第78話 それはしがちだが、やめた方が良いこと

 これは恐らく、生きている中で全ての事柄に言えることだと思うのだけれど。

 自分の人生の主人公は自分。だから自分で道を決め、自分が後悔しない人生を生きたら良いと思う。

 でもね。全ての人がそうであることを忘れてはいけないと思うの。


 何が言いたいのかというと、他人が自分に常に「何かをしてくれて当たり前」と思ってはいけないということ。誰にもそんな義務はない。親ならまだしも。

 じゃあそれは具体的に何かというと、他人が「常識的であって当たり前だ」と思ってはいけない。


 これを読んでいるあなたは、そんなこと思わないと思うかもしれない。

 でも本当にそう?


 例えばカクヨムには企画がある。Twitterでも読みます企画をしている人がいたりする。しかし実際に読まれることは少ないと聞く。特にTwitterではね。

 俺はそれを知って非常にびっくりしたの。

 じゃあ、何のために「企画をします」と言っているのか。俺にはそれが不思議でしかたなかった。


 俺は先週までカクヨムで自主企画をしている。

 参加本数は189くらいだったかな?

 参加人数は116名(内中途抜け5)

 読んだ本数は131本。感想の本数は記録していない。

 これがTwitterの企画だったら全部の作品に感想を述べたと思う。カクヨムは確約はダメ。でも書くのは自由だろう。書いてないんだけどさ。

 

 だが俺みたいに、企画をしたら読むのが当然ではないんだよね。

 企画はあるが読む気のない人たちは何のために企画を開催しているのか? その大部分は「自分が読まれたいだけ」なのかもしれない。

 もちろん、本棚企画というのは良心的だと感じる。読まないと分かっているわけだからw


 ここでの当たり前と思いがちなのは「読みます企画なら読まれて当たり前」だと思ってしまうことなんだよね。

 同じように感想企画があったとするよね?

 そうすると人は「感想が書かれて当たり前」と思い込んでしまうかもしれない。けれどもそれは相手次第なんだよ。どんなに期待しても相手が存在するものだから。

 そこまでは、期待したけれど相手は期待に応えてくれなかったということになる。これでもがっかりはするだろうが、問題はそこではない。


 感想欄というのは、常識的な人なら「感想を書くところ」だという認識があるはずだ。少なくとも誹謗中傷する場所ではないと思うだろう。

 でも実際は【指摘や誤字脱字報告、連絡のみ、私のも読んでください】などザラにある。作品貶しだってその辺で見かけるものだ。


 つまり期待には必ずギャップが存在する。それが現実なの。

 政治家だって不祥事ばかり起こしているんだから、一般人がまともなヤツばかりなわけない。


 だからよく知らない他人を善人だと思ってしまうのは、やめた方が良いと思うのである。

 纏まらないけど、伝わったかな?

 伝わっていると良いけど。


  **


 企画の方は「第二回」を開催予定です。時期は決めてないけれど。

 スタイルは「物語形式で完結のみ」で行こうと思います。

 特殊な設定として、前回感想未記入作品での再参加OKにしようと思っている。ちょっと面白いスタイルでしょ?

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