秋の山
田植えを終えて稲が青々と育った頃、八重はナズナと共に山へ行こうと、屋敷の裏手にある山路に向かった。
「巫女殿」
山へ入ろうとしたそのときに、突然上から声が降ってきた。どこから声が、と辺りを見回す八重の前に、木の上から音も立てずに男神が降り立つ。姿を現したのは、
「山へ行くのか?」
「はい。ナズナちゃんと、山菜を採りに行くのです」
「そうか。俺も今から山へ行くのだが、良ければ共にゆくか? 秋の実りが採れる場所に案内しよう」
「まあ、よろしいのですか?」
「ああ。ついてくると良い」
普段は入らない方向へ歩いて進む。険しく道なき道を歩けば、ちらちらと何度も後ろを確かめる
「巫女殿は」
またふり返った
「山路を歩き慣れているのだな。誘ったはものの、置き去りにしてしまうのではないかと後から気付いたのだ」
「ええ、はい」
立ち止まった
「私は山で育ったのです。幼い頃からずっと山を歩いておりました。それに、たくさんの御加護を頂きました。お陰様で近頃は疲れることもないのです」
「山で? 町や都に住んだことはないのか?」
「はい。山中の、小さな里で育ちました」
ふうん、と
「まだ少し歩く。歩きがてら、どんな処で育ったのか聞かせてくれ」
「はい!」
八重は喜んで返事をし、揃って歩き始めた。ぽつりぽつりと、だが途絶えることなく言葉を交わす。八重は顔を綻ばせて、御山はどんなに美しく実り豊かであったか、里の皆はどんなに勤勉で優しかったかを語り続けた。子どもたちと里を駆けたこと、一緒に蛇や蛙を捕まえて、歌を歌ったこと。山を歩いて山菜を採ったこと、どんぐりを拾って、駒を作って遊んだこと。塩を炊く男衆。飯を炊く女衆。田んぼや畑、里の風景……まだ一年しか経っていないのに、とても懐かしく、遠く感じられた。――そして、あの飢饉が。
「……そうか」
八重の話に楽しげに相槌を打っていた
「それは心配なことだな。その里には、親や兄弟もいるのだろう?」
「ああ、いえ、その……」
八重は少し言い淀んで、手をさすった。
「生みの親はいないのです。いえ、どこかにはいるのかもしれませんが、赤子の頃に、どこからか里に連れてこられたのだ、と聞いております」
「そうなのか?」
「はい。そのまま里長が、
どこか心配そうに八重の手に乗るナズナに笑みを浮かべ、八重は空を見上げる。
「私は、里の皆から多くのものを貰いました。だから、血の繋がりはなくとも、親は
「ならば、皆を守らねばならぬな」
「大丈夫だ、そなたの想いは届く。俺が、目覚めた皆が、守ってやろう。――さあ、この辺りだ」
力強い
「まあ、いつの間に……!」
「術がかかっているからな。俺は狩りをしてくるから、この辺りで何か採っているといい。余程遠くへ行かない限り見つけられるが、危ない所には近寄るなよ」
「はい!」
八重の素直な返事に、よし、と返し、
「いぬ、い、
ピンと立った耳に、黒い体毛。眉に丸く二つと、口吻部や胸の辺り、手足の先は足袋を履いたような白。くるりと丸まった尻尾を持つ黒い柴犬だ。
「狩りはこの姿の方がやりやすい」
黒柴は
「待て待て待て」
余り遠くへ行かないよう気をつけながら背負籠に色々なものを入れていると、
「巫女殿、どこに登っているんだ」
「その、
木の上で
「ははっ巫女殿は存外お転婆だな」
「袴は着物よりも、木に登りやすかったです……」
照れくさそうにする八重の周りをナズナが回る。
「さあ、そろそろ戻ろう」
山では栗やむかご、たくさんの茸を見つけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます