第3章 昇の話

第41話

「昇さん、どうして人は生きなくてはいけないのでしょうか」


 突然の投げかけられた重い問いに、皿を洗っていた昇はハッと顔を上げる。時刻は土曜の夜7時。彼の暮らすグループホームでは、夕食を終えて食後の片づけをしたり、テレビを見たりして住民各自が思い思いに過ごす時間だった。普段ならぼんやりとテレビを眺めている同居人の国上嵐士が、今日は昇が皿洗いをしているキッチンカウンターの前、流しの正面に立ち、深刻な表情でこちらを見つめている。どうして、いきなりそんなことを言い出すのだろうかと昇が怪訝に思っていると、同居人の少年は次のように言葉を続けた。


「生きていても、特に俺なんか、ろくな人間になるはずもないのに。もし将来人殺しになるとしても、生きていかなくてはならないのでしょうか」


 相手の奇想天外な発言に、昇は一瞬戸惑い、冗談を言っているのではないかと思ったが、やはり目の前の少年の顔は真剣そのもので、とてもふざけているようには見えなかった。


「何でって、それは生まれてきちゃったんだから仕方ないよ」


 傍らでソファに足を投げ出して座り、缶ビールを開けていた職員が言う。


「楽しまなくちゃ、もったいない」


 確かにそのような考え方も一理あるけれども…。昇は嵐士の方を見た。この少年の、年の割に落ち着いた静かな語り口、憂いを帯びた冷静な眼差しは、非常に大人びていて、とても15歳には見えなかった。きっとこの子もここに来るまでに、たくさん傷つけられてきたのだろう。そうでなければ、これほどあきらめとさみしさに満ちた表情はしないはずだ。昇には、その痛みがわかり過ぎて、胸が苦しかった。


 少年に共感しているうちに、気持ちが沈んでいった昇はまた自分の声がうまく出せなくなっていくのを感じた。嵐士とはチャットアプリの連絡先を交換していなかったので、胸ポケットのメモ帳と鉛筆とを取り出して、筆談を試みる。


《いきなり筆談でごめんね。心が苦しくなると、時々思うように声が出せなくなるんだ。嵐士君の悩みのことだけど、私もそうだよ。今だって、自分が何のために生きているのかわからない》


 少し考えてから、昇はさらにこう書き足した。


《でも、前に一緒に暮らしていた友達と約束したから、せめて次の面会までは頑張って生き延びようと思っている。ホント、そのくらいの、適当な感じ》


 嵐士は真剣な表情でこちらを見ている。どうか伝わってくれと願いながら、昇は慎重に言葉を綴った。


《少なくとも、私は君にいなくなってもらいたくないと思っている》


 書きながら、何だか無責任で嘘くさいことを書いてしまったなと昇は苦笑する。彼が歩いてきた道も、嵐士のそれ同様、決して平坦なものではなかったのだ。蘇るのは全て、忌々しい記憶。生きることは世間一般で言われているほど素晴らしいものではない。この命がいつ尽きても構わないと、昇は今でも思っていた。

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