春の章 一巡

ナズナ






 ふわふわ、ふわふわ、と。眠る八重は、何か柔らかなものに包まれるのを感じていた。軽くて、少しくすぐったくて、たんぽぽの綿毛の布団で眠る夢を見ているような。


「くしゅん」


 鼻を掠めたむず痒さに、八重はくしゃみをして目を覚ました。薄らと開いた八重の目に、沢山の毛玉がうつる。一抱えほどありそうな大きなものから、手のひらに乗るくらいの小さなものまで。山と積み上がるように、八重の身体の上に大量の毛玉が乗っかっていた。


「わっわあっわあああ!?」


 八重が驚いて飛び起きると、軽い毛玉はその勢いに弾かれるように飛び散り、ふわふわと浮かんで消えていく。


「すまないね、八重」


 くすくすと笑むように、白陽が八重に声をかけた。


「目覚めた精ら、葉槌はつち野椎のつちが寄ってきたんだ。眠る八重が寒々しく見えたようでね、許してやっておくれ」


 白陽は穏やかな声で、毛玉がなんだったのかを八重に教える。八重は居住まいを正し、消えた毛玉を探しながら返事をした。


「いえ、私こそ大きな声を出してしまい……怖がらせてしまったでしょうか」


「いいや、八重も驚いただろう。目覚められたことを、八重に感謝しているそうだよ。またいずれ姿を現す。お早う、八重」


「おはようございます、白陽様」


 申し訳ないことをしてしまった、と肩を落とした八重は、白陽の言葉にほっと息を吐いた。ふと上を見ると、天井の方から小さな毛玉がゆっくりと降りてくる。逃げそびれてしまったのだろうか、と思ったが、どうやらそうではないらしく、毛玉はふわふわとそのまま八重に近寄ってくる。八重がそっと手を差し出すと、毛玉は八重の手のひらの上でくるりと回った。


「そら、出て来た。それは野椎のつちだよ」


「驚かせてしまってごめんなさい、野椎のつちさん」


 淡く緑がかった白い毛玉、野椎のつちはうれしそうにくるくると回る。野椎のつちが回る度に、小さな白い花と三角をした葉がはらはらと舞い落ちた。


「温めようとしてくれて、ありがとう。皆にも、そう伝えてくれる?」


 野椎のつちは頷くように数度飛び跳ね、ひときわ大きく跳ねたかと思うと八重の頭に乗っかった。


「ふふ」


 八重はその可愛らしさに思わず微笑み、野椎のつちを頭に乗せたまま御座所を下りた。いつものように、白陽に向かい合い座して歌を奉じる。野椎のつちはずっと八重の頭の上に乗って、うれしそうに揺らめいていた。




 八重は田んぼに行き、稲をいくらか脱穀して種籾を集めた。里では確か御山の温泉から採れる塩で塩水を作り、種籾をそれに漬けて良し悪しを選り分けていたと八重は記憶していたが、小屋の中に塩を見つけることは出来なかった。八重は他に塩の代わりとなるものを思いつけず、桶に水を張って種籾を沈め、浮いてきた本当に軽い種籾だけを取り除いた。


 選り分けた良い種籾を、小ぶりな麻袋に詰めて溜め池に沈める。溜め池のほとりには、丁度良く麻袋の紐を引っ掛ける杭が打ちつけてあった。


「ナズナちゃん」


 作業を終えて顔を上げた八重に、野椎のつちが寄ってきた。小さな野椎のつちは八重にたいそう懐いて、八重が眠るときも、歌を奉じるときも、こうして働いているときも、いつも八重の近くをついて回るのだ。


 よろこぶようにくるくると回る度、野椎のつちはナズナの花と葉を落とす。八重はその様子に、野椎のつちに「ナズナ」と名前を付けてかわいがっていた。


「今日のお仕事はおしまい。白陽様のところに帰ろうか」


 ナズナはくるくる舞って花をこぼしながら、八重の肩に乗っかった。八重はふふと笑って、ナズナを肩に乗せて白陽の元に向かう。そしてそのまま、白陽に今日の作業の話をして、ナズナと共に白陽の後ろで眠るのだ。


 翌日には、麻袋を水から引き揚げて、苗箱に土を入れ、種籾を撒いた。本来であればもっと長く水に漬けるものだが、ここは人の世と作物の育ちが違う。種籾は一晩でたっぷりと水を吸っていた。


 日のあるうちは苗箱を外に出して、夕暮れになると苗箱を小屋にしまう。苗を育てている間は脱穀し、田を耕して、草を引いた。ナズナはそんな八重の様子をいつも興味深そうにくるくると回って見守っている。


「ナズナちゃん、そんなに花を撒いたらナズナが混ざっちゃう」


 八重は笑ってナズナをつついた。


「あなたの花は芽吹くのかしら。ナズナばかりが生えてしまったら大変ね」


 八重は手のひらに乗せたナズナに、そっと頬を寄せた。目を閉じて、想うのは里の皆のことだ。


「……里にも、春の恵みが届いているかしら」


 きっと届いたといくら思っても、直接知ることは叶わない。皆はどうしているだろうか、と、八重はたまに堪らなく不安になる。八重にとって里は、飢えた絶望の底にあった。あそこから、良くなっただろうか。少しは食べられているだろうか。――間に合ったのだろうか。ナズナはそんな八重を慰めるように、すりと体を擦り付ける。八重にとって、ナズナは心を慰めるかわいらしい存在であり、目覚めた春の象徴だった。


「……うん、きっと大丈夫。ありがとう、ナズナちゃん。きっと、間に合ったよね」


 八重は半ば己に言い聞かせるように、夕暮れにぽつりと言葉を落としていた。






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