蛇守の薬






「恐ろしいかえ?」


 目をぱちくりと瞬かせ白蛇と見つめ合う八重に、蛇守みのかみは声を掛ける。


「いえ」


 白蛇はちろちろと舌を出す。八重はぱちぱちと瞬きしながら、白蛇を見つめこたえる。


「毒があれば恐ろしく思いますが、頭の形がすんなりとしていますし、ええと、里でもよく見かけました。蛇は骨は多いのですが味はよく……あっいえっ! あの決して食べようとは!」


 驚いたまま、あまりものを考えず言葉を口に出していた八重は、失言に気付いてうろたえる。白蛇は鎌首をかしげ、つぶらな瞳で八重を見つめていた。


「白蛇は神の御使いと聞いておりますし! 害されると怯えたりはその、全く、ええと」


「アッハァ!」


 慌てふためく八重に、蛇守みのかみはたまらないと言ったように甲高い笑い声を上げた。口元に手をやり、くつくつと喉を鳴らす。


「怖がらせてしまったかと思うたが、巫女殿は存外たくましいの。白露、徳利を持っておいで」


『白露』と呼ばれた白蛇は、器用に徳利に体を巻き付けて、蛇守みのかみの元へと徳利を運んでいく。蛇守みのかみはそれを受け取って、堪らぬとばかりに満面の笑みを浮かべた。


 こん、と音を立てて煙草盆の灰皿に灰を落とし、蛇守みのかみ煙管きせるから手を離す。泳ぐように動かされた手には、いつの間にか朱塗りの大盃が持たれていた。


 蛇守みのかみは手酌で大盃に酒を注ぎ、にんまりと舌舐めずりをしてから天を仰ぐように一気に酒をあおった。反らされた白い喉が上下する。ほう、と漏らされた吐息はなんとも艶めかしく、満足気だった。


「これはまた、一段と善い酒よ。そなたの真心が宿っておるからかのう」


 蛇守みのかみはそう言って笑うなりまた酒を注いだ。ぐいと呑み干し、また酒を注ぐ。八重は本当にお酒がお好きでいらっしゃるのだなと目を丸くして、おずおずと声を掛ける。


「その、井守さんより言付ことづかっておりまして……」


「言うてみよ」


「まだ量が作れぬゆえ加減してお呑みいただくように、と……」


 蛇守みのかみは八重の言葉にぴたりと手を止め、まじまじと八重を見つめた。


「……難儀なことを言うものよ。これほど美味い酒を、呑み干さずにいられようものか。巫女殿、早う次を持ってくるようにと井守を急かしておいておくれ」


 ふふ、と笑いながら、蛇守みのかみはまた酒を注ぐ。矢継ぎ早に干されていく盃に、八重は自分がここにいる間にあの大きな徳利が空になるのではないか、と思った。空の徳利を抱えて屋敷に帰り、井守に『早う次』と伝えるのだ。


 井守は絶句するだろう。想像するとなんだか可笑しくなって、八重はくすくすと笑い声を漏らす。蛇守みのかみはそれを見て、また満足気ににんまりと笑った。


「善い酒に、愛らしい御相手。まことに良いの。――そうよの、使いの駄賃をやろう。こちらへおいで」


 蛇守みのかみは大盃を置いて、袂に手をいれる。取り出されたのは巾着状に口を絞った、小さな紙包みだ。


 八重は差し出された紙包みを受け取って、何だろう、と首を傾げた。


「『病気平癒』こそ我が権能。我が作り、白陽様に納めるのは全て『薬』よ。さあ、食うてみよ」


「お薬を、今いただいてよいのですか?」


「構わぬ構わぬ。薬は砂糖、それは砂糖を溶かして煮詰め固めたべっ甲飴。薬と呼んでも薬効があるわけでなく、力の源となる甘い甘い砂糖菓子じゃ」


 甘い菓子、と呟きながら、八重は紙包みの口を開いた。中にはころりと丸い、蜜色の固まりがいくつも入っていた。八重はそれを一粒摘み、口の中に入れる。


「まあ……!」


 ころころと頬を転がる飴玉は、じんわりと甘く溶ける。八重は目尻を下げて微笑んだ。


「なんともおいしいお薬ですねえ」


「そうであろ」


 蛇守みのかみは満足そうに笑みを浮かべ、また大盃を傾けた。ほう……と艶めいた吐息を零して言葉を続ける。


「蔵にあった砂糖は灰と消えてしまったが、今も童子たちに作らせておる。屋敷の奥で竹糖を育てておっての。帰りに砂糖を持たせるゆえ、井守と家守にやっておくれ」


「ありがとうございます」


 美味しいものが増えると、家守はとても喜ぶだろう。『良いもの』とは砂糖のことだったのか、と八重は得心して微笑んだ。


「それにしても」


 蛇守みのかみは、はあと憂鬱そうなため息をついて脇息に肘をつき、大盃を傾けながら八重に話しかける。


「人の子のためとはいえ、目覚めたのは男神ばかりではないか。むさ苦しくてかなわぬ」


 ああ嫌だ、と手を振りながらそう零し、蛇守みのかみは優しい目付きで八重を見つめた。


「何ぞ困ったことがあれば、ここを訪ねてくると良い。いつでも歓迎しよう」


「はい!」


「うむうむ」


 暫く歓談して、ではそろそろ、と蛇守みのかみの御前を辞した。徳利は空にはならなかったが、あの酒豪ぶりでは早晩酒が尽きることだろう。八重は徳利の代わりに砂糖の入った包みを持たせてもらい、童子に見送られて蛇守みのかみの屋敷を退出した。


 歩き出そうとして、八重はふと玄関を振り返った。蛇守みのかみの言葉を思い出しながら、ああ、そうか、と八重が使いに出された理由が腑に落ちる。


 家守はきっと、男所帯では言い出しにくいこともあろうかと、蛇守みのかみと顔をつなぐ機会を設けてくれたのだ。


(皆、なんてお優しい)


 八重は口の中でころりと飴を転がし、町を歩き始めた。甘い甘い飴が溶けてゆく。八重は夕暮れに長く伸びる影を連れて、足取り軽く屋敷へと帰っていった。





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