第43話

「えっと、その子嵐士君っていうんだっけ…。生きている理由がわからない、か。よくわかるなぁ、その気持ち」


 オレンジの看板のチェーン店でテイクアウトした牛丼を頬張りながら、静音が言う。


「事情も知らないのに一般論でくくるのもどうかとは思うけど、あのくらいの頃は、私も死ぬことばっかり考えてたもん」


 今のパワフルな姿からは想像できないでしょうけれど、と彼女は自分で言って不敵に笑う。昇は、いやいや、知ってるよと慣れない「ツッコミ」をしてみた。世間一般の常識からいえば、たぶん、ここは笑ったり茶化したりすべきところではないのだろうけど、静音が重く受け止められることを望んでいないのは、なんとなく旧友の勘でわかった。昇の読みは当たっていたらしく、珍しくノリがいいねと静音は微笑んだ。


「ああ嫌だ、昇とはちょうど本格的に病み始めたころからの付き合いだから、とっくにばれてるか。全部面倒くさくて、昇が貸してくれたDSのゲームくらいしかやる気がしなかったな」


 静音はここで一旦言葉を切り、青い琉球グラスのコップで麦茶を呷る。このコップは昇が高校の修学旅行の体験学習で作り、児童養護施設退所時に静音にプレゼントしたもので、雑貨好きの静音の、一番のお気に入りの品だった。今以上に鈍感だった当時の昇は、受け取った時の静音の嬉しそうな様子を見て、サンリオとかムーミンとかファンシー系が好きな子なのに、渋めの「伝統工芸品」でもこんなに喜んでくれるんだと、自分で贈っておきながら不思議に思っていた。さすがに今では、あの時の、彼女の満足の理由も、何となく察しがつくようになったが、直接本人に確かめたわけではないので、本当のところはわからない。


 ふいに静音が立ち上がる。


「そうだ、ちょうど知り合いからもらったクッキーがあるから、帰る時に昇から渡しておいてあげてよ。会ったこともない知らないおばさんからだって聞いたら、ちょっと戸惑うかもしれないけど」


 静音から差し出されたクッキーの箱を受け取りながら、昇は20代半ばならまだおばさんじゃないでしょと苦笑した。それなら30を何年か過ぎた自分はなかなかの年寄りということになる。


 しかし昇のフォローもむなしく、静音は大げさに首を横にぶんぶんと振った。


「半ばじゃないよ。27だから、20代後半。中学生男子から見たら、きっと、アラサー女子は「女子」じゃなくておばさんだよ。あーあ、年は取りたくないね~」

 

 静音が予想以上に年齢を気にしているのを知り、昇の頭にはある懸念が浮かんだ。こんなことを訊いたら失礼かとは思ったが、重要なことなので思い切って尋ねてみる。


「柿沢さん、そろそろ身を固めたいと思ってる?」


 少し間を置いて、視線を下の方に落としながら、静音が答える。


「まあ、一応は」


 ずっと前から静音の気持ちを知っていて、残酷だと思いながらも、昇は自分の思いの丈を伝えることにした。自分のせいで、彼女の人生の歯車を狂わせることは、どうしても避けたかったのだ。


「もう6年も待ってくれたんだし、治る見込みのない私のことなんて、いい加減に見限ったっていいんだよ」


 静音は昇を鋭い目でにらみつける。


「そういう卑屈な言い方はやめてほしいって言ったよね。昇が私のことを嫌いになったってことなら、潔く身を引くつもりだけど、違うなら十何年でも何十年でも、自分の責任でまとわりつくよ」


 ここまで言うと、彼女は険しくなっていた表情をふっと緩める。


「もちろん、昇の決心がつく前に私が飽きて、他の男に走るってケースも考えられなくはないけど。ご決断は、計画的に」


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