上げ額づいた。
「ああ、受け取る」
稲穂は光の渦となって掻き消え、白陽の指先が光を湛える。
「八重、手を出しなさい」
「はい」
八重は頭を上げて、両手を差し出した。空中に光が集まり、輝く雫となる。差し出した八重の手のひらの上で、しゃん、と高く澄んだ音を立て、雫は八重の手のひらに弾けて溶けた。
「八重、町に降りて、鳥居の前に行きなさい。そしてそこで、
「
「ああ。十二の守護神が一柱、水を司る
人の世は、長雨が続いていた。晴れ間が少なく作物が育たないのだ。此度の飢饉の、主たる原因だった。
「かしこまりました」
八重は希望の宿った両手を握りしめる。額の前に掲げ、押し頂く。
「行って参ります」
強い瞳で白陽を真っ直ぐに見る。一礼し、八重は白陽の御前を辞して町に向かった。長い長い階段を下りて、灰の町へ。
広い通りには、両側に立派な屋敷が立ち並んでいる。通りに面した屋敷は右に六軒、左に六軒。十二の守護神の数だった。
初めて通りを歩いたときはわからなかった。この道は、参道だったのだ。――そして。
八重は長い参道の突き当りで、大きな朱塗りの鳥居を見上げる。この辺りで、八重は目覚めた。
鳥居より先は、霧に煙り見通すことも出来ない。この先は神洞の泉に通じているのだろうか、と八重は思ったが、霧の濃さが、そのように単純な事象ではないと告げてくるようだった。白陽が忠告するからには、大変な危険があるのだろう。
(でもこの先に、きっと皆がいる)
八重は拳を握りしめ、霧を見据えた。そして決意のこもった眼差しで、町に振り返りその場に座す。
「上天に御座す
合わせた手が光り輝く。しゃん、しゃんと鈴の音が鳴り響く。一層大きな音が鳴ると共に、光が弾けた。吹き抜けた風に瞼を開けると、目の前にひとりの男神が姿を現していた。
白い肌に
「礼を言おう。そなたのお陰で目覚めることが出来た」
額づいた八重の脇を抜けて、
「おお、おお。これは
八重は手を合わせてそれを見送る。
(長雨をどうぞ、お頼み申し上げます)
霧の向こうに、白銀が光った気がした。
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