第42話 企画で楽しめること
おはよ。昨日は寝落ちしてしまった。
さて、現在企画進行中なわけだけれど、Twitterで行っていた時とカクヨムは何が違うのか?
まだ小説系は初めてなので何とも言えないけれど、Twitterっていうのは企画をしても最終的に常連しか来ない。それってあまり新しさはないんだよね。
何故かというと、新しさは物語そのものというよりも作風にあるから。
なのでいろんな人の作品を読むこと自体は気分転換や刺激になると思う。
それに自分が書いたことのないジャンルの作品をたくさん読むと、ジャンル自体の勉強にもなるしね。
同じ人の作品を好んで読むというのは、この人の作品なら間違いないという心理もあると思う。ゲームを買う時にメーカーで選ぶようにね。
この場合の俺の仲良くしてくれている人の作品にしか行かないというのは、「この人ならラストまで書くだろう」や「やめることは無いだろう」という曖昧ながらも信頼できる部分があるからなんだよね。
いくら時間を使ってレビューを書いたとしても、すぐに消す人はいるし簡単にやめる人もいるので。それにうんざりしているの。
近い将来やめられるものなら、企画に参加すんなしって思うんだよ。
時間は命と同等。他人の命を削ろうとするなら、その覚悟くらいは決めろと言いたい。他人の命を粗末にしているからプロになれないんだよ。俺はそう思う。
みんなだって「辛いな、あまり読まれないな」と苦悩することがあっても、好きだから続けているわけでしょ?
だから承認欲求のためだけに書いている奴は信用できない。
閑話休題
未だに定義を見てもいまいち理解できないのが純文学。
純とは:まじりけがない。ありのままで、いつわりや飾りがない。
(Google検索引用)
文学とは:1.言語によって表現される芸術作品。文芸。
2.文芸を研究する学問。
文学小説というのを検索すると、「作者の主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品」それは小説に限らず。
純文学:娯楽性ではなく、文章力や表現力などの芸術性を重視する小説
ほらもう、全然分からないよねw
文学小説との違いは、なんなの。
これは純文学だなという作品はわかる。でもそれって純文学なの? と思う小説も分かるんだけれど、純文学が何かと言われたらなんだか分からないんだよね。
自分の中で文学と純文学の違いが明確に定義できたら説明ができるようになるのだとは思う。
ライトノベルと一般小説の違いは分かる。
ライトノベルは一般小説と漫画の間かなと思っている。ライトノベルで抜くのは地の文の中でも心情な気がするのね。
なので心情ガッツリみたいな物語が好きな自分としてはあまりライトノベルを好んで読もうとはしない。ただし、ライトノベルがアニメにしやすい理由もそこにある気はしている。
とは言え、自分はまだまだ勉強中の身なので分からないことだらけなんだけどね。
いろいろと研究系のエッセイも途中だし。
さて今日も頑張ろう。
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