第44話

 その夜、昇は静音のアパートに泊まった。静音は昇に気を遣ってか、寝室で昇の隣に布団を並べて眠ることはせず、居間にあるソファで横になっている。


 隣の居間から静音が話しかける。


「何だか、不思議だなぁ。昇がこんなに近くにいるの。最後に同じ家で暮らしてたのは、もう6年くらい前になるもんね。それより前の、施設にいた頃も、毎日のように顔を合わせていたけど」


 そう言って、静音は愉快そうに笑う。


「昇が貸してくれたDSでゲーム三昧、楽しかったなぁ。夢中になり過ぎて宿題やるのを忘れて、施設の先生に没収されたこともあったよね。私のじゃなくて、昇のだったのに。あれは本当に悪いことしちゃったね」


 静音に貸したDSを、職員に没収される…そんなことがあっただろうかと、昇は心の中で首をかしげる。そもそも、静音に初めて出会った頃、自分はゲーム機を持っていただろうか。静音と知り合う4、5年ほど前、中学生の頃には、どこかに置き忘れるか誰かに取られるかして、なくしていた気がする。昇の少年時代の記憶は、ところどころ曖昧になっていた。


「それで、やることなくなって、ドッジボールとか、卓球とか、運動系の遊びにも誘ってくれたけど…ははっ、昇、運動音痴だから、毎回すごいことになってたよね。ほんとに、ボールがどこに飛んでいくかわからなくて」


 それはなんとなく覚えている。幼い頃から背の高い方に属してはいたものの、決して運動が得意ではなかった昇は、体育祭のシーズンになると、学校のクラスメイトから、体が大きいくせに使えないと、よく陰口をたたかれた。

 児童養護施設内のスポーツイベントでも、昇は足手まといになることが多く、彼の入ったチームは大体負けることが決まっていたが、不思議なことに、その失敗ぶりを責めたり馬鹿にしたりする者はいなかった。――あ~あ、昇さんまたやっちゃったねと、皆で仕方ないなという感じで笑って終わる。

 自分はあの施設の、あのおおらかな雰囲気が好きだったのだ。昇がそう打ち明けると、静音も笑顔でうなずいた。


「そうだね、本当にそう。ま、私は運動会でヒーローになる方だったから、あんまりスポーツうんぬんは関係ないけど、確かに、外の世界と比べたら、色々受け入れてくれる感じはあったかな。みんな、あそこに来るまでに色々つらい思いをしているわけだし」


 ここで、楽しそうだった静音の声にふと不安の影がよぎる。


「昇、また会えるよね」


 昇は、もちろん、とすぐには返せない自分がもどかしかった。静音の語る思い出話は面白かったし、彼女と約束したとおり、さらに次の面会までは生きていようと思っていた。それに、今回は嵐士への手土産も託されているので、消えたい衝動に負けて、おめおめといなくなっている場合ではない。静音とはまた会いたいし、できることならまた以前のように同居したい。だけど一方で、自分のような不安定な人間が、静音の近くにいてはいけないのだという思いもあった。きっと、自分が近くにいたら、この人を不幸にしてしまう。漠然とした根拠のない不安が、昇を、静音と一緒になるという大きな決断から遠ざけていた。

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