第58話
「しーちゃん」
自室の暗がりの中、グループホームの面々が寝静まった夜、32歳の昇は、ベッドに横たわったまま、誰にでもなく、友の名を小さくつぶやいた。彼女がこの家まで昇を迎えに来ることはもうない。昇自身が2人の縁を断ち切ってしまったがゆえに。
しかしそれでいいのだと昇は自分に言い聞かせる。世間の目から見れば、自分はおそらくすでに「廃人」になっているのだろう。まともに働けないうえに、過去の幻を夢に見て、錯乱しては自分の体を傷つけもする。薬代ばかりがかさむ重症患者。このまま無理に静音を己の元に縛り付けたところで、お互い幸せにはなれやしない。静音に大きな迷惑をかけて、自分も生き地獄の中で苦しむだけなのだ。
ではなぜ静音の夢ばかり見るのだろうかと、昇は自問する。それは、彼自身の心にまだ、静音への未練が残っているから? だとしたら、あまりにも馬鹿馬鹿しい話だと彼は自分自身を嘲った。静音に別れを切り出したのは、他でもない昇自身だった。自分で関係を切っておいて、今更復縁したいとはどういうことか。完全なる自業自得で、救いようがない。
一方、過去の記憶に苦しむ昇と同じように、隣室の嵐士も何か気がかりなことがあるらしく、すぐには寝付けないようだった。時折、もぞもぞと布団の動く音がしては止まる。しばらくして部屋の中をこちらの方に近づいていく足音がして、ドアの蝶番はきしみ、嵐士の重量感のない足音が階段を下りて行った。
すっかり目が冴えてしまった昇は、布団の中にいても考え事の他にすることがないので、起き上がって自分も階下へ行こうかと考えた。しかし、下に行ったところで、いつもの寝ぼけたやり取りが続くだけで、することがないのは同じだった。夜更かしを習慣にしないように、今日だけでも一晩中頑張って寝台の上にいようと昇は誓った。眠らないと心身の不調に直結する。
しかしそれを言えば、成長期の嵐士はどうなのだろうか。ここに来てから1か月以上、熟睡できたためしがないようだが…。とりあえず眠れなくとも自室に戻るよう声掛けくらいはしておこうかとは思ったが、なんとなく面倒な気がしてためらっているうちに、昇は浅い眠りに落ちていた。
囚われ人 紫野晶子 @shoko531
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