嵐の後に






 長雨の影響か濁っていた井戸水が、清く澄んだ。里には様々な春の恵みが芽吹き始める。


 子ども達は、競うようにこぞって土筆つくしよもぎ、せりを摘んでいた。里のあちこちにはふきが出て、シダからはこごみが採れる。


 御山に入れば、タラの芽やうどが採れる。筍を掘れば皮ごと火にかけて、蒸し焼きにしたのに塩を振って食べた。


 皆で分け合った。


 誰からともなく、得たものを分け合うようになった。食い尽くそうとする者は、だれひとりとしていなかった。子ども達も、飢えているだろうに、採った土筆つくしやなにかを分け合って。


 ――八重が命を賭して神に祈りを届けてくれたから。


 田を起こす者が、塩を炊く者が、家の悪くなったところを直してまわる者が、山に入れない者が、皆が食うに困らないように。八重はきっとそう望むから、と。


 長く降る春の雨に、気鬱になる日もあった。今年も駄目なのだろうか、と曇天を見上げた。これだけはと守り抜いた種籾を苗箱に植えたはものの、日差しが少なく出た芽は弱々しかった。


 春の終わりが近付いた頃、嵐が起こった。土砂降りの雨に雷鳴が轟き、このまま僅かな希望さえ押し流されてしまうのか、と絶望した。


 ――ところがどうだ。嵐がおさまった後、長雨がぴたりと止んだのだ。


 この嵐で家屋にどれだけ被害が出るか、と覚悟もしたのに、建物への被害も僅かだった。


「八重の願いを受けて、神々が守ってくださったに違いない」


 里長が、皆の前でそうつぶやき、顔を覆って涙をこぼした。皆の手前、悔いる素振りを見せなかったが、里長にとって八重を人柱に送ることが苦渋の決断だったと皆が知っていた。八重が幼い頃から、世話していたのは里長だったのだから。




「今日も晴れた」


 六郎は晴れた空を見上げた。もうすぐ夏になろうかというのに、日差しは弱かった。今年は冷夏になるかもしれない。実りは少ないのかもしれない。それでも、生き抜くことはできそうだ、と空を仰ぐ。


 畑には、きびひえも蒔いた。稲も育っている。日々、生活が上向いていると感じられる。


「ありがとう、八重」


 青い空に、六郎の声が溶けて消えた。




§




 清澄な空に八重の歌声が響く。人々の祈りが、信仰心が光となって八重の身体を駆け抜けていく。


(ああ、届いている)


 祈りの奔流は日々勢いを増していく。龍守たつのかみが目覚めてからは、特に顕著だった。


(この中に、きっと皆の祈りも含まれている)


 だから、届く想いの全てをひとつ残らず奉じようと、八重は心を込めて歌を歌う。


 感謝を、願いを、縋る気持ちを、喜びを、慕う心を――敬愛を。


 白陽はただじっと、八重の歌に耳を傾ける。動かぬ大御神は、不思議と微笑んでいるようだった。




 朝日の中で 舞うは蝶々

 芽生え芽生えよ 花は開いて――





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