第42話

「昇、久しぶり」


 面会時の待ち合わせ場所となっている、デイサービスの個別活動室1に現れた、友人の柿沢静音は、髪を鮮やかな緑色に染めていた。昇が随分と攻めた色にしたねと驚いていると、いや、何だか煮詰まっちゃったから、気分を変えたくてと、生真面目な女友達は恥ずかしそうに笑った。


 福祉系の高校を卒業した後、昇と同居し、高齢者向けの通所施設で働いていた静音は、昇の精神科への入院を機に、この先、働けなくなった昇を養うのは自分なのだと一念発起して、賃金の低い福祉業界からの転職を決意した。現在は職業訓練校で学んだプログラミング技術を活かし、IT企業でシステムエンジニアとして活躍している。もう入社してから5年が経つというし、心の不調で仕事の長く続かなかった昇としては、色々な意味で恐れ入ってしまう。


「いや、ホント、大したことないんだよ。お客さんとの折衝とか、技術的なこととか、他のスタッフへの指示出しとか、色々あるけど、ホントにどれも全然うまくやれてないんだから」


 昇が素直に敬意を口にすると、真面目な友人はやはりひどく謙遜した。


「今、運転してる車だって、中古を安く譲ってもらっただけで、自分のお金で買ったって言えるものじゃないし。逆にこっちが委縮しちゃうから、昇はあまり小さくならないで。働いているか働いていないかの差なんて、割と運で決まる部分も多いんだからさ。働かざる者食うべからずなんて、誰が言ったか知らないけど、マジでくそくらえだよ」


 静音のあまりに率直な物言いに、昇は思わず吹き出してしまった。この友人は、普段は控えめかつ謙虚な性格で、他人を悪く言うことは滅多にないのだが、昇が卑屈な態度をとったときなど、苛立ちが高まってくると、真面目で嘘のつけない性質のためか、時になかなかの毒舌ぶりを発揮する。


 また鬼のしーちゃんが出たねと昇は軽口を叩いたが、運転席の静音はそれをハイハイと軽く受け流し、彼女のアパートのある地域へと向かう、上り坂の方へとハンドルを切った。


「お昼、どうする? 外で食べる? それともお弁当買って家で食べる?」


 昇は間髪入れずに、お弁当でお願いしますと答えた。前の席に座る友人の背中は、以前よりやせたように見える。


「そうだよね。昇は外食できない人だったよね。それだったら、今の精神障害のデイサービスでみんなとお昼食べるのもきついんじゃない?」


 まあ、音は気になるけど、学校時代の給食や、ファミレスほどじゃないよ、みんな気心知れてるし、という昇の返答に、静音はまだ安心できないらしく、嫌だったら担当の人にちゃんと言うんだよと、バックミラー越しに念を押した。まるで、幼稚園か保育園かに通う、恥ずかしがり屋の我が子を諭す母親のようだった。


 これではどちらが年上だか分からないなと昇は苦笑する。5歳という歳の差は、子どもの時は大きくても、大人になったらそれほどでもないようで、むしろ個人差の方が大きいようだった。そのことを静音に伝えると、顔はどう見ても実年齢の通り、私の方が若いから大丈夫だよと、またさらりとかわされる。もうムキにならないんだねと昇がつまらなそうに言うと、そりゃそうだよ、私も昇さんのおかげですっかり大人になったからねと、今度は静音が愉快そうに笑った。笑った時だけ、昔の幼い静音の面影が見えた気がして、昇は少しだけ安心した。


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