最後の眷族






 稲は出穂し、頭を垂れた。八重は風に揺れる稲を眺めながら、花見の日を思い起こしていた。


 別れ際、ふたりきりになった時に兎守うのかみがそっと、「八重ちゃん、恋をしているでしょう?」と耳打ちしたのだ。驚き目を見張る八重に、兎守うのかみは「『恋愛成就』こそ我が権能……恋の芽生えは見逃さないんだよ」と得意げに笑った。


 八重がどうしたものかとうろたえると、兎守うのかみは人差し指を唇に当てて「誰にも言わないから、安心してね」と告げた。「一人で抱えるのが辛くなったときに、いつでも話を聞くからね」と。


 任せてよ、恋の女神なんだから、と力強く笑って去っていく兎守うのかみを見送って、八重は、敵わないなあ、と微笑んだ。


 人の身で、権能を持つ神から隠しおおすことなど土台無理な話だったのだ、と思えば肩の力が抜けて、どこか気が楽になった。本当に辛くなったときに相談できる相手がいるというのは、心強く温かかった。


 想いは日々募っていく。何気ない言葉の積み重ねが、柔らかな声音が。この想いがいつか溢れてひとりで抱えきれなくなったときは、兎守うのかみに相談しよう、と八重は胸に手を当てた。


 八重の想いが膨らむように、稲の実は膨らんで色をつけ、重く重く頭を垂れてゆく。いつしか稲は熟し、黄金色の光を放った。




「稲穂を、白陽様に奉納致します」


 八重は白陽の御前に稲穂を積み上げ額づいた。


「ああ、受け取る」


 稲穂は光の渦となって掻き消える。白陽の指先が眩い光を湛えた。


「八重、手を出しなさい」


「はい」


 八重は頭を上げて、両手を差し出す。空中に集まる光は燦然と輝く雫となって、八重の手のひらの上に落ちる。蒼天に、しゃん、と澄んだ鈴の音が響いた。


「八重、狐守きつねのかみを目覚めさせるんだ。狐守きつねのかみ阿形あぎょう吽形うんぎょう揃って一対の神、共に『厄払い』を司る」


 八重は光を宿す手を握りしめ、神妙な面持ちで頷く。ついに眷族全ての神が目覚めるのだ。


「――八重、そなたが住んでいた山の麓に樹海が広がっていると知っているかい?」


「森が広がっているのは存じております。ですが眺めるばかりで詳しくは……決まった者しか入ってはならないと里で定められていたのです。その、惑うから、と」


「そういう扱いになっていたのだね」


 白陽は納得したように、ふむ、と声を出した。


「惑う、というのはある意味正しい。あの樹海には、悪しき怨念が集まるんだ。心弱った者は取り憑かれやすいし、放っておけば吹き溜まっていずれ災禍と成る。狐守きつねのかみはそれを祓ってくれるんだよ」


「そんなことになっていたなんて……」


 八重は輝く両手を押しいただき、感謝の念を捧げる。白陽は祈る八重を前に、そう祓われてゆくはずだったのだが、とかすかに呟き、気を取り直して八重に声をかけた。


「さあ、この場で呼んで、目覚めさせてやっておくれ」


「はい!」


 その呟きは八重の耳に届かなかった。改めて姿勢を正し、瞼を閉じて、八重は拍手を打つ。しゃん、と鈴の音が清く響いた。


「上天に御座す狐守きつねのかみに、かしこみかしこみもうす。白陽様より預かりし御力、献じます。目覚め給え、祓え給い、清め給え」


 合わせた手が光り輝く。しゃん、しゃんと鈴の音が鳴り響く。一際大きな音が鳴った瞬間、光が弾けた。吹き抜けた風に瞼を開けると、目の前には男神と女神、一対の神が姿を現していた。


 一つに結わえた長い髪を垂らした、少年少女が二柱。共に山伏装束に身を包み、顔には、鼻より上を覆う狐の面。黒の面を被った阿形は鍵の形をした剣を腰に差した男神、白の面を被った吽形は光を湛えた珠を持つ女神。顔立ちは不明だが、背格好も、立ち姿も、測ったかのようにそっくり同じ一対だった。


 狐守きつねのかみは向かい合い、互いの手を打ち鳴らす。手元から、災禍を打ち払うように、光が広がるように、清い波動が発される。


 狐守きつねのかみは揃って八重の頭上に手をかざす。加護の光が一粒、八重の頭に落ちて弾けた。


「有難う、巫女殿」


「そなたのおかげで目覚めることが出来た」


 狐守きつねのかみは八重にそう告げた後、凛と前を向き白陽に向かって言葉を発する。


「我らは厄を祓って参ります」


「次こそは、必ず」


「ああ、頼んだよ」


 狐守きつねのかみは揃って深く頭を垂れ、そのまま姿を掻き消した。八重はあっという間に見えなくなった狐守きつねのかみに、両手を合わせ頭を垂れて祈りを捧げる。人の世を災禍からお守りください、と願いを込めて。そして――


(次こそは、と)


 狐守きつねのかみの言葉が気にかかった。合わせた手がかすかに震える。まだこれから、何か起こるのだろうか。八重は不安を胸に全ての神々の顔を思い起こし、どうか、と縋るように祈り続けた。





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