第9話
静音は昇の顔を見た。よく見知った四角い輪郭は、以前にもまして肉が落ちて鋭くなり、肌の表面は痛々しく乾燥して、ところどころ粉を吹いていた。普段剃り残しのないあごに無精ひげが伸び始めていることからも、静音には昇が心身ともに不調であることがわかった。眼鏡の奥の、細く小さな目は、相変わらず何の感情も有していないように見えたが、静音の視線を避けるように伏し目がちになっていた。
昇は視線をテーブルの天板に向けたまま、節くれだった指を画面の上で遠慮がちに動かす。
《初めは、そんなつもりは少しもなかった》
《施設にいたときみたいに、兄妹のように、仲良く暮らせたらと思っていた》
静音は自分が施設にいた頃のことを思い出した。確かにあの場所では、出身地も年齢もばらばらで、血のつながりも全くない子どもたちが、お互いに助け合いながら、また時に衝突しつつも、それなりに仲良く楽しく暮らしていた。そのとき静音の暮らしていた寮の最年長が昇で、入所したばかりで不安いっぱいの静音のために歓迎パーティを企画したり、施設の卓球大会に誘ってくれたりと、色々気配りをしてくれたのだったが、今思えばあの時の昇は最年長18歳の「お兄さん」だという理由でかなり無理をしていたように思う。
少し対人恐怖のある彼は、本当は内気なのにもかかわらず、「いい子」にしていないと職員から敵意を持たれるのではないかという強迫観念から、彼らの期待に応えて社交的なふりをし、他の小さな子たち(中には静音のような中学生も混ざっていたけれど)の面倒をよくみていた。そこで昇が積極的にかかわってくれたからこそ、今の2人の親密さがあるのだが、一方で退所後すぐに昇の声が出づらくなったのは、その時の長年の無理がたたったせいなのではないかと静音は疑い、心配していた。
昇の話が続く。
《だけど、本当に一緒に住んでみたら変わってきてしまって…昨日のことで、もう今まで通りにはいかないのだとわかった》
そこで昇は一旦スマホをポケットにしまい、ウィンドブレーカーの左の袖をまくって、青白い手首を静音に見せる。そこには今朝ちらりと見えたような気がした2本の赤い筋が、少しの腫れを伴って確かに存在していた。
《それで、昨日もまた少し切ってしまって…私が保護されるまでのこと、柿沢さんには話したかな》
静音は首を横に振る。たぶんつらい思い出なのだろうし、話したくないなら無理に話さなくてもいいよ。そう言おうと思ったのに、緊張のせいか言葉がスムーズに出てこなかった。
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