第51話
「昇、どうしたの? 手に力が入り過ぎていて痛いよ」
静音の声で昇はふと我に返る。嫌な汗、冷や汗、脂汗でじっとりと湿った肌着が皮膚に張りついて気持ち悪い。彼は布団の上に仰向けになり、同じく隣で寝そべっている静音と片手をつないだ状態で休んでいた。
「寂しいのはわかるけど、私の手を怪力で握りつぶすのだけは勘弁してね」
冗談めかして言う静音に、ごめん、昔の嫌なことを思い出していて、と深刻な答えを返すことがはばかれた昇は、彼女に合わせておどけた返事をしてみる。
「怪力って…しーちゃんほどでは…痛っ!」
ここで静音に手を握り返されたので、昇がわざと大げさに痛がってみせると、やだ、そんなに強く握ってないでしょと静音が笑う。このように、静音とくだらないやり取りを繰り返し、ふざけ合っている時間が、昇にとっては一番楽しい時間だった。
しかし楽しい時間は、そう長くは続かない。昇の知らないうちに、つないだ手を離していた静音は、仰向けから寝返りを打ってこちらの正面に向き直っていたが、その顔は、すでに笑顔ではなく、昨晩と同じ憂鬱な表情を浮かべていた。
「やっぱり、これ以上のことは無理かな」
そう言って、すこしためらってから、彼女は昇の頬を、両の手の平で優しく包んだ。その柔らかな人差し指が自分の荒れた唇の上をなぞったとき、昇は何とも形容しがたい違和感に襲われ、思わず静音の手を払いのけた。静音は悲しそうな顔をしたが、昇が謝ろうとすると、私は別にいいのと言って、首を横に振って止めた。昇は違和感の残る唇を指でさすりながら、気にかかっていたことを遠慮がちに訊いてみる。
「しーちゃんは子どもが欲しいんだっけ」
昇はあくまで真面目に尋ねたつもりだったが、静音はその率直な言い方がおかしかったのだろう、顔を真っ赤にして噴き出した。
「ちょっと、急に神妙な面持ちになったと思ったら…それを訊くにしても、そんな生々しいド直球な訊き方する? まあ、確かにその通りではあるんだけど、まだ結婚の手続きはしてないし、どちらかというと昇…いや、何でもない。とにかく、この手のことは嫌がっている側の気持ちを優先するべきだし、こっちのわがままに応えられなかったからって、昇が引け目を感じる必要なんて、全然ないんだよ」
そう言われるとかえって変な気持ちが起こってきて、昇は静音のパジャマの第一ボタンに指をかけたが、すぐに恐ろしくなって手を引っ込めた。やはり、自分だけは、こんなことをしてはいけない。自分も、静音も、お互いにひどく傷ついて終わるだけだ。
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