御膳






 翌朝、八重は起きるなり白陽の元へ向かい、歌を奉納した。白陽の姿を見て、声を聞くことでほっと安堵した八重は、田んぼに向かう前に一声かけようと屋敷の玄関を開ける。


「いや、やはり駄目だな。糠床も作り直した方が良さそうだ」


「根付いているもの以外、食物は傷んだと思った方が良いのだろう。しかし参ったな、無事なものは塩くらいだ」


 ふたりは土間に様々なものを並べ、中身を確かめては首を振っている。


「おはようございます。あの、田んぼへ行って参ります」


「おお、八重殿。奉納ご苦労だった」


「丁度良いところに。八重殿、米と藁を分けてはもらえまいか」


「朝夕に、白陽様にお出ししたいのだ。もちろん八重殿の分もお作りする」


「こちらからお出しするものがなく面映おもはゆいが、我らも御相伴させていただきたい」


「もちろんです。すぐにお持ちしますね」


 八重は当然だと頷いた。すぐさま田んぼの小屋に向かい、脱穀していた米を持ってくる。


「有難う八重殿、運んで頂いて申し訳ない。米をつくのはこちらでやろう。藁はどれ程頂けようか?」


「はい、お任せ致します。藁は全てとってあるので、一先ひとまずふた抱え程持ってまいりましょうか」


「俺が取りに行こう」


 家守は米を受け取り、米をつく準備を始めた。井守は八重と共に小屋に向かい、藁を受け取る。藁は火を点けるのにも、肥料や、畑の土を守るのにも、何かを拵えるのにも使える大切な資源だ。八重は小屋の横に作られた屋根の下に藁を全て積み上げていた。


 八重が運ぼうと思えば二往復はしなければいけない量を、井守は一度に抱えてしまう。「助かった」と笑って、井守は藁を持って屋敷に帰っていった。


 時折ナズナと戯れながら、八重は田んぼの世話をして畑の草を引いた。夕暮れ時に屋敷に戻ると、屋敷の煙突からはもうと煙が立っている。竃に火が入ったのだ。


「お帰り、八重殿」


「田仕事ご苦労だった」


 玄関を入ると、井守と家守が八重を出迎えた。


「ただいま戻りました」


「お疲れのところ申し訳ないが、共に来てくれるか?」


 家守は八重にそう声をかけ、井守は足を拭う布を八重に差し出す。八重は足を拭って屋敷に上がり、「かしこまりました」とこたえて家守に付いて行った。家守は膳を持って廊下を進んでいく。


「糠は使わせて頂きたいが、籾殻はお使いになるか?」


「はい、あれば畑に撒こうかと思います」


「灰もお使いになるだろう? 俺も使うが、集めておくので必要があれば言ってくれ」


「ありがとうございます」


 家守は気を使ってか、歩きながら次々と八重に話しかける。八重の部屋からも見えた中庭に沿って歩き、突き当たった襖の前で家守は足を止めた。


「さあ、ここだ。八重殿がお出ししてくれ」


 家守は八重に膳を差し出し、にっこりと笑う。膳の上には椀にこんもりと盛られた白飯と、小皿に少しの塩、湯呑みに入った水が乗せられていた。


「は、はい!」


 八重は膳を受け取って勢いよく返事をする。この膳はきっと、白陽にお出しするものなのだろう。家守は八重に膳を渡すと、「お任せした」と言って来た道を戻っていった。


 八重は膳を床に置き、膝をついて「失礼致します」と声をかけてそっと襖を開けた。襖を開けた先は、丁度いつも八重が寝ていた辺りの場所だった。白陽の御座所だ。


「ああ、来たね、八重」


 毎夜見ていた白陽の後ろ姿が見える。八重はその姿に、何故か泣きたくなる程の安堵を覚えた。


 部屋に入り、襖を閉める。白陽の真前に膳を置き、八重は手をついて頭を下げた。


「御膳をお持ちしました」


「有難う、八重」


 八重は膳を置いてそのまま下がろうとしたが、白陽はそんな八重を呼び止めた。


「待ちなさい、八重。椀が空になるまで、八重の話を聞かせておくれ」


「は……はい!」


 八重は頬を赤らめて返事をする。よく見れば、椀の中の白飯は少しずつ光の粒となって空に溶けていた。


 椀の中身が空になるまで、八重は白陽と、今日は何をしたか、ナズナがどうしていたかと語らった。白陽は穏やかに相槌をうって、楽しげに八重の話を聞いてくれる。それは、今まで寝るまでの時間にあった、安らぎのひとときだった。


(寂しいと、思ってしまったことを)


 気付かれてしまったのだろうか。気を使わせてしまったのだろうか。昨夜は気付かなかったが、八重の部屋も、中庭を挟んで白陽の御座所のすぐ近くに用意してくれていたのだ。


 気を使わせてしまったのなら、それはとても畏れ多く申し訳ないことだ、と八重は思う。それでも、白陽の、井守と家守の心遣いが、八重はとても温かくうれしかった。ナズナもくるくると舞ってよろこんでいる。


 空になった椀を乗せた膳を持ち、白陽の御前を辞して土間に向かった。その足取りは軽く、弾むようだった。





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