第14話 日本語は表現の豊かな言語

 ここでは話したことあるか忘れたが、日本語とは思い遣りでできている。

 言語を文字にする時、初めに使われたのは漢字である。その後、女性や子供も読めるようにと平仮名が出来た。

 そしてカタカナは外来のものに使うように出来て、外国人が日本語を読めるようにとローマ字が出来た。


 全て思い遣りでできていて、それは日本人が他の国に合わせろという姿勢ではなく、自分たちが適応しようとした歴史の上に成り立っているとも考えられる。

 しかしローマ字が出来たからか俺たちはローマ字英語というものにも慣れてしまっている。

 これはローマ字を英語読みする外国人がいるのと同じ現象。だから一層難しい言語とされているのかもしれない。

 だが俺たちはそれを瞬時に見分けるという芸当ができるわけだ。だからそれの何が難しいの? と思ってしまうのが日本人。

 

 昨日見た動画では「日」という読み方や「生」という読み方には複数の読み方があり、日本人はすんなり読み分けして意味を理解できるということを話していた。外国人からするとそれは難しいというのだが……。


 俺からすると、以前も言ったが「love」に関して言えば「あなたに恋している」も「あなたを愛している」も同じ「I Love u」ですよ。全然意味違うのに。


 ちなみに「はにをが」に関して。

 話をする時と文として起こす時はまったく違う。しかし俺たちは文字に起こす時にはちゃんと「はにをが」を活用することが出来る。


 これに関しても……

「俺、今から野球上行くから」

 という言い方はしたとしても

「俺(この場合は俺ではなく、私もしくは自分になるはず)は今から野球場に向かいます」

 と口頭で説明するのは目上の人に対してのみだと思う。


 ここで物書きの皆さんなら、あることにも気づいたと思う。

 会話文を書く時、言い方一つで主人公と相手の立場の違いを表現することが出来る言語でもあるということに。

 以前も言ったが、日本語はテキスト向きの言語。

 話す時には「相手と自分」という暗黙の了解があるので主語をいちいち言わなくても伝わるし、いちいち主語を入れると「うざっ」と感じる言語なのだ。


 だからこそ、正しい字下げの活用と空行の活用が必要なのね。それは主語を抜くためなのよ。ここからここまでは「○○」について話していますというのを示すのが正しい空行の置き方。だからやたら空行を使う人の文章は理解し辛いの。空行を多用するということは、全てに主語を付けなければならないということを示している。

 とは言え俺は「、」の置き方が下手ですがねw


 「、」は平仮名が続く時などに読みやすさのために入れたり、長い文になる時に理解しやすくするために入れる。そして全ての文が短いと理解し辛く、読みづらくなる。詩には句読点を使わないのは、好きなように解釈できるようにするため。

 あれは正しく伝えるのが目的ではなく「感じてもらう」ことに重きを置いていたり、リズムなどを大切にし芸術性を高めているから。


 ニュアンスを大切にする日本語。色鉛筆で例えれば、英語は主要12色や24色かもしれないが、それに対して日本語は3桁あるの色とりどりの色鉛筆に例えることが出来るだろう。

 自分の気持ちに近い言葉を選び、正しく状況を説明することも可能。しかしそれだけのことをしても人は経験や普段の自分の言語の使い方、イメージや知識などによって自分の書いた物語を他人の脳内に「正しく」再生することは不可能。

 

 言葉とは共通認識を産むためのツールでしかない。

 つまり何を読んでも自分の知識こそが想像の限界値となるはず。

 これは何かを見て○○と似ていると感じるか、まったく別のものを想像するか、その幅にも影響するのね。


 だからこそ完全コピーの盗作以外は、読む人によって「パクリと言われてしまうものに対しての白黒」に差が出る。

 俺がそんなことを個人が精査したところで何の意味もないというのには、それがあるからなんだよ。

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