秋の章 一巡

広がる、希望






 朝、歌の奉納を終え朝餉を摂り、田んぼへ向かった八重を迎えたのは、緑の面積を広げた田畑と牛守うしのかみだった。畔にしゃがみ田んぼの土を確かめていた牛守うしのかみは、八重に気付いて立ち上がる。


「おお、巫女殿」


「おはようございます、牛守うしのかみ様」


 八重は首を大きく反らし、牛守うしのかみを見上げる。牛守うしのかみは驚くほどの巨躯の持ち主だった。


「きっと、田んぼや小屋の主は牛守うしのかみ様でいらっしゃるのだろうと思っていました。お貸しいただき、ありがとうございました」


「いやなに」


 牛守うしのかみは胸を張って大きな笑い声をあげる。


「田畑も道具も、丁寧に扱ってくれていた。儂が眠っていたばかりに、苦労をかけたな。有難う、巫女殿」


「いえ、勿体ないお言葉でございます」


「それで今後のことなのだが」


「はい」


 八重は神妙な面持ちで頷く。田畑の正当な持ち主が目覚めたのだ。八重は米作りについてどうしていくべきか、聞かなくてはならないと思っていた。


「米は、今後も巫女殿に作ってもらいたいのだ。引き続き苦労をかけるが、請け負ってもらえるだろうか」


「はい、もちろんのことでございます」


 八重は牛守うしのかみの言葉を意外に感じながら、その申し出を受け入れた。何か理由があるのだろうかと不思議に思う八重に、牛守うしのかみは、ううむ、と顎を撫でながら言葉を続ける。


「これはな、『奉納』に関係するのだ。人の子が育て、刈り取る稲こそが奉納となる。更に神に仕える人の子――巫覡ふげきの奉納は地上で捧げられたもの全てと繋がるのだ。儂が育てては『献上』となってしまうものでなあ」


「献上……でございますか?」


「神から神への貢ぎ物だな。敬う気持ちはあれど、信仰心は含まれぬ」


 神米に宿る信仰心。それこそが、八重が稲穂の奉納を通して白陽に奉じていたものだったのだ。そして、巫覡ふげきの乙女、巫女である八重が捧げた米は、奉納の際人の世で捧げられた奉納品に宿る信仰心を汲み上げ、共に白陽に届けるのだ、と牛守うしのかみは言う。そしてそれは、日々の歌の奉納で汲み上げる人の祈りとは、また別なのだ。


「人の世で捧げられた祈りは大気に宿り、奉納品に込められた信仰心は社に宿る。大きな社の祭事であろうと、道端の小さな祠に供えられた花ひとつでもそれは変わらぬ。それを上天に届けるのが、巫覡ふげきの役目だ。……このようなことになるまでは、人の世に巫覡ふげきがおったのだが」


 人の世には、信仰心を束ね送る祭事を執り行う巫覡ふげきがいたのだ。――巫覡ふげきの喪失。それがあの飢饉に関係するのではないだろうか、と八重は胸元で拳を握った。


「その、巫覡ふげき様は」


「儂にも、正確に何があったかはわからぬ。いずれ白陽様よりお話があると思うのだが……」


「そうですか……」


「信仰心は我らの力となり、人の世に恵みをもたらす源となる。我らは常にここに在り、深く眠ろうともいずれは目覚める……だがそれでは、人の子はとても保たぬだろうな」


 深き眠りから自然に目覚めるには、時間がかかるのだ。飢饉の兆しから半年。それだけの期間で、八重は困窮した。その後の冬を思えば、どれ程苦しかったろうと胸が締め付けられる。それ以上など、とても保たない。


「巫女殿」


 拳で胸を押さえ俯いた八重に、牛守うしのかみが声を掛ける。


「儂が目覚めたのだ。安心すると良い、『豊穣』こそ我が権能。――さあ」


 牛守うしのかみは大きく腕を広げ、声を張る。


「実りをもたらそうぞ、上天にも、人の世にも! もう食うに困らせたりはせんぞ、穀物も、豆も、野菜もだ!」


「……はい!」


 牛守うしのかみの太く大きな声は、頼もしく、安心を感じさせた。八重は顔を上げて、涙の滲む目を細める。牛守うしのかみはその様子に大きく頷き、小屋を背にした山裾の方を指差す。


「あちら側にもう一段、畑があるのを知っておるか?」


「はい、段畑になっているのは知っておりました。降りたことはないのですが……」


「儂と共に眠っていたであろうからなあ。ともあれあちらも今後は使える。儂は主にあちらで、麦や大豆を育てよう。巫女殿はこちらで米を。こちらの畑は、共に野菜を育てるとしよう」


「かしこまりました」


「米を一人で作らねばならんと気負うことはないぞ。相談にはいつでも乗ろう。それに多少手助けをしたところで問題はない」


 太い声で呵呵と笑う牛守うしのかみは、なんとも頼もしい。今までずっと、聞きかじった知識をより集めてなんとか米を作ってきたのだ。八重は頼る先を得て、笑みを浮かべ頷いた。


「はい! よろしくお願いいたします!」


「うむ」


 それに、と八重は今の話でひとつ気になることを思い付いた。人が供えたものには信仰心が宿り、巫女が奉じることで神の力となる。それならば、毎日の夕餉はどうなのだろうか、と。


「早速ではございますが、ひとつお尋ねしてもよいでしょうか」


「ああ、なんなりと」


「私はいつも、山に入り山菜や魚をとるのですが――」


 牛守うしのかみは八重の話を聞いて、腕を組み力強く頷いた。曰く、家守が調理を請け負うため純粋に『奉納』とならないが、八重が神のために探し、得たものは全て白陽の力になる。八重が直接運ばない朝餉であっても、八重が収穫したものには信仰心が宿っている、と。直接白陽の元に運ばれるのだから、信仰心が白陽に届くのだ。


 八重は牛守うしのかみの言葉を聞き、喜びで胸がいっぱいになった。八重が成したいことは、人の世に恵みを届けること、そして白陽に少しでも良いものをお出しすることだ。


 その全てが、同じ方向を向いている。


「……はい!」


 八重は満面の笑みを浮かべた。日々の頑張りに、更なる意味と希望が宿った気がした。





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