好きなもの
田植えを終え、稲はすくすくと育ち始めた。八重は大きな徳利を抱えて、ナズナと共に町を歩いている。
「ごめんください」
「まあ巫女様、ようこそおいで下さいました」
「御神酒をお届けに参りました」
「まあまあそれは、有難う存じます。ささどうぞお上がりくださいませ」
童子に歓迎され、八重は屋敷に上がる。そのまま先導されて奥へと向かった。
「本日は
「まあ、では私はこのままお暇いたします」
足を止めて、御神酒を預けて帰ろうと徳利を差し出す八重に、童子は振り返って笑顔を見せた。
「いいえいいえ、巫女様を帰らせたとあってはわたくしが主様に叱られてしまいます。さあどうぞ主様のお処へ」
「よろしいのでしょうか」
「ええ、ええ。
童子が叱られるとあっては帰るわけにもいかない。八重はおずおずと童子について歩き、
「失礼いたします」
「八重ちゃん!」
御座所の奥の高座には
「
八重ちゃん、という懐かしい響きに面映くもじもじとしながら、八重は御座所に入ってすぐの場所に座り手をついた。
「よかったね、みーちゃん」
「ほんに待ちわびておったぞ。ささ巫女殿、もっと近う、こちらへ」
「はい」
八重は徳利を持って
「そなたも呑むかえ?」
「いいよう。私はみーちゃんの呑みっぷりを見てるから」
「私はね、みーちゃんにお砂糖を貰いに来たの。お菓子を作るんだよ! 小豆がないから作れるものは限られるんだけどね……」
今作れるのは干菓子くらいかなあ、と
「早う饅頭が食べたいものじゃ」
「みーちゃんお饅頭をおつまみにしてお酒飲むもんね……ね、八重ちゃんはどんなお菓子が好き?」
「は、はい、その」
八重はとっさに答えられず、下を向いて頬を赤らめる。
「呼び方馴れ馴れしかった!? ごめんね、ちゃんと『巫女殿』って呼ぶね!」
「いえ、いえ、その、人の世で暮らしていた頃に、そう呼ばれることが多かったのです。だから嬉しいような、懐かしいような気がいたしまして……」
八重は両手を振り、下を向いたままはにかんだ笑顔を浮かべる。
「よかったあ。八重ちゃんって呼ぶね!」
「はい、ありがとうございます」
「私のことも、『うーちゃん』って呼んでくれていいよ!」
「それは、その、畏れ多く」
いっそう顔を赤らめて身を小さくする八重に、
「砂糖の菓子は、べっ甲飴以外知らないのです。以前
「それは良かった。帰りにまた持たせてやろう」
神酒の礼じゃ、と
「じゃあ、色々作って白陽様の処にお届けするね。まだ材料が足りないけど、八重ちゃんも食べてね!」
「はい、とてもたのしみです」
八重と
「みーちゃんがお薬で私がお菓子なんだけど、ひーちゃんは反物を作るのが上手なんだよ。八重ちゃんにお礼に着物を贈りたいって言ってた」
楽しみだねえ、と
「着物は……」
「その着物、大事だった?」
八重はこくりと頷いて、衿をそっと撫でる。
「成すべきことを遂げるまで、この着物を身に着けていたいのです。勝手な言い分でお申し出を断るなど、申し訳ない限りなのですが……」
「じゃあ、こうやってお出かけするときに着る羽織を作ってもらおうよ!」
ね、それがいいよ、と
「どんな柄にする? やっぱりお花かな、八重ちゃんは何のお花が好き?」
「花は、どれも美しいと思います。ですが、そうですね……」
八重はほっとした笑みを浮かべ、好きな花を答えようと思案する。椿も、桜も、野に咲く小花も。どれもとても美しく可愛らしい。――でも今は。
「梅が見たいなと、そう思います」
雪の中に咲く花々よりも、春に満開になる花々よりも。雪解け時期に春の訪れを知らせる、そんな梅の花が。
「梅かあ、いいねいいね! ひーちゃんに伝えておくから、任せて!」
「はい、よろしくお願いいたします」
八重は笑みこぼれて、
屋敷に戻ったら井守と家守に小豆とは何かを教わって、それから
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